20代の頃 ❛キャバレー❜ のボーイをしていた
【ピエロの手記72 断章60】
キャバレーという語も聞かなくなった
キャバレーそのものが絶滅危惧種というべきだろう
でも令和5年の今も
老舗のキャバレーが銀座で盛業中である
私とキャバレーの付き合いは
ドア・ボーイとして働き始めたのに始まった
キャバレーに自動ドアは似合わない
やはり重厚な扉がスッと人の手で開けられて
張り切った挨拶の声で来た気になるのである
2,3か月もした頃だろうか
何回か社長の視察があったのは知っていた
社長は日本の長者番付けのトップを14年間も走った人だったが
気さくな人だった
ある日社長室に呼ばれた
「君はきびきびしていて小気味よい
明日からフロアボーイをやりなさい」と言われた
フロアボーイは2階のフロアに常駐して万事の雑用をこなす
入店したお客を席へと誘導し
フロア・マネージャーの指示によってホステスさんをお客に引き合わせる
こういう、指名・場内指名だけではホステスさんが余るので
ヘルプやサポートなど、フロア・マネージャーの指示で席に向かわせる
飲み物が届くと本物のお酒がお客さんのところへ
同じような色を付けた水はホステスさんの方へ届くように気を配る
ここに書ききれないような雑用をこなすのがフロア・ボーイである
数か月もたったころだろうか、社長室に呼ばれた
「君は中々見どころがある、私の見る目は確かなものだよ。
明日からフロア・マネージャーに任命しよう」
これは大変だ
フロア・マネージャーは3~4人いるのだが
フロア・マネージャーこそキャバレーのキー・パースンなのである
ホステスさんがその言うことを聞いてくれなければ店は回らないのである
「3番テーブルへ行ってください」といえば
いやも応もなく即刻動いてもらわねばならない
何が大事といってフロア・マネージャーは
公平無私、絶対にえこひいきがあると思われてはならない
そうでなくては100人以上のホステスさんをまとめていくことはできない
必死で努めているうちに
ホステスさんの不安や心配事が聞こえてくるようになった
その最大のものは
「お客さんとの会話を盛り上げるのに困難がある」というものだ
これは緊急の問題だ
お客さんが来なくなるとお店は衰退してしまう
私はホステスさんを10人位づつでミーティングを始めた
「いいか よく聞いて実行しろよ
北海道から沖縄までのすべての県について
地理の特徴、都市の名前、名所旧跡、特産物その他その他
それらをすべて頭に叩き込んでお客に出身地を聞くのだ
お客が喜んで答えたら絶対に会話の呼び水になる
中学・高校で地理という課目があっただろう
それは、君達が将来ホステスになった時のために設置されていたのだ」
こんなホラを吹いても皆真面目に聞いていた(笑)
手前みそになるが
このミーティングは評判が良かった
ホステスさんたちは、会話を始めるのに困らなくなったと感謝してくれた
こういう話は当然社長の耳に入る
また社長に呼ばれた
「きみ なかなかやるじゃないか
あの発想は並大抵じゃない
来月から(マネージャー、副店長をとばして)
新宿店を差配してくれたまえ
店長に任命する」と言われた
『社長、それは無理です
私 昼間は学校へ行ってるんです』
(とは言っても、私は生来の学校嫌いで、自主休講が多く
出席率は5割を切っていたけれど)
「そんなのやめればいい
第一、学校出ていくらもらえる
うちに居れば軽くその3倍は稼げるんだよ」
これはもう脱走するしかない、というのが私の結論だった。
社長の好意を謝して、辞めざるを得ない旨の、心を込めた手紙を
マネージャーに託して新宿店を去った
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新宿店のトップ・スター、指名本数第1位のホステスさんは
20代のシングルマザーの人だった。
2人の幼いお子さんを(おそらく無認可の)託児所に預けて
深夜まで勤務していた。
テーブルでは溶けるような笑みをいつも湛えていたが
私は彼女の生き様に鬼気迫るものを感じていた。
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シャバ(俗世間)に帰ってきた。
また名刺を見せ合って付き合いが始まる世界へ
あの新宿店の集合体には
肩書も地位も家柄もなかった
そういう余計なものを脱ぎ捨てたとき
本当の人間がカミングアウトするのである
人間のことを勉強したい、などとしたり顔に言ってきたが
私の学びの原点は新宿店にあると思うのである
‟悲しいピエロ”