「葉っぱのフレディ」❣️今日のような穏やかな冬の午後。草木は枯れてしまったようにみえるけれど❣️
つい先日、
大晦日(おおすごもり)のさだまさしさんの歌を紹介したばかりです。
「クリスマスが過ぎたら、
誰にも新しい年が来る。
大晦日の夜には、心からありがとう。」
「みんなで一眠りしたら♫幸せになろう❣️♪
新しいカレンダーと
新しい今年の生命 涙拭いて
笑って歌おう♫悲しみにさよなら♪」
今日は、
ハヤ、
新年明けて7日目。
その先の新しい年に向かって、
みんなで一眠りしたら、
幸せになろうと❗️の部分を
一週間近く、経過しております。
そんな中、突然ですが
愛西市の土地を改めて眺めてみました。
今日のノートの写真の解説ですが。
北西の愛西市の冬の夕暮れ時
暖かな車内から、ぼっ〜と眺めていたら、
突然に蘇った『生命』について、
また、遺したい言葉を思い出したのです。
実は、
昨日、売却目的のため
不動産の手放し作戦の準備として、
300坪の古屋(築70年)の
平面図を引いてみました。
名古屋市から西北へ約60分
どなたか、
古屋生活の場として
活用してもらえたらなぁ〜と。
帰り道、遠く車内から映した
冬の農地を遠目で眺めてみたのが、
この一枚でした。
その風景から。
唐突にも、
この土の下 に
春の芽吹きを待つ
幾つもの生命の存在に
今更ながら気づいたのです。
と、同時に、、、。、
私の大好きな絵本(大人の絵本⁉️)
『葉っぱのフレディ』を思い出した〜。
生命の講座『生=性の性教育』を
聞いてもらうときに、
よく、引用させてもらっていた所を
また、紹介したくなったのです。
ご存知のかたが
多いかもしれないけれど
この本は、
たった一本の樹に
最後まで残った葉っぱフレディの
一人語り。
フレディが、
友だちを一人一人見送る中
四季それぞれの
我が姿を思い出して、
多くの思い出を巡り
語り合った仲間
一人一人に
その命の終わり方、
生前の付き合い方を振り返り。
葉っぱにとって、
枯れ葉となって
木から離れる(=死)
事への解釈、
それぞれの言葉でお別れをした〜。
そして、
遂に、最後の一枚
即ち、
一人になると、
その時を待つ瞬間までの間、
孤独、不安、希望、回想などの中
実際の体験の瞬間までの妄想が、
走馬灯のように巡る、、。
そして、
いよいよ、
実際の
体験へ。
彼が手にしたものは❣️
寂しさでもなく、
孤独でもなく、
辛くも
不安でもなく、
なんと、
これ以上はあり得ない❣️
と云う実感を
素晴らしい言葉にして
残してくれたのでした。
最後まで残ったフレディが、
死をどう受け止めるて
逝くのだろと云う姿が浮かぶ、
その時が来て。
その時になって、
実に簡素な表現で
美しく、
静寂な中で悟りを言葉で
現していく。
それは、当然。逃れられない「死」かと⁉️
ところが。
次の生命への繋がっていく
新たな生命への元となる
我としての
存在意義を生々と表現している
以下の言葉が、
大好きなのです。
大自然の設計図は 寸分の狂いもなく
『いのち』を
変化させつづけているのです
また 春がめぐってきました。
立春を過ぎると、
今年もまた、
春がめぐってくるでしょう。