販売終了につき
別れというのは突然ですよね。
「そろそろ別れるかもね〜」
なんていうお知らせレベルでも、もはやその一歩が突然という段階に含まれてしまうので、そう言ってしまえば段取りがあったって、事実自体は突然のことです。何言ってんだかさっぱりですが。
出会いにも別れにもグラデーションなんてないですよね。いやあるか。
1を100にするのは大変だが、0を1にするのはもっと大変だ
というのを聞いたことがあります。
0が1になる、たとえグラデーションであったとしても、ぐっと近づいてよく見てみたらその瞬間、「グラデーションの境界」なんてものがどこかにあるはずです。だから突然、まさに突然なんです。少なくとも私からすれば、ほとんどのことが突然になってしまいかねないのかも。
どんなマインドだってな感じですが。
ここまでずっとなんの話をしてたかっていうと、
トーマスのチューイングキャンディ食べられなくなるの無理すぎ❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️
っていう話を…、して…(頬をつたう涙は私の唇を濡らし、チューイングキャンディとは対照的な強い塩気を口内に残した。)
販売終了してたんですって。
今、世に出ている分だけなんですって。
私は、解像度を上げに上げたキャンバスの、何千万分の一ピクセルを、グラデーションの端っこを、ついに超えてしまったところに立っているわけです。
今の私の顔、この悲壮と絶望の顔、
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108572198/picture_pc_46b83ba119983d358434072dde7abc53.png?width=1200)
より引用
STEAM教育では太刀打ちできない問題もあるようです。
悲しいですが、残されたチューイングキャンディを有り難がってしがむしかないのです。
残された者としてできることは何かあるでしょうか。
そういえばあの時、ハイチュウのグリーンアップル味がこの世から消え去ると知った時も、やり場のない怒りで震えながら───悲しみで震えていたのかもしれないけれど───残りのハイチュウを食べるしか出来なかった。そんな私です。
今さらなにを思いついたからって、意味があるのでしょうか。怒りと悲しみに打ち震え、絶望を味わう、もはや美味しく食べて”すてきな思い出”として胸に残す…なんて夢の中のおとぎ話です。
何を大袈裟なと思われるかもしれませんが、私はトーマスのチューイングキャンディが食べられなくなるという悲しい事実と共に、別れは突然だという話をしているのです。始めとは逆です。
グラデーションの境界に立って、解像度を低くすれば私という存在感は一つのドットに取り込まれて喪失してしまうかもしれません。
しかし、確実にこれは突然に起こった悲劇、いや、事実。ノンフィクションで本物(ガチ)の悲しみを、憤怒を、絶望を吐露らせろと、そういうことです。大袈裟?いや、大真面目です。
なあ、
だからさ、
吐露らせろや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それだけのnoteです。
吐露らせてくれて、ありがとう・・・
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