紅白梅
梅の花を手折ったあの頃が懐かしい。
そして憎らしい。
なにも喋らない、いや喋れないあの花と白い部屋から一緒に連れ立って、誰も寄らない森の奥で暮らしていた。
何もしないでただ座っている。
それだけでよかった。
だからしばらくはそうさせた。
その花は、何もできなかった。
まだ蕾だった。
呼吸と微笑み以外何もできなかった。
だから、僕が教えた。
僕が「教えたかった」。
まずは歩き方を教えた。
一人で移動ができるように。
一人で歩くのには時間がかかった。
僕に捕まりながら歩けるようになった頃、同時に咀嚼を教え始めた。
流動食だけでは、歩く筋肉すら足りないかもしれない。
重湯、お粥、白米と食べれるようになった。
ただ顎が弱いらしく、固い野菜や肉は噛みきれなかったり食べられない。
まあ、火を通すしたものは食べられるし、いいだろう。
杖や手すりを使えば歩けるようになった頃、発音を教えた。
花に言葉を詠わせたいなんて、変な気持ちもあるものだ。
日本語を教えた。
ら行が苦手で時間がかかった。
一人で歩けるようになった頃、風呂の入り方と、食事の仕方を教えた。
僕が洗ってた時はよかったが、自分で洗うとなると時間がかかるので肩あたりまで髪を切った。
服の着脱も教えた。
箸やフォーク、スプーンの使い方を教えた。
その花は、少しずつ花ではなくなっていった。
蕾が開いたら、花ではないものが顔を覗かせた。
僕は怖くなった。
僕がしたことだ。
でも、怖くなった。
僕はその花の首を手折った。
首の皮が破け、血管に見立てたような赤い線が垂れる。
頭が落ち、強化ガラスに囲われた脳が顕になった。
僕はそこを飛び出した。
部屋を、形ばかりの家を、森を。
全ては、“僕”の研究なのだ。
僕はただのロボットなのだ。
この感情すら、インプットされた文字列の一部に過ぎない。
さっきまでの梅への愛情も、今のこの怨恨も、全ては複雑な文字列なのだ。
人間の世話ロボットにでもされるのか。
それとも人間の脳を移植したロボットの世話役にでもされるのか。
僕には「何かを忘れている」という記憶がある。
恐らくこれは何回も、何十回何百回と繰り返され続けた実験。
僕はまた記憶を奪われるためにあの白い部屋へ向かってる。
いっそ今、この感情を消される前に。
この感情(バグ)を消される前に。
この実験を消せたなら。
僕はロボットだった。
身体としてはいまだにロボットの部分が多い。
人工的に作られた皮は剥いで、本物の人間の皮を使った。
少しずつ肉や血を足や腕に付け足した。
電流で神経を通わせた。
僕は人間になるために、今も紅い花を咲かせ続けている。