息子に教えられた強さと優しさ
これから採血のための針を刺されることが分かった瞬間、
2歳の息子がポツリと言いました。
「こうくん、もう泣かないよ。」
あまりにも年齢とかけ離れた大人びた言葉に、
思わず顔を見つめてしまいました。
息子には持病があり、
2ヶ月に一度の輸血が必要です。
ほんの半年前までは針を刺される痛さに、
病室の外の廊下にまで響くくらい大声で泣いていた息子。
今は静かにその痛みに耐えようとしている。
小さな体に、いつの間にこんなに強さが宿ったのだろう。
思い返せば、コロナ禍の中で不安を抱えながら迎えた妊娠期。
無事に出産できたことに安心した翌日、息子はNICUに緊急搬送されました。
一刻を争う状況の中、あっという間に救急車が到着し小さな体が運ばれていきます。遠ざかっていく救急車を見送りながら、私の頭は理解が追いつかずただ泣いていました。
病院の個室に一人残され、あまりの静けさに最悪のことばかりが頭をよぎりました。
「やっと出会えたのに、どうしてこんなことに」と、出口のない悲しみに心が潰されそうでした。
その時、かつて教員としてかかわった特別支援学校のお母さんたちのことを思い出しました。
彼女たちは、子どもが生まれた時のことを時々語ってくれます。
生まれてすぐ救急車で運ばれた子、未熟児で長く入院していた子、突然の事故や病気で障害を負った子。
お母さんたちも多くの試練を乗り越えてきたはずなのに、その語り口はいつも穏やかで、我が子を愛し。支える力強さに満ちていました。
彼女たちの優しさと覚悟に触れるたびに、私は「強さ」の本当の意味を
教わったような気がしました。
幸いにも、息子は現在定期的な通院は必要ですが元気に過ごせています。
輸血が必要と言うと「かわいそう」と言われることもありますが、私はその言葉に少し違和感を覚えます。
定期的な輸血さえすれば普段の生活に大きな支障はなく、運動も自由にできる。それだけで十分ありがたい。
一見、悲しみや苦しみに思える出来事も、それをどう受け止めるかで未来は変わります。
先日保育園でけがをし、お友達と一緒に通院した息子。
病院で不安になり、涙が止まらないお友達に対し、息子は「だいじょうぶだよ」と言いながらずっと励ましていたそうです。
もちろん、輸血が必要な生活なんて想像してなかった。
でも、彼が苦難を乗り越えて身につけた優しさは何ものにも代えがたい
宝にもなりうると思うのです。
その優しさが、これからたくさんの人の笑顔につながりますように。