22.「だから」と「なぜ」の視点、その違いは?
千葉亀雄は明治11年生まれのジャーナリストです。
千葉は母の実家がある宮城県不動堂村(現美里町)と仙台で育ち、その後は上京し時事新報社の新聞記者として働いていました。
当時、千葉亀雄の部下に菊池寛という小説家がいました。菊池寛も時事新報社で働きながら、副業として小説を書いていたのです。
新聞記者の千葉と小説家の菊池の二人を取り上げて、記者と小説家の違いを見てみましょう。
まず、新聞記者が書く記事ですが、
読者は新聞のどんな記事に興味を持つのか考えてみましょう。
例えば、犯人が元々素行が悪い人で事件を起こした場合、それは新聞記事になります。
素行が悪い人が事件を起こすことは、その理由を問わずに理解しやすいものです。
犯人の素行が悪い、「だから」事件を起こしたのです、という結論に容易にたどり着くことができます。
一方、小説の場合ですが、
読者は小説のどんな物語に興味を持つのか考えてみましょう。
善良な人が事件を起こした物語の場合、それは小説になります。
善良な人が事件を起こすこと自体に疑問を抱きます。
「なぜ?」善良な人が事件を起こしたのか、理解しづらいからです。
新聞の「だから」の要素と小説の「なぜ」という要素は明確に使い分けています。
もし、新聞記事が「なぜ、なぜ」と深く掘り下げると、記事の鋭さが損なわれます。
つまり、小説のように回りくどい説明が必要になります。
珍しい事例や現実的ではない事象を深く追求すると、記事が複雑になってしまい、新聞としては受け入れにくくなるでしょう。
一方、小説が「だから、だから」と物語を展開すると、それは新聞記事になってしまいます。
つまり、小説が一般的すぎて、ありふれた話になり、読者にとっては飽きてしまうでしょう。
小説の醍醐味は、奥深い謎に包まれた物語りの核心に近づくまで活字を追い続け、「なぜ、なぜ」と主人公のクライマックスに浸ることが読んで楽しいのです。
千葉亀雄は部下の菊池寛に記事と小説の違いは「だから」と「なぜ」の視点の違いであると諭したとか、
とても興味深い会話があったんですね。