見出し画像

「統合失調症」と私

【ピエロの手記  128】

といっても
私は精神科に通院しているが病名はうつ病である
統合失調症は母の病名である

母とは何といったって生まれて以来の付き合いなのだからそれは長い
統合失調症の症状がどうこうというよりも
子としての私には母からの被害と恐怖は今もって刻みこまれている

ガキの頃
何故か一緒に風呂に入っている
何の前触れもなく突然母が大声をあげ
「青竹でしばいてやる。そこに座れ!」
病気の言わせている言葉だなどとは知る由もないから
恐怖 アタマが真っ白になる恐怖だけであった

ガキのころ
学校から帰ると当然「ただいまー」と言う
その声に母は玄関にやってくる
腕を組んで上からにらんでいる(としか思えない)
何も言わず突然踵を返してどこやらの部屋へ入り
襖を思い切り叩きつける
その「ピシャリ!」という音が怖くて家に帰るのも怖くなった

統合失調症の症状 それは実に複雑多岐に渡るが特に中心的なものを挙げる
1 幻聴、幻覚
2 妄想(現実との境目がなくなる)、被害妄想
3 自分は病気ではないと確信している(医者へ行くのを断固として拒む)
4 理由なく暴力行為や暴言を吐く
5 感情表現や意欲、認知機能が低下する
6 日常生活(対自、対他の関係など)を管理できなくなる

学校で相談室のインテーカーをしていた時
学生相談室に来た学生が
「苦しいだろう
 楽になるにはな
 通りに出て
 最初に出会った人物をこれで刺すのだ」
という声がするのです、と訴えた
典型的な症状であり
犯罪につながる非常に危険な兆候である
しかし
彼を精神科医に繋ぐのは言語に絶する難事であった

何年か後
寛解を遂げた彼は言った
「あの頃は何かに
 心を乗っ取られていたみたいです」と。
統合失調症の薬は空前の進歩をとげていて
寛解、もしくはそれに近い人の割合はとても高くなっている
私の母の時代にそんな良薬はなかった

母の3人の子どもに対する症状は
一言でいえばネグレクトと虐待である
ガキの頃 友達の家で食事を供され
皆が「いただきます」と唱えるのに仰天した
それは給食の時のおまじないだと思っていたからである
家庭教育というものはなかった

この家にいると
物理的に生きていくのが精一杯で
とても勉強などできなかった
(家事は、私より9歳年上の長姉がママゴトのようにやっていた)
高校3年になるとき
金持ちの友人に金を借りて
新宿2丁目のアパートに家出した

大学生の時 精神科の門をたたいた
ドクターは
「あなたのうつ病は愛着障害が原因です。
 親を許せるようになると改善されます」と言った。
大学で勉強したおかげで
母も、戦争で家を焼かれ苦労のあげく
精神の病いになった気の毒な人だと理解はできた
だからと言って愛着障害が消えてなくなるものではない

20代半ば
相思相愛だと(自分は)思っていた彼女と
カフェでスイーツをたのしんだ
私はいつプロポーズしようか などと考えていた
帰り際に 彼女がふと真面目な顔をして
「親に感謝できない人なんて信じられないわ」と言った
それが別れの挨拶だった

統合失調症について書いてしまった
だって
何でも本当のことを書けるのは
note だけだからなあ


   ‟悲しいピエロ”





いいなと思ったら応援しよう!