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『米寿の先輩』の本音
何時もカツ入れれるわよ❗️大丈夫⁉️って
生きてみえた先輩。
一昨日あたりの夜中
激しい頭痛で目が覚めて以来、
すっかり弱気になっておられた。
かかりつけのクニリックで「大丈夫」と
言われても何故か未だ不安、、。
⚪︎MRIも受けた。血圧コントロールも上手く出来てる。身内(息子)から安否「確認の声掛けもして貰えるし。
⚪︎自分で選択してきた『一人暮らし』
今回の原因不明の頭痛、ふわふわ感は、妙に弱気にさせている様子。
「何にもやる気にならないのよ」との言葉。
今回,
⭕️初めての訪問。
2時間近くお邪魔して、色々な昔の事をお聴きして、本当に、常に全力疾走で、生きてこられたことが、よくわかる。
(もし、許されるなら、その場で「ギュッ』とハグしてしまいたくなる衝動に駆られた)
⭕️やっとの思いで自分のこの衝動を抑え、平静を装って『良くもまぁ、ここまでこんなふうに頑張って頑張って生きてこられましたよねぇ❣️」って会話になりましたが。
【思春期】
12歳の時他界した父。「乳飲み子と2歳の弟を託された」と自覚して、母を助けて生きなくちゃ❗️家族のために我が身を捧げようと意識した❗️と。
12歳の少女が、母、幼い二人の弟を護らねば❗️との自覚を持つってありうるのか⁉️「ヤングケアラーの鏡」
🔴「思春期前後の少女が「覚悟を決めた」との意識が、まず、凄い❣️」
【青春時代】
家族を支え、結婚話も『家の為』と諦めて、54歳で他界した母の面倒をも見る為に,自己犠牲をいとわないと云う強さは,どこからきたのか?当時、結婚話を幾つも断ったが、縁あって『婿入り』をしてくれると云う夫に出会い結婚し『家、家名』を守りきった。
🔴「家族に尽くす為には、我を犠牲にする事も厭わない強い意志」
【成人期】
二人の弟を守り,育て,さらに母を送った。自身も二人の息子に恵まれたが、怒涛の様な人生の中、夫は、早くに他界されている。🔴自分の人生では、周りの身内には「男子しか居なかった」ただ一人、女性であった事も私の運命、宿命だったわねえ。と潔い。
【米寿】の現在
ヒトの話によると自営業をされていたこともあったとの事。20年以上関わってこられた組織の代表を今年度で、降りられるとの事。
🔴人生50年時代を生きた父の短命を十代で、見届け。未亡人ながら若い女性として、乳飲子を抱える母を支える生活を過ごした。⭕️最も身近な存在だった苦労続きの女性、母を送った。父、母という最も近い存在との別れを相次ぎ経験した。
それでも、
⭕️身内との辛い『別れの経験』をモノともせず、運命だからと❗️と乗り切って生きてきた。
⭕️何かしらカッコイイ,とまで感じされてくれる話しかたは、今,現在までに繋がっていると感じた。
今後、
【会長職】の大役を退いて,さらに、どんな生き方をされるのか、近くに居られるものならば,関わりをもたせていただき続けたいと感じた。
聞き語り体験になった今晩。
⚪︎暑すぎる初秋の宵の口の語り部は、人生ってそのヒトの日々を構築するプロセスなんだなぁと、つくづく感じた。
🔴Sさんの人生、
カッコイイ人生だなぁ〜。
若輩、前田の独り言。、