わたしのしょうもない恋愛遍歴を語る前に~わたしってこんな人間。

こんにちは。おだじーです。
只今夫が絶賛出張中のため、時間を持て余しているのでまた色々書きたいと思います。

はい。タイトル通り、芸能人でも著名人でもない、ただの一般人のアラフォー主婦の恋愛遍歴なんて誰得なんだと皆さん思うでしょう。わたしもそう思います。
しかし、わたしのこれまたしょうもない職歴を書こうとしたのですが、飽きやすい性格のうえに、人間関係の構築が非常に苦手なため、転職だらけの人生になってしまっています。
故に全ての職歴を語るのは難しく、いくつか印象に残っているものだけピックアップしようにも、書けるだけ面白い話も有益になる話もなかったんですね…。
「仕事が続かない」「転職が多くなってしまっている」とお悩みの方に、こんなにいい加減な、社会不適合者がいるんだ、僕は(わたしは)コイツに比べたらまだマシじゃないかと感じていただけたらと思ったんですが。

まずはじめに。

わたしの恋愛遍歴はというと、これまた「しょうもない」の一言に尽きると思います。歴代の彼氏5人のうち、唯一まともだと思える男性はひとりしかいません。そう、今の夫です。
以前の記事にも書いたように、幼少時のわたしは今で言う「場面緘黙症」でした。両親には普通に話せるのに、知らない人はもちろん、学校のクラスメイトや先生たちにはまともに話すことができない。目も合わすことができない。
何故か学校に行って席に着いたら、俯いて黙り込んでしまう。自分でも何故こうなってしまうのかわからない。わたしだって本当は、みんなと楽しく遊んだり、おしゃべりしたいのに。
こんな状況で友達なんて作れるわけもなく、クラスのみんなからは避けられ、先生たちからは疎まれ、わたしは小学校で孤立しました。悪い言い方をすれば、ハブられていました。一時期、不登校になりスクールカウンセリングも受けたこともありました。
更にわたしの地元は、札幌市の隣町で人口は約6万人というさびれた田舎です。要するに人口が少なければ子供も少ない、ならば当然学校も少ない。ということは小学校時代のメンツがほぼ変わらないまま中学校にあがるわけです。つまり小学校で友達作りに失敗してしまうと、挽回できないまま中学校でもその状態は続きます。田舎の中高生時代の人間関係がずっと続いていく一因がここにもありますね。
かと言って家庭に居場所があると言えばそうでもなく、両親は障害を持った妹につきっきりで、わたしにまで手が回りません。「わたしはダメな子」「いらない子」。ずっとそう思いながら小学校・中学校の9年間を過ごしました。
この当時は何もかもが嫌で、ゲームにのめり込むことによって現実逃避していた気がします。(元々ゲームは好きなのですが)現実では学校中からハブられている、札付きの劣等生でも、ゲームの中ではチョコボに乗って世界を旅し、悪のボスを倒せばみんなのヒロインになれるのですから。

暗黒時代。

高校に進学して、あの忌々しい地元のしがらみからも離れられ、場面緘黙症も少しは良くなったようで、少ないながらもわたしにも友人ができました。
こんな味噌っかすのわたしを受け入れてくれたのは、アニメや漫画が好きな所謂オタク、スクールカースト底辺と呼ばれる子達でした。今でこそ漫画「ONE PIECE」「進撃の巨人」「鬼滅の刃」などのメガヒットもあり、オタクが市民権を得ていていますが、わたしが中高生の頃は所謂「リア充」や「陽キャ」至上主義の時代で、アニメや漫画好きな子、あと当時流行していましたが、ヴィジュアル系バンド好きな「バンギャ」と呼ばれる子は、スクールカースト底辺に属するしかありませんでした。
わたしは当時から、アニメや漫画にはさほど興味がなかったのでしが、親がわたしがスクールカースト上位の子達と仲良くなるのを嫌がっていました。また彼女達のほとんどが高校生のくせに髪を染めたり化粧をしたり、制服のスカートを短くしたりというお洒落をしていましたが、わたしは親からそれらを禁止されていました。そんな「イケてない」わたしは当然のことながら、彼女達から「キモイ」を馬鹿にされていました。
なので半ば仕方なく底辺の子達と一緒にいたのですが、彼女達の話にはあまりついていけず、次第に浮いた存在になり、高校3年生の時にちょっとした誤解から底辺の子達からもハブられ、また不登校になりました。ここからさらにスクールカースト底辺の底辺に転落していくことになります。
そしてそれは高校卒業まで変わりませんでした。
わたしだって、人並みにお洒落にも興味があったり、好きな男の子の話や学校で表向きは禁止されていたけれど、アルバイトの話などもしてみたかった。アニメや漫画よりも、むしろそっちに興味があった。本当に惨めな学生時代でした。
このエピソードと後に付き合う元カレ2のせいで、わたしはオタクや行き過ぎた何かのマニアに拒否反応を示してしまうようになってしまいました。(一応誤解がないように書いておきますが、わたしはそのような人達を中傷などをするつもりはありませんし、存在を認めていないわけではありません。)
そんなわけでわたしは、学生時代の友達はゼロです。
離婚した後に実家に帰り、しばらく地元で渋々過ごしました。そこで通勤途中なんかのJRの中で小中の同級生とたまに遭遇するんですね。が、お互いに気づいていると思うのですが、完全に無視です。なんなら静かに睨み合いです、笑。

今回はここまで。

なんだか前置きしては長くなってしまい申し訳ありません。
そして話の内容も、かなり暗くなってしまい、もし気が滅入ってしまう方もいらっしゃたらすみません。実はわたしも、この記事を書くにあたって随分気が滅入りました(笑)
やはり過去のことを書くにあたって、やはり当時のことを思い出すという作業をしなければならないわけで、あの頃の嫌な記憶が何度も何度もフラッシュバックしてしまいました。なのでこのしょうもない記事を完成させるまでにも数日かかってしまっています。なんならもう夫も帰ってきてしまいました(笑)
ちなみになんですが、わたしはこのように幼少期~思春期が辛くていい思い出がないから、子供は産まないと決めています。一応夫にもその旨は話し、承知してもらっております。別に親から虐待を受けていたわけでも、クラスメイトからいじめを受けていたわけでもありません。
わたしより更に辛い境遇の人達だってごまんといる、そんな中でも子供を産み育てている人達もたくさんいるもの理解しております。わたしの考えは甘えなのかもしれません。
しかしわたしもアラフォーに突入し、親も年老いてきて、彼らの「介護」「終活」「実家の一軒家の処分」という問題が迫りつつある中で、とてもそこにまで考えが及ばないと言いますか…。
あと唯一のきょうだいである障害を持った妹の存在も大きいですね。子供への遺伝も大きな要因でしたが、わたしの両親が没後、彼女の行く末も決めなければならないので。
これについてはもちろん夫ともよく話し合い、妹の意思もよく聞いたうえで決断しようと思っております。

長くなって申し訳ありませんが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


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