半生を綴る ⑥ 幾重にも立ちはだかる壁

高校、大学時代となんやかんやあったが、
ついに彼女とゴールインすることになった。
以前から「プロポーズはまだか」と借金取りかのように言い寄られ
ボーナスのタイミングで指輪を買い、当日受け取りプロポーズした。
結婚は勢いでとかってよく言うがまさしくその通りだった。

指輪は4℃と前々から決めていた。
というのも中学の理科の先生が「4℃っていうのは~」と
授業中に熱弁しており、それに「へー、そんな素敵な意味あるんならここにしよ」とまた周りに影響を受けたためである。

男女が共に過ごすということはいくつもの困難を乗り越えていくことある。
うちの場合には結婚式から壁が立ちはだかった。
彼女時代には天体観測デートをよくしていたため星をテーマに結婚式を作り上げた。
もちろん結婚式は7月7日、七夕。
誰もが晴れを願うその日は前日から大雨だった。
あまりにも大雨がすぎた。
電車は止まり、高速すら止まり、交通手段がなく。
友達も多数来れない状況に。
前日から泣く嫁を見て

これからこの人を守っていかなきゃいけないのに、
こんなあっけなく守り切れない出来事がくるのかよ…!(脚色あり)

と人生の難しさに打ちひしがれたものである。
ちなみに西日本豪雨と言うとピンと来る人もあるだろう。
まさにその日だった。

来れない人はたくさんいたが無事式は終わった。
「雨降れば地固まる」という言葉があるように
私たち家族は盤石なものになったのかもしれない。

そして1年後にまた壁が立ちはだかるのである。
結婚式から1年は2人でゆっくりしようと決め、
アパートを借りて2人きりで過ごしていた。
生活が落ち着いてきたら子どものことを考え始めて、
俗に言う妊活を始めた。

ところが1年経ってもコウノトリさんからは音沙汰がない。
病院に行ったところ少し卵のサイズ感が小さいらしい。
嫁は薬を飲みながら基礎体温を測りタイミングを取る。
が、1年経ってもコウノトリは返事をくれん。
不妊治療もステップアップし、タイミングを取りながら
注射で卵を大きくする、もうまくいかず。

少しでもストレスや出費を抑えるためアパート暮らしはやめて
義理の実家に住むことになった。
お寺の隣の家だったためゲーム仲間には時折鐘の音が響いていた。

そしてなんと実家に住まい、人工授精に移行したところ
コウノトリからお返事が!おっせ…ありがとう!!
無事子どもが生まれ、今に至るのである。

本当にいろいろありました。
文字で見るとこれだけの経緯だが、
成功、失敗というものが目に見えてわかるし、
言うならば1ヵ月に1度受験の合否発表があるようなものである。
嫁の精神的負担というものは相当だった。
不妊と日々戦っている人達にはエールを送りたい。

当時のステータス 陰キャドンブラ沼パパ



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