【2人用声劇台本】はなしずか
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戦前の日本。どんな状況でも落語を続けて人々を笑わせる、二人の男がいた。
それはそんな彼らの物語。
※実在する人物、落語の演目、出来事をモデルにしていますが、あくまでもこの物語はフィクションです。
事実とは異なる創作の部分が含まれていることをご了承ください。
※この物語では戦争を賛美する内容の落語が出てきますが、物語全体として戦争を賛美する意図は含まれておりません。
【上演時間】
30分~40分
【配役】
・正蔵(♂):七代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)。落語家。冷静で頼れるお兄さん気質。
※性別変更不可
・金語楼(♂):柳家金語楼(やなぎや きんごろう)。落語家。繊細で努力家の弟気質。
※性別変更不可
【1】
―拍手―
正蔵:「えー、どうもお久しぶりでございます。戦争が終わって、こうして高座(こうざ)へ上がることができるのも何日、何週間、何ヶ月、いえ何千年ぶりでございましょうか。久しぶりすぎてもう自分の名前すら忘れるところでしたよ」
正蔵:「え、もしかして皆さん覚えてない? こりゃいけない。わざわざ名乗るほどのモンでもございませんが、今一度、名乗らせてもらいましょう」
正蔵:「オホン。私、七代目林家正蔵(はやしや しょうぞう)と申します。これでも一応落語家をやらせてもらっております」
正蔵:「さあ、今宵お聞かせ給(たま)うのは、落語に命をかけた馬鹿な男たちの噺(はなし)でございます。……あ、今つまんなそうだなって顔したそこのあなた。いいから最後まで聞いて御覧なさいよ。どうせあんたも暇を持て余した馬鹿だから寄席へ来たんでしょう?」
正蔵:「まあまあそう怒りなさんな。暇ってのは悪いことじゃありません。暇ってのは心に余裕があるから生まれるもんですからね。心に余裕なんてなかったあのときの時分に比べたら、そりゃあもう極楽みたいなもんですよ」
金語楼:「お久しぶりです。兄さん」
正蔵:「おお、久しぶりだなあ。金時喜(きんとき)」
金語楼:「その呼び方はやめてくださいよ。それ、私がデビューしたときの名前じゃないですか」
正蔵:「お前がまだ六歳の頃だっけか。いっちょ前な顔して笑いをとってた生意気なガキがこんなに大きくなるなんてなあ」
金語楼:「まああのときは天才少年落語家だなんだってもてはやされていましたからね。調子に乗っていましたね。お恥ずかしい話ですよ」
正蔵:「まあ、俺から見たらまだまだガキだけどな」
金語楼:「そんなこと言わないでくださいよ。せっかく柳家三語楼(やなぎや さんごろう)師匠に弟子入りして、正蔵兄さんの弟弟子になったんですから。名前も、今度からは柳家金語楼(やなぎや きんごろう)ですよ」
正蔵:「金時喜から金語楼か。お前さんはそんなに金が好きなのかい?」
金語楼:「そりゃ好きですよ。金はピッカピカに輝いてきれいですからね」
正蔵:「ははっ、お前らしいな。……それで、頭もピッカピカなのか?」
(間)
金語楼:「そ、そうなんですよ。歩兵第七十三連隊に入隊したはいいんですけど、戦地で突然体中に紫色の斑点ができちゃって。衛戍(えいじゅ)病院で診察してもらうと、紫斑病(しはんびょう)だって言われて薬を飲んだんです。そしたら副作用でこの通り、面白いように髪が抜けるわ抜けるわで。ここだけの話、紫斑病ってのも誤診なんじゃないかと睨んでいます。まあお陰様で除隊して帰って来て、こうやって落語ができるんですから、ありがたいですよ」
正蔵:「……大変だったな」
金語楼:「いえ。戦地へ行けない分、これからも勉強させていただきます。よろしくお願いします」
正蔵:「おう、よろしくな」
【2】
正蔵:「そんなこんなでまだ二十歳そこそこでハゲ頭の弟弟子と寄席を盛り上げていこうと私は奮闘いたしました」
正蔵:「私はなんとも思っていなかったんですが、金語楼の方はハゲ頭で困っていたようですね。なんせそれまでの金語楼の売りは落語を演じたあと踊りをすることだったんです。ハゲた頭で同じようにやるわけにはいかなくなったんでしょう」
正蔵:「そこであいつは軍隊生活の経験を活かして兵隊落語を演るようになりました」
金語楼(検査官):「おい、山下、お前は甲種合格だぞッ」
金語楼(山下):「えっ、合格、しまったッ」
金語楼(検査官):「なに、しまった?」
金語楼(山下):「いえ、家の表のカギはしめて来たはずで……」
金語楼(検査官):「軍人になれてうれしかろう」
金語楼(山下):「(泣きながら)あーン、う、れ、し、い……」
金語楼(検査官):「なんだ、お前、泣いとるのか?」
金語楼(山下):「はい、うれし泣きです……」
―大きな拍手―
正蔵:「金語楼、よかったじゃあねえか。兵隊落語、最初はどうなることかと思ったけどよ、形になってきてるじゃねえか」
金語楼:「はあ、ありがとうございます」
正蔵:「どうした、嬉しくないのか?」
金語楼:「いや、嬉しいんですよ。でも、兵隊落語をやり始めた頃のことを思い出してしまって……」
正蔵:「ああ、最初お前がやってた兵隊落語は可笑しくも面白くもなくて、どちらかというと従軍の経験を話す人情噺だったな」
金語楼:「はい。あのとき終わって客席を見てみると、涙を拭いている人もあったし、前の方の老人なぞは鼻をすすっている人もありました」
正蔵:「軍隊に行ったことのある人、自分の夫や息子が軍隊に行っている人。そんな客たちの胸を打ったんだろう」
金語楼:「あのときの拍手喝采でしめたと思ったんです。でも、そんなことを考えてしまった自分が今では情けなくなってしまって。自分は本当に、正しいことをしているのでしょうか?」
正蔵:「考えすぎだよ。お前の兵隊落語は客を笑わせてる。それでいいじゃねえか」
金語楼:「そうですね。ありがとうございます」
【3】
正蔵:「兵隊落語は売れに売れ、レコードや劇になるなど、大人気となりました。しかし、憲兵がこれを見て黙っているわけはありません。1928年3月2日付東京日日夕刊にこんな記事が出ました。「憲兵隊に睨まれた 金語楼の『兵隊落語』 軍事上有害と認めて 本人と蓄音器会社へお達し」。」
正蔵:「今売り出しの落語家柳家金語楼が、一枚看板で数年前から高座に読み物に放送に笑わせていた『兵隊』に対し、この1月末、東京憲兵隊から『軍事上有害』との理由をもって『以後しゃべり立てること慎まるべし』という珍妙なお達しがあり、その金語楼が吹き込んだレコード発売元である2、3の蓄音器商会に対しても、兵隊レコードの発売遠慮を通達してきた」
正蔵:「やむなく金語楼はこれまでの兵隊落語からセリフや筋を変えることになりました。流石に金語楼もこれには参ったみたいですね」
金語楼(検査官):「いい体をしている」
金語楼(山下):「じゃァ兵隊になれますか」
金語楼(検査官):「先ずその体なら大丈夫だろう」
金語楼(山下):「有難い、有難いっ!」
―拍手(さきほどよりもまばら)―
正蔵:「お疲れさん」
金語楼:「お疲れ様です」
正蔵:「兵隊落語、前とセリフ変えたんだな」
金語楼:「しょうがないですよ。謹んでくれって言われたんですから」
正蔵:「ま、それもそうか……」
金語楼:「あの、どう思います?」
正蔵:「どうって?」
金語楼:「面白いですか? 今の兵隊落語」
正蔵:「そりゃあ、その、なんだ……」
金語楼:「正直に言ってください」
正蔵:「……面白いとは思わねえな」
金語楼:「そうですよね」
正蔵:「あんまり気負いすぎるなよ」
金語楼:「はい。ありがとうございます」
【4】
正蔵:「ところが戦争の気運は高まっていき、それに合わせて検閲の目も厳しくなるばかりでした」
正蔵:「私達落語家はそんな中で慰問(いもん)する目的で各地の兵隊さん方のところへ出向くことが多くなりました。金語楼なんかは満州の関東軍のところまでわざわざ行ってましたね。そんなことをしながらも金語楼は落語家として兵隊落語が受けて、それを題材に俳優としても活動し始めましてね。1940年には金語楼劇団っていう劇団まで立ち上げちまいました。そんな矢先のことです……」
金語楼:「落語の自粛?」
正蔵:「ああ。七・七禁令(しちしちきんれい)が出ただろ?」
金語楼:「贅沢は敵だっ、質素倹約しろっ、ってやつですよね?」
正蔵:「そうだ。それでだな、落語の演目で遊郭に関した噺、妾(めかけ)を扱った噺、不義・好色な噺、残酷な噺は、戦争遂行の時局を考えてふさわしくないから自粛せよ、だってさ」
金語楼:「そんな、いくらそこまでしなくても……」
正蔵:「今、選定しているんだがな、演じるべきではない落語が五十ほど出てくるみたいだ」
金語楼:「……嫌になりますね」
正蔵:「あんまりそういうことを言うな。憲兵に睨まれちまうぜ」
金語楼:「正蔵兄さんは、悔しくないんですか? そんな窮屈な落語をしたいわけじゃないっ」
正蔵:「悔しいけど、しょうがねえだろ。こればっかりは」
金語楼:「どうして、何も悪いことはしていないのに、禁止されなきゃいけないんでしょうね」
正蔵:「きっと心に余裕がねえんだよ。国のお偉いさんも、客も、俺たちも」
金語楼:「……本当に、嫌になりますね」
【5】
正蔵:「そんなこんなで最終的に五十三種の演目が時局柄ふさわしくないとされて、かけることを禁止されてしまいました。そんでもって自粛の決定と発表では一時的になってしまうっていうので、翌年の1941年10月30日に浅草の本法寺に「はなし塚」っていうバカでかい記念碑をわざわざおっ立てましてね。そこに五十三種の禁演落語の台本、扇子、手ぬぐいなんかを奉納しました」
正蔵:「本心から言うともちろん誰も禁じたいなんて思ってなかったんで、落語家らしい洒落でもって盛大に禁じられた噺を弔ったんですね。記念碑には関係者の名前が彫られてまして、私と金語楼の名前もばっちり刻まれておりました」
正蔵:「今となっては、笑い噺……いや、今となっても笑いなんてひとつも起きない噺です」
金語楼:「……兄さん」
正蔵:「なんだ」
金語楼:「私は、私たちは、殺してしまったんですね」
正蔵:「殺したって、何を?」
金語楼:「もちろん、落語を、ですよ」
正蔵:「なに言ってるんだよ。俺たちは落語家だぜ? むしろ落語を生かして(いるんだろ)」
金語楼:「(被せて)これで生かしているっていうんですかっ!」
正蔵:「……」
金語楼:「禁演落語なんて勝手に決めて、古くから愛されてきた落語を、いきいきとしていた落語たちを、私たちは生き埋めにしたんですよ。これが殺したと言わずしてなんと言えばいいんですかっ」
(間)
正蔵:「俺は、それでも高座へ上がる」
金語楼:「兄さん……」
正蔵:「俺は落語家だもんなあ。戦場へ行って銃を持つよりも、寄席へ行って扇子持ってるほうが性に合ってる」
金語楼:「そうは言っても、肝心の噺をかけちゃいけないって言われたら……」
正蔵:「嘆いても始まらねえだろ。演れる演目が減った分、新しい落語でも書くか」
金語楼:「兄さんのそういう前向きなところ、羨ましいです」
正蔵:「なに他人事みたいに言ってんだお前も書くんだよ」
金語楼:「え?」
正蔵:「近々落語集を出す予定なんだ。ぜひお前も書いてくれ」
金語楼:「……分かりました。書いてみせます」
正蔵:「ありがとよ。頼りにしてるからな」
金語楼:「はい、私も覚悟を決めました。何がなんでも、落語に食らいついて見せます」
【6】
正蔵:「この時期はいよいよ戦争の色が寄席にも染み付いてきましてね。毎月、高射砲献納興行(こうしゃほう けんのうこうぎょう)なんて名目で寄席を開きましてね。興行での上がりを全部軍部へ献納しようってやつです」
正蔵:「国民服令なんてのもありました。全員国民服を着ろっていうんで、もちろん私達落語家も寄席への行き帰りには国民服を着せられました。一時は落語家が来ている羽織が贅沢だってんで高座へ上がるときも国民服を着用しなければいけないんじゃないかと真剣に議論されたもんです。まあ羽織でしかできない芸もあるってことで結局ここまでは言われませんでしたけどね。戦争が続いてたら国民服で高座へ上がることになっていたかもしれません」
正蔵:「ここからさらに加速しましてね。ふさわしくない落語を禁止するだけでなく、戦争を賛美し人々を鼓舞するような新作落語、いわゆる国策落語っていうやつです。そういう演目をするようにと言われました。寄席には監視の目がついて、警察用の臨監席(りんかんせき)なんてものも作られました。そりゃあもう、演りにくいことこの上ないですよ」
正蔵:「雑誌や落語集の本にもそういった国策落語ばかりが掲載されてましたね。私も「出征祝」なんて国策落語を書き下ろしておりました。ですが、そんな中で一番国策落語を書いたのは、金語楼でした」
金語楼:「えー、一年八十億を目標に、貯蓄報国の重大時局でございますが、それに尽力した夫婦がおりました」
金語楼(妻):「ねえ、あなた」
金語楼(夫):「なんだい?」
金語楼(妻):「戦争遂行の資金のために、私達でなんとか貯金しましょうよ」
金語楼(夫):「それはいい。じゃあこうしよう。ここに貯金箱がある。この貯金箱に僕でもお前でも、なにか腹を立てて怒ったら、五十銭づつ入れるんだ」
金語楼(妻):「まあ、素晴らしい考えね!」
金語楼:「こうして貯金をすることを始めたはいいものの、この夫婦は熱心すぎるあまり、次第にいかに相手を怒らせるかの合戦になってしまいます」
金語楼(夫):「なにっ、飯の支度を忘れただとっ!」
金語楼(妻):「女のところへ出かけるってどういうことですか!」
金語楼:「そんなある日、妻の父親が相談にやって来ました。なんでも弟が会社の機械を壊してしまい、修理に四十円が必要なんだとか。そこで夫婦は貯金箱を開け、貯めたお金を父親に渡します」
金語楼(父):「ありがとう。本当にいい旦那様のところへ縁付いてお前は幸せだよ。いつまでも可愛がっていただくように、お前も仲良くしなさいよ」
金語楼(妻):「お父さんそんなのダメよ」
金語楼(父):「ダメって、仲良くすることの一体何がダメなんだい?」
金語楼(妻):「仲をよくした日には、あとのお金が貯まりません」
―拍手(前よりもさらにまばら)―
正蔵:「お疲れさん」
金語楼:「お疲れ様です」
正蔵:「よかったんじゃねえか、今の噺。よく出来てるし、客のウケもよかった」
金語楼:「こんな歪(いびつ)な笑いがウケるなんて、世も末ですよ」
正蔵:「歪?」
金語楼:「私はこんな噺を演りたいんじゃない。もっと朗らかな笑いが自然と出てくるような、そんな噺を演りたいんです。今の客の笑いは、全然朗らかじゃなかった」
正蔵:「それでも、客は笑いを求めて寄席にやってきてる。こんな時代だからこそ、奮起させるような、活力を渡せるような落語をしようじゃねえか」
金語楼:「奮起させて、それでその先はどうなるんですか?」
正蔵:「そ、それは……」
金語楼:「すみません、帰って新しい噺を書かないといけないので。お先に失礼します」
正蔵:「……はあ、高座に上がるのも楽じゃねえや。くっそ、……重てえな」
【7】
正蔵:「もちろん、国策落語なんて金語楼の本意ではなかったのでしょう。落語集『成金の夢』の前口上にはこんな風に書かれております」
金語楼:「落語報国という、私のモットーをおくみとり下さい。内容は国策線に順応した時代を落語という形式にまとめて、脱線もしておりますが、いささかお国の為に尽くしている私の気持ちをお含みください」
正蔵:「それでも金語楼は国策を意識した新作落語を書き続けました。」
正蔵:「しかし、金語楼がお国のために役立とうとしているのに、天皇制権力は冷たい仕打ちをなさいました。1942年。金語楼から落語家の職を奪ったんです」
正蔵:「金語楼は落語家のかたわら俳優として芝居や映画にも出演していましたから、統制がかかったんですね」
金語楼(警察):「いかん。きみは、はなし家の看板をはずして俳優の鑑札(かんさつ)にし給え。第一、きみがはなしをしたら、お客が笑うじゃないか……」
金語楼:「そりゃ笑いますよ、笑わせるのがはなし家の商売だもの……」
金語楼(警察):「それがいかん、いまどきそんな……第一それに、芝居なら「ここがいけないからこう直せ」と結果がつけられるのと違って、落語というやつはつかみどころがない……」
金語楼:「でもねえ、三十何年この方、私は高座を離れたことがなかったんですよ」
金語楼(警察):「いやダメだ。どうしてもはなしがやりたけりゃ余暇にやるがいい。本業はあくまでも俳優の鑑札にしなきゃいかん……」
正蔵:「そんなふざけた話があるかっ」
金語楼:「もう、呆れてものも言えませんでしたよ……」
正蔵:「お前は人気があるからな。余計に目をつけられたんだろうな」
金語楼:「売れるのが仕事なのに、売れちゃいけないなんて。どうやって食っていけばいいんですか」
正蔵:「まあ、余暇でやるにはいいってことなんだろ? 今までのようにはいけねえだろうが、上げられる機会があれば呼んでやるよ」
金語楼:「ありがとう、ございます……」
正蔵:「いいんだよ」
(間)
金語楼:「正蔵兄さん」
正蔵:「なんだよ」
金語楼:「人は、いつから笑ったらいけなくなったんでしょう?」
正蔵:「……」
金語楼:「落語は、いつから戦争の道具になったんでしょう?」
正蔵:「……」
金語楼:「私は、あといくつ、そうやって人を戦争に駆り立てるような、麻薬のような噺を書かないといけないんでしょう?」
正蔵:「……」
金語楼:「戦争は、どれだけ私から大切なものを奪えば気が済むんでしょう?」
正蔵:「……今は耐えるしかねえ。きっといつかまた自由に落語のできる日がくる。それまで、お互い這いつくばってでも生き延びようぜ。生き残ったら絶対に俺が、這いつくばってるお前を見つけて全力で笑ってやるよ」
金語楼:「ははっ。兄さんにだけはそんな姿見られたくないですね」
(間)
正蔵:「……元気でな」
金語楼:「はい。正蔵兄さんも、お元気で」
【8】
正蔵:「金語楼は落語家を廃業して、寄席から姿を消してしまいました」
正蔵:「ただ、俳優としては活躍していました。1944年以降より戦争が激しくなり、この頃は舞台中でも空襲警報が鳴ったり、空襲で火事が起きた時などは軍服に着替えて受け持つ地域の消火準備や消火に当たる警備召集の任務に就いたそうです」
正蔵:「1945年になってからはお互いに慰問隊として活動していましたね。寄席にいても客は来やしませんから、軍需工場や農村など国内の慰問に出かけるんです。徴用逃れの気持ちもあったかもしれません」
正蔵:「けれども戦局は悪化するばかりで、国内も安全とは言えなくなりました。そして、1945年3月10日。大きな空襲が東京を襲い、約十万人もの命を奪いました。東京大空襲です」
正蔵:「あ、いたいたっ。おい、無事かっ」
金語楼:「ああ、正蔵兄さん……。ご無事で何よりです」
正蔵:「本当だよ。お互い何もなくてよかった。すっかり焼けちまったからな」
金語楼:「他の方々は無事なんでしょうか?」
正蔵:「六代目一龍斎貞山(いちりゅうさいていざん)さんが亡くなったらしい」
金語楼:「えっ、会長が?」
正蔵:「テキヤの親分が偶然山で見つけたんだと。山へ逃げて行って、川に飛び込んだんだろうな。棺桶を作ろうにも物資がないからペコペコのベニヤ板で作った粗末なもんに入れて荷車で引いたらしい。講談落語協会会長の最期としたら、惨めなもんだ」
金語楼:「そう、でしたか……」
正蔵:「こういう言い方はよくないけどよ。お前だけも無事で、本当によかったよ」
金語楼:「よくありませんよ。すべて燃えたんですよっ」
正蔵:「……」
金語楼:「劇場も人の命も、全て燃えて、それなのに私は悠々と生き残っている……。こんなの生き地獄だ。こんなことなら死んだ方がマシだったかもしれない」
正蔵:「そういう考えはよくないぞ」
金語楼:「兄さんはよく平気でいられますね。自分は関係ない、傷ついてなんかないってフリをして。兄さんには人の心ってもんがないんですか?」
正蔵:「なんだとっ!」
金語楼:「僕は兄さんのように強くはないんです!」
正蔵:「っ!」
金語楼:「人の心を捨てるなんてできません。もう芸人として人を笑わせるなんてできませんよ。僕自身が戦争ですべて失って、笑えないんですから」
正蔵:「金語楼……いや、金時喜(きんとき)」
金語楼:「なんですか?」
正蔵:「俺はこういうの初めてだからよ。ズレても文句言うなよ」
金語楼:「ズレるってなんのこと……」
―正蔵、金語楼にビンタをする―
金語楼:「いっつ……何するんですか!」
正蔵:「俺に人の心がねえだと? そんなわけねえだろっ。人の心がねえやつに、落語なんてできねえんだよ。人の心があるからこそ、人の心を笑わせられるんだ!!」
金語楼:「……」
正蔵:「誰が人の心を持つなって言った。警察か? 憲兵か? そんなの言わせておけばいいんだよ。どれだけ言われても。人の心を捨てちゃいけねえ。隠し持ってりゃいいんだよ」
金語楼:「隠し、持つ」
正蔵:「そうだ。そうしていつか平和になって自由に落語ができるようになったら、またそれを懐から出して、高座に出て、客を笑わせりゃいいだけの話だろう?」
金語楼:「そんなの、いつになるか分からないでしょう」
正蔵:「でも、いつかきっと来る。お前もそう信じてるから、落語家を廃業しても新作落語を書き続けてるんだろう?」
金語楼:「……」
正蔵:「それまで、落語を絶やさないように。そのときが来たときに、復活させて次の世代へ伝えていけるように、耐える。それが今の俺達にできることだろう」
金語楼:「……はい」
正蔵:「それに、いつだったか言ってただろう。お前の言ってた朗らかな笑い。それをお前がまた作り出すのが楽しみ過ぎて、俺はまだ死ねねえよ」
金語楼:「分かりました。きっと、きっと、作って見せます……」
正蔵:「おう、待ってるからな」
【9】
正蔵:「やがて終戦を迎え、日本は何もかもを失いました」
正蔵:「けれども、逆に言うと、新しいスタートを切ったんです」
正蔵:「金語楼は俳優として映画やテレビに出ずっぱりになりました。」
正蔵:「禁演落語は1946年9月13日に落語界の関係者が集まって復活祭を盛大に開き、現在ではもちろん堂々と演じられるようになっています」
正蔵:「私はそうして朗らかな笑いが戻ってきたのを見届けて、1949年10月26日に風土病でこの世とおさらばしました」
正蔵:「過去のこと忘れろなんて言いません。戦争の中で笑いなんて決して生まれなかった。そのことは覚えておいて欲しいんですよ」
正蔵:「でもね、それ以上に大事なことがあります。皆さんは誰もが笑うことができる時代に生きているんです。どうか、辛気臭い顔をしないで、私たちが笑えなかった分も、大いに笑って生きてください。それが、たったひとつの。私たちからの願いです」
正蔵:「さて、長々と話してしまいましたが、以上で終わりにしたいと思います。え、もっと聞きたい? 嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか。けど、そろそろお時間です。名残惜しいですが、しんみりした終わり方はやめましょうよ」
正蔵:「なんたって、せっかくのいい噺なのに、はなしずか(はなし塚/話静か)で終わらせるなんて、もったいないですからね。お後がよろしいようで」
―拍手―
《終》
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