『セイレーンとシスター』
セラスとシノの二人は双子の兄と妹だ。
二人は波止場を遊び場にしていた。
学校には行っていない。
海の近くの街で、海と共に生きるのが二人の楽しみだった。
群青の景観を見ていると、二人だけの世界にいられる気がした。
海の近くには教会があった。
礼拝堂には、シスター装束を着た少女がいつもいる。
「此処。私の縄張りなんだけど」
シノは少女に告げる。
「私はこの教会に所属しています」
少女は言う。
少女は首から下げた十字架を強く握り締めていた。
「……所属って。此処って、もう持ち主がいなくなって廃墟になっているじゃない」
シノは首を傾げた。
少女は正気の眼をしていない。
シノには分かっていた。
彼女は心を病んでいる。
きっと、この教会に縋るしか心の拠り所が無いのだろう。
「ねえ。一緒に海を見に行かない?」
シノは少女の手を取って笑う。
「貴方の名前は何て言うの?」
「私? 私はアキル」
シスター服の少女は自らの名を告げた。
†
教会の先の坂道は公園の高台になっており、海がよく見えた。
道はよく手入れされており、色取り取りの花が植えられている。
高台の上まであがると、風が二人の髪の毛に触れる。
ふさり、と二人の髪がなびく。
「あの青は何処まで広がっているんだろうね?」
シノは笑う。
「大陸の向こうまでなんじゃないかな?」
「大陸がある?」
「うん、世界地図を見る限りは」
「そう。アメリカか中国かな。覚えていない」
「私も覚えていない」
二人は笑った。
高台の頂上付近には誰かが置いたのか、碇やら釣り針やら破れた浮き輪やらが置かれていた。あるいは此処もまた廃墟なのだろう。
この辺りには廃墟が広がっている。
それなのに誰か好事家が道を舗装し、街路樹や花を植えている。
数年前、震災があって、この辺りの土地の大部分が水に流されていった。シノは震災の時をよく覚えている。兄のセラスと一緒に、無情なまでに荒波で荒廃する土地を眺めていた。
……シノとセラスは狂っているので、水によって流されていく土地と人々を見て、狂喜していた。壊れた心の二人と対比するかのように、TVの報道では人々の悲愴な声が続いていた。
「ねえ。シノ、貴方は何者?」
アキルは訊ねる。
シノは唇に指先を当てる。
「ねえ。アキル、此処からあの海岸の辺りに洞窟がある事が分かる?」
「う、うん?」
「洞窟の奥にね。私と兄のセラスだけが知っている秘密の部屋があるの。そこに遊びに来たら、私達は何者か分かるよ」
シノは言う。
アキルは彼女の悪戯っぽい表情を見て、何かを察したみたいだった。
……その洞窟を見てはいけない。
「秘密の部屋は見てはいけない。だから私は見ないよ。だって、秘密なんでしょう?」
アキルは告げた。
「君は本当に面白いね、アキル。本当に面白い」
シノは笑った。
†
セイレーンは海の魔物だ。
船旅をする者達の船を沈める歌を歌う。
その怪物の姿は上半身が人間の女で下半身が鳥とされている。あるいは下半身は魚であるともされる。海の岩礁から航海中の人々に美しい歌声を奏で、船を難破させると言われている。
二人はセイレーンと呼ばれていた。
自分達で名乗ったのかもしれないし、社会からそういう存在としてそう呼ばれたのかもしれない。
シノはセラスが待っている洞窟の奥へと向かった。
洞窟の前には朽ちた納屋があり、ボロボロになったボートなどもあった。
他にも浜に流れ着いたゴミなどもあった。
シノはガラクタをかき分けて、洞窟の奥へと向かう。
洞窟の奥では、セラスがツインテールになっている自らの髪を手入れしていた。
「シノ、お帰り」
セラスは笑う。
セラスの周りには大量の白骨死体が転がっていた。
全て、二人が“遭難”させて“難破”させた者達だ。
二人は人間でありながらも、海の魔物だった。
無邪気に、何名もの者達の船を沈めてきた。
「セラス。今日、友達が出来たんだよね」
骸骨の中に、コーヒーメーカーが置かれていた。
シノはコーヒーを作り始める。
「セラスは砂糖とミルクが必要なんだっけ?」
「シノ。シノはよくブラックで飲めるね」
「セラスが甘いモノが好きなだけだよ」
兄妹は笑い合う。
「それで、友達は此処には連れてこない?」
「連れてきたら、セラス。彼らの仲間に入れようとするでしょ」
「そうかも。でもシノが大切なら考えるよ」
「じゃあ、此処を見せるのはやめよう」
†
アキルは今日も教会にいた。
彼女は祈りながら、空ろな瞳でキリストの像を眺めていた。
「貴方、孤児でしょ」
シノはアキルに告げる。
「此処は昔、孤児院だった。でも、震災で住んでいた孤児達の多くが流されてしまって、生き残った子達は、別の孤児院に移された」
「半分辺りで、半分間違いかな」
アキルは言う。
「私の両親は、此処の孤児院の経営者だったの。お父さんが震災で死んで、お母さんは借金とか色々あって首を吊って自死しちゃった。私は取り残されて、何とか色々なバイトを転々として生きている……」
「ふうん? つまり、此処は元々は、貴方の家ってわけ?」
「うん。二階には幾つかの部屋があるでしょう? 部屋の一つは私のものだった。実は今でも、此処に来て物置に使っている」
アキルの表情は寂しそうだった。
シノはどうしようもない、真っ黒な感情に支配される。
アキルをあの世で、両親と一緒に再会させて上げたい。
それはきっと、彼女にとっての救いになるだろう。
「ねえ。アキル、私は死神だって言ったら信じる?」
シノは訊ねる。
アキルは笑った。
「笑うけれど、きっと信じちゃうかな」
アキルの表情は何もかもを諦観して、あらゆるものを受け入れているものだった。
†
ある日の事だった。
地震が来た。
そこそこ揺れたが、それ程、大きくは無かった。
ただ、老朽化した建物だったら、どうなるか分からない。
何となく、胸騒ぎがして、シノは教会へと向かった。
アキルがいた。
アキルは崩れ落ちた天井の一部の下敷きになっていた。
アキルは息も絶え絶えだった。
シノはスマホなどの携帯の類を持っていない。
どうやら、アキルも持っていなかった。
人を呼ぼうかと思ったが、アキルに呼び止められた。
「待って。シノ……。死神さん…………」
「何? アキル……」
「私、もう楽になるよ」
アキルのシスター服は、彼女の血で真っ赤だった。
「此処からはステンドグラスを通して、空がよく見えるの。綺麗で、とても救われる。幼い頃もね。此処に寝転がって、ステンドグラス越しの空を眺めていたの」
「何、言っているの、アキル……」
シノは必死で瓦礫を動かそうとする。……一人では持ち上げられそうにない。
「私は空の向こうに行きたかった。お父さんとお母さんが空の向こうに行ってから、私の願望はより一層、強くなった」
「アキル…………。私は君を助けたいよ…………」
シノは泣いていた。
兄と一緒に沢山の人間を無邪気で残酷に殺めたのに、今までに無かった感情が湧き上がり、シノはただただ泣いていた。
「もう、空に行く…………」
「頑張ってよ…………」
シノが泣きじゃくると、教会の扉が開いた。
兄のセラスだった。
「なんで?」
「いや。シノが何か思い詰めた顔をしていたから」
セラスはアキルに駆け寄る。
そして、シノと一緒に瓦礫をどける。
どうやら、アキルは両脚を怪我しているみたいで、上半身の傷は思ったよりは酷くなかった。肋骨は折れているかもしれないが。
「どうする? セラス。救急車を呼ぶ?」
「そうだね。呼ぼうか」
セラスは頷く
「いいよ…………。ねえ、シノ。お兄さん。私を貴方達の秘密の洞窟に連れていって……。その場所を見てみたい」
アキルはかぼそい声で言う。
セラスとシノは互いの顔を見合わせる。
「どうしよう?」
シノは困惑する。
「出血が酷いから手当てしなければ死んじゃうだろうね。俺、一応、医学の知識あるから、あの部屋で手当て出来るかも」
「大丈夫なの? セラス」
「取り合えず、応急処置しようか」
セラスはアキルのシスターの服の裾を引き裂いていき、傷口を止血する。
†
アキルは二人は秘密の部屋の中にいた。
アキルの両脚には包帯が巻かれていた。どうやら、シーツの上に寝かされている。
アキルはぼうっと辺りを見渡す。
辺り一面は、白骨死体で埋め尽くされていた。
……まるで、この世の光景みたい。
アキルは笑う。
「起きたの?」
隣には、シノがいた。
「…………。此処は死後の世界?」
「違うよ。まだアキルは生きている」
「じゃあ、これは何?」
アキルは訊ねる。
「私達は『セイレーン』と呼ばれている殺人鬼なの。沢山、人を海に沈めて殺して、沢山、水場で殺した。それ自体を目的にした」
「そう。……それでも、シノは友達だよ」
アキルは笑う。
アキルは骸骨の近くに置いてあった貝殻を手にして、自らの耳元に置く。
「海の音色が聞こえるね」
アキルは歌った。
それは物悲しい歌だった。
シノと、医療道具を手にして部屋に入ってきたセラスは、アキルの歌声を聞いていた。寂しくも悲しい音色。きっと、海で遭難する者達の耳には、このような歌声が聞こえているのだろう。
しばらくして、足がよくなるにつれてアキルは置かれている骸骨の二つを愛でるようになった、アキルはお父さんとお母さんのように思えるのだと言う。
アキルは骸骨達とよく会話をしていた。
足が治っていく、といっても、アキルの足の怪我は酷く、もうマトモに歩けそうに無かった。きっと、ちゃんとした医者に見せても同じ事だっただろう。
「なんだか。友達が増えて、嬉しいね」
シノはセラスに言う。
「ずっと、二人きりだったからな」
セラスはオレンジ色の髪を撫でながら楽しそうな顔をしていた。
洞窟の中では、綺麗な音色の歌声が響いている。
『セイレーン』である二人は、今日も波止場を散歩するのだった。
空と海の青がいつにも増して混然一体となり、煌びやかな群青を作り上げていた。
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