エッセイらしきもの

失格の烙印は、押されるものじゃない。
自らを押し当てに行って、ついた朱印。
出る杭は打たれない。
叩いてよしの紅い入れ墨を入れられる。
どれだけ洗ったって、拭えない。
道徳心が人たる所以ならば、喜怒哀楽が人たる所以ならば、人という箱に収まりきらないのは、当然と言えば当然で。
ただ一人を愛しきれないのは、人体の傷つくのを望むのは、人類という種の“生”を憎み恨むのは、僕が人外たる証拠で。
人体は合理的にできている。
それに合わせた小さな小さなルールも、ほぼ合理的にできている。
人が頭を守るのはきっと、コミュニケーションを守るため。
言葉を使って自分が人間であることを示すため。
人の性別が二つなのはきっと、混じることで様々な環境に適応し、形を変えていくため。
一つでは、全く同じ環境で死ぬから。
多ければ、劣等種を作ってしまうから。
人が性欲を抱くのはきっと、種をより多く増やし続けるため。
恋だって浮気だってきっとより適していると感じるからすること。
人がルールを作るのはきっと、自分という存在を傷つけさせないようにするため。
金も命も人間の意識という概念で守られている。
人は平気で人を傷つける。
法律なんて意味を成さないほどに。
人は平気で人型の人外を傷つける。
法律がそれを後押しする。
法律は人間しか守らない。
法律は人外を炙り出し削除するためにある。
戸籍の性が二つしかないのはきっと、人体が男女以外であることを認められないから。
若年層の声を聞くふりをして目を逸らすのはきっと、大人になれば都合の良さが分かるだろうと思っているから。
子供の意見を気持ちを押し潰すのはきっと、幼い自分を殺した、“殺人”という事実を認められないから。
人の死を望む僕は、人類の滅亡を望む僕は、人体につく傷を嬉々として眺める僕は、人間じゃない。
戦争を、殺人を、いじめを、虐待を、やめろとは思う。
でも人が死ぬなとは思わない。
僕は人の死に、羨望している。
実際にその状況になれば、震えて逃げ出したくなるんだろうけど。
僕はそうではない死因を探している。
他殺でも自殺でも事故死でもない、まだ名前のついていない死因を探している。
人の言葉を借りなければ表現できない劣等頭脳だけれど、これだから僕は人間失格。

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