命の花
「笑いなさいよ。笑顔の方が素敵よ」
「笑ってたら自然と楽しくなるものよ」
「ほらほら泣いた後は笑ってごらん」
「うん……」
ずっと笑うのが辛かった。無理に下手な笑顔を作ってはその方がいいと言われて、またどんどん苦しくなって、泣けなくなって
「笑うなよ。ブス」
初めて言われた。
「ちょっと何言ってるの?」
「女の子に酷いこと」
「泣いてるじゃない」
「うるせぇよ。黙ってろ。泣きゃあいいんだよ。ガキなんざ」
いつもと違う涙だった。今まで怪我した時と、誰かに本音を取り繕う時しか泣いたことなかったから。初めて本当に泣けた気がした。
親が死んでから引き取ってくれた叔母さんの結婚式。叔母さんは優しかったけど、別に好きじゃなかった。
叔母さんに育ててもらったことは感謝してるし、お母さんたちの分まで幸せになってほしいと思ってる。
でも、なぜか好きになれない。
嫌いなわけじゃないのに、なんで?
それを叔母さんに話したら、「まだ自分への感情がないのね」って言われた。自分を好きか嫌いになれないと誰のことにも無関心になるんだって。そういえば、誰かを好きになったことも嫌いになったこともなかった。私には好意という感情が分からなかった。
私を泣かせてくれたオジサンは叔母さんと結婚した人の親戚で隣のマンションに住んでるって分かって、苦しいときに会いに行った。オジサンはいつも黙ってリンゴジュースと飴をくれた。
「お前綺麗に泣くじゃねぇか」
「……初めて、言われた」
口はとても悪いけど、面倒見はいいから親戚の中でも子供によく懐かれてるって言われてた。
「好きなだけ泣け。お前みたいな奴は泣いた方がいいんだよ。あー無理に泣き止むな。またブスになる。目枯れるまで泣け」
目が枯れるまでって言いながら、目が腫れないように濡れタオルをくれるし、コップのジュースが少なくなると何回でもついでくれた。
中学になっても泣き虫の直らなかった私は、週に二、三日オジサンのところに通った。
学年が上がるにつれて、頻度は減った。最終的に二週間に一回に減った。
「ねぇ、どうして見ず知らずの私を助けてくれたの?」
「……別に、助けたつもりはない」
「……そっか」
オジサンはいつも不愛想だったけど、いつも甘いジュースとお菓子をくれた。
私は救われたつもりだった。本当は毎日通いたいくらい、助けられてた。あんまり行かなくなったのは、苦しくなくなったからじゃない。思春期特有の羞恥心からでもない。面倒ごとを持ち込んで、迷惑をかけたくなかったから。頼りたくなかった。一人でどうにかできると思い込んでいた。
似てた、なんて言えねえな。泣けなくて、笑ったまま死んだあの人に、似てたなんて。
今更。
「……やっぱりブスだなぁ。泣けよ。泣いてたら、もっと……」
「『生きてる間散々振り回してごめんね。ありがとう』」
「振り回されてなんかねーよ。お前らなんかで俺が振り回せるものか」
「可哀想に。あんなに可愛がっていたのに」
「死んでしまったらもうあんな態度。やっぱり上辺で判断しちゃあダメね。救われないわ」
「墓参りにも葬式にすら行ってないって。やっぱり演技ね。昔からそうだったもの」
「ああ、なんて恐ろしい生き物なんだ、本当に人間か?」
(違う。俺は人間なんかじゃない。あんな非情な恐ろしい生き物になんざなれはしないし、なりたくもねぇ)
『頑張っても結果は残らない?残ってるじゃない、こんなにも。頑張っているから、生きている』
(じゃあなんで、お前は残ってないんだよ)
『雨が降った直後の空虚な時間の花が最も美しい。雨上がりの光は、虹を導く。だが、雨が必ずしも止まなければならないわけではない。雨は、命への恵み。それが足りていない分だけ雨は降る。雨が枯れて干からびてしまったら、降らなくなってしまったら、もうそれは命への恵みを与えることが不可能ということ。そうなってしまえば当然命は枯れ果てる。 ―〇〇〇「命花」―』
どこかの知らない、小説家気取りが書いた小説のような詩のようなものの一部。涙は雨。人間の場合体外に雨を出すことで生きられる。毒素がわずかにでも抜ける。それをしないと、命は枯れる。もっと泣いていたら。もっと泣くことが許されたら。
この世界は温かいようで冷たい。子供の涙を緩やかにせき止めて、大人になって涙腺が決壊したら呆れ果てて、落胆して捨てられる。世界は雨を嫌う。世間は雨を嫌う。だから、一人で隠れて毒抜きして、それが当たり前になって、人前で涙を見せればお前だけおかしいと責め立てる。みんな泣ける世界になればいいのに。隠さなくても、よくなればいいのに。
そんなこと思っても、どうにもできない、変えられない。
『ありがとう』
なにがありがとうだ。なにもできなかった俺に。誰も救えない。誰も助けられない。なにもできない。
『――――、―――――』
ごめん。そうだよな。生きてくれてありがとう。