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古代中国の宰相と将軍たち0011

甘茂


息壌の誓い

 宜陽は韓の重要拠点でした。東周の君は宜陽について「宜陽の城は八里四方、兵士は10万、食糧は数年支えるだけありさらに公仲の軍20万もある」と言い、一般人は甘茂が宜陽を落とすことができないだろうと予測しました。
 秦の武王は「わしは兵車を三川(伊水・洛水・河水のある地)に入れ、そこを通って周室をおびやかし天下に号令できるなら、 死んでも恨みはない」と言いました。秦にとって韓は東側に隣接する国であり、中原に進出するためにはこれを除かなくてはなりません。
 B.C.316秦で討蜀論と討周論が議論された時、張儀は「韓を討ち東西両周に迫り、周君に天子としての責任を問えば、 九鼎や宝器を秦に差し出すでしょう。そして天子を抱え込んで天下に号令すれば、諸侯で従わぬものはないでしょう」と討周論を主張しました。 このときは討蜀論に敗れましたが、その後秦が蜀を押さえたことで、ようやく秦は本格的に東に目を向けることになりました。
 秦は国益として周を押さえて天下に号令しようとしました。そこに客将である甘茂は自分の手柄を立てるため、武王に宜陽攻めを進言します。 甘茂は武王の信任により魏と同盟して韓を討とうとします。しかし甘茂の敵は韓だけではありません。じつは秦の国内にも甘茂の失脚を望んでいる者が多くいました。 甘茂の味方は武王のみです。その武王が心変わりをしてしまったら、甘茂は一気に後援がなくなって失脚してしまいます。そのため甘茂は息壌という地で、 再び武王と誓いました。
 「敵対する者の言葉に動かされないように」と。
 「宜陽は大県です。県といっても郡に匹敵します」
 「それでも私は宜陽を陥落させたい」
 「おそらく攻撃しても何ヵ月かかるかわかりません」
 「私はそれでも攻めたい」
 「何ヶ月も攻撃が長引くと樗里疾たちが中止を進言してくるでしょう」
 「私は耳をかさないことを誓う」
 一方、楚は敵対する秦が韓に侵攻したため、韓の救援のため景翠を遣わせました。
 また東周は、秦の東行を恐れていました。もし秦が宜陽を攻め取ると、東周は秦と隣接することになります。まさに張儀が望んだ状態になってしまうのです。 これを避けなければなりません。
 このように各国、各人にそれぞれの想いがあり、宜陽の戦いは始まります。
ここに簡単に各人の想いをまとめます。

 ・甘茂: 秦で重用されるために宜陽陥落は必要不可欠。
 ・秦の武王: 群臣の反対を押し切ったため勝ちたい。三川の地を切望。
 ・左成: 説客として甘茂を成功させたい。
 ・樗里疾・犀首: 甘茂に軍功を立てさせたくない。
 ・公仲: 宜陽は韓にとって重要な地であるため死守したい。
 ・周累: 秦が三川の地に進出してくることは東周にとって望ましくない。
 ・景翠: 宜陽救援で失敗だけはしたくない。

 東周の周累は、宜陽救援に向った景翠を巧みに説きました
「公は爵位は執珪、官職は柱国という最高位ですので、勝ったとしても利はないし、勝たねば殺されます」
  周累は負けない戦いをせよと言ったのです。そのまま宜陽を救援しようとしても、強力な秦軍に勝てるかどうかは分かりません。それならば、 秦軍が宜陽を苦労して陥落させた後、その疲弊した軍を討てば負けることはないと説いたのです。
 東周にとっては秦が三川の地に残ることを避けたいのですから、韓が勝とうが楚が勝とうがどちらでもよいのです。景翠はこれに賛同し、 すぐには韓を救いませんでした。
 一方、甘茂は宜陽を攻めますが、さすがに要害である宜陽はなかなか落ちません。5ヶ月経っても戦線は膠着しています。 甘茂も弱気になりましたが、説客の左成が「公は国内では樗里疾、公孫衍に攻められ、国外では韓侈(公仲)と怨みを構えておられる。 ここで宜陽を落とさなければ、公は窮地に陥られましょう。宜陽が落ちれば、公のお手柄は大変なものになり、さずがの樗里疾、公孫衍も手が出せないでしょう」と励ましました。
 また秦国内でも宜陽攻めについて非難が高まってきました。甘茂の失脚を狙う樗里疾たちはしきりに武王に甘茂更迭を催促します。
 武王も心を動かされて、甘茂を呼び戻して更迭しようとしました。
 甘茂は言います。
「息壌をお忘れか?」
「そうだった」と武王がこたえます。

 初心に戻った武王は援軍を出しました。ついに宜陽を陥落しました。

 宜陽を激戦の末に陥落させた秦軍は疲弊していました。そこに楚の景翠が進撃してきました。秦は恐れてこれと講和して棗の地を差し出しました。

良い
甘茂
秦武王
周累
景翠

悪い
樗里疾
犀首
公仲
 この宜陽の戦いで良い結果となった者と悪い結果になった者は上記のとおりです。 戦国時代は縦横家の遊説が盛んに行われた時代です。この宜陽の戦いひとつでもこれだけの人が権謀策術を駆使して、自分の利益を得ようとしていたのです。 このような複雑な絡み合いは、戦いだけでない歴史の深みを教えてくれるようです。

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