時は流れる。
久しぶりにnoteをひらいた。
皆さんお元気でしたか?
アメリカ生活もあっという間に1年半が過ぎ、
先週まで2週間日本へ一時帰国もしていた。
久々の日本は全てが新鮮に感じ、
トイレの綺麗さやコンビニにすら感動を覚えた。
日本ではこれでもかというほど
日本食の食い溜めをし、
パンパンに浮腫んでアメリカへ帰って来た。
リミットを知っている時の人間の食欲たるや、、。
アメリカに戻り5日が経過した今日だ。
毎日時差ボケで体内時計は狂っている。
昼間家にいても寝るだけだから、
今日は外に出ようと思いcafeに来た。
そして、英語を思い出すために少し勉強をし、
飽きたところでnoteの存在を思い出した。
英語を思い出すと言っても、
残念ながら、忘れるほどの英語は私の脳には蓄積されてはいないが、、。
先週まで見ていた世界がなぜかパラレルワールドのように感じられる。
今、このcafeで私の目に映る全ての物が
私にアメリカにいるという事を知らせる。
日本が恋しいとか、戻りたいとか
そんな事が言いたいのではない。
私は毎日何をするでもなく
ただただ時が流れる世界に戻って来たのだと
心の中で呟く。
まぁ、長い人生においてこういうゆっくりとした時間が数年あっても良いのかもしれない。
でも、まぁ、良いのか悪いのか答えが分かるのは
10年後かもっと先の事だろう。
働いてみようかとか少し思ったりもするけど、
自分の中の何かが私を引き止めようとする。
昔は思ったら即行動して失敗しながらがむしゃらに突き進むタイプだったのに
やけに大人しく穏やかになってしまったものだ。
自分でも思う、別人のようだと。
そう言えば、日本に帰って元職場に顔出した時
みんなから別人と驚かれたんだ。
太ったのもあるだろうけど、
取り巻く雰囲気が別人ですれ違っても気づけないと言われた。
さすがに笑った。
どんだけ私は仕事中ピリピリしてたんだろうかと。
まぁ、何からも急かされず、
追われる事もないこの生活は
ただただ私に穏やかな人間なフリをさせる。
まぁ、自分でもらしくない気はするけど、
それはそれで良いんじゃない?ともう1人の私が囁く。
人は全てから解き放たれたとき、
時として進む道が分からなくなるのかもしれない。
進む道がどっちかというか、
どこに道があるのか見当たらないというのが適切かもしれない。
何が書きたいかそろそろ迷走し始めてきた。
ポエマーになりきれない文才の無い
アメリカのcafeで呑気にラテを飲む日本人ってとこか。
なんて優雅な人生の長い夏休みなんだろう。
自分が生きた証を残したいという思いだけは
ずっと昔から漠然と心の中にある。
でも、これまた証が何かは分からない。
分からない事ばかりだなぁ。
外は少し秋の匂いがし始めた。
暑かった夏もそろそろ終わるらしい。
そして、もう少ししたら
雪だ。と呟きながら空を見上げているのだろうか。
時々、人生は長い長い旅だと思ってしまう。
でも、それは違うという事にほんとは気づいている。
自分が最期ベットによこたわり、
天井を見上げながら
2泊3日のショートトリップだったな。とか言いそうな気がしてならない。
何の悟りだという感じだが、
本当は時間の価値も少しは分かっているつもりではいる。
でも、身動きの取り方をいつまでも見出せない自分がもどかしいというか、
この先の進む道が見当たらない自分に
どうにか道を照らしてあげたい。
時間だけが過ぎていくことも、
何も身に付けられずにいることも、
全部全部分かっている。
でも、それを受け入れようと、許そうとしている自分がいるのも事実ではある。
人生の先輩方、
迷い人を見かけた時、
何と声をかけますか?
こんな拙い文章を書くのに
1時間半もかかってしまった。
今の私はこんな時間すらも持ち合わせているのか。
外の木の葉が風でゆらゆらと揺れている。
なんと優雅な1日、、。