【短編小説・1人用朗読台本】無機質な世界より、アイをこめて。⑦Justice
この作品は、声劇用に執筆したものです。
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ある日、世界は私だけを残して、止まってしまった。
これは決して比喩ではない。文字通り、止まったのだ。
当たり前のように、目を覚ますと止まっていたのだ。
これは、そんな世界で生きた、一人の愚かな人間の手記である。
ーワタシは、正しくあれたのだろうか。ー
※このシナリオはシリーズ台本です。単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通してご覧いただいた方が、より楽しめるかと思います。
【上演時間】
約10分
【配役】
ワタシ(男):この手記の書き手。時間が泊まった世界に生きている。
※性別変更可
先生(男):医者。真面目で冷淡で不器用。
※性別変更不可
※このシナリオはシリーズ台本です。単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通してご覧いただいた方が、より楽しめるかと思います。
ワタシ:時間がワタシだけをおきざりにして止まってしまってから、どれほどたっただろう。
ワタシ:あの人がいなくなってしまってから、どれほどたっただろう。
ワタシ:このせかいにいることは正しいことなのだろうか。
ワタシ:正しいか正しくないかなんて、だれかがかってにきめたことだ。
ワタシ:ゼンだとかアクだとか、そういうものさしはここではまったくやくに立たない。
ワタシ:ゼンとはショウシャ。アクとはハイシャ。多数と少数。それだけだ。
ワタシ:ひとりでゼンとアクをはんだんすることなんて出来ない。
ワタシ:いや、むしろ、ここではワタシがすべて。ワタシが、ゼンなのかもしれない。
ワタシ:あれから、体がどんどんだるくなってくる。おもくなってくる。
ワタシ:ねたきりで体のふしぶしがいたくなってきた。なんとかからだをおこす。
ワタシ:歩くことさえむずかしくなってくる。力が入らない。足どりがおぼつかない。
ワタシ:ふらふらと歩く。見えるのは、かなしむ人。くるしむ人。あわれむ人。もがく人。あきらめた人。
ワタシ:はき気。息切れ。めまい。
先生:――……少し、お話ししたいことがあるのだが、よろしいかな?
ワタシ:どこからか、声だけが聞こえる。しんさつ室の中に入る。一人の中年のイシャ。すべてをさとったような、さめた目。
ワタシ:――あ、は、はい……
ワタシ:かわいてしゃがれた声を出す。いすにすわって向き合う。
先生:――きみは、わたしのことをうらんでいるんじゃないか?
ワタシ:――…そんなことはありません。
ワタシ:ワタシは、この人のことを知らない。いや、おぼえていない。
先生:――わたしがかのじょを見ごろしにしたとしても、そう思うかい?
ワタシ:――…見ごろしって、どういうことですか?
先生:――かのじょが言ったんだ。つらくならないうちに、ころして楽にしてくれとね。
ワタシ:かのじょはワタシにそんなことは言わなかった。そんなようすも見せなかった。
ワタシ:――そんなこと、知りませんでした。
先生:――きみには言わないでくれとたのまれていたからね。ここしばらく、かのじょはちりょうなんてうけていなかったんだよ。ただベッドでねていただけだった。
ワタシ:ただしぬのをまつだけ。すくいなんてない。考えるだけでもおそろしい。
ワタシ:――ここに来た人をすくうのが、あなたのしごとでしょう?
先生:――そうだ。
ワタシ:――なぜ…あの人を、母さんを、すくってくれなかったのですか?
先生:――いや、わたしはかのじょをすくったんだ。
ワタシ:――すくった?バカなことを言わないでくださいっ…
ワタシ:あんなものがすくいであるはずがない。少なくともワタシにとってはあれは…
先生:――きみはなにか思いちがいをしていないか?すくうとは、なにもちりょうしていのちをすくうことだけじゃない。
ワタシ:――では、教えてください。すくうとは、どういうことですか?
ワタシ:すくうことがしごとだというのなら、わたしをすくってくれ。
先生:――すくうとは、安らぎをあたえることだと思う。それがけっかとして生きることになったとしても、しぬことになったとしてもね。
ワタシ:先生はたんたんと語った。心ぞうの音がうるさい。それでも、先生の声は入りこんでくる。
ワタシ:――生きていなければ、いみなんてありません。ワタシは、母に生きていてほしかったんです。
先生:――それはきみのつごうだろう?
ワタシ:――えっ…
先生:――かのじょは生きることをのぞんでいなかった。生きていてほしいと思っているのは、きみのエゴではないのかね。
ワタシ:――そんなことはありません。きっと母も…
先生:――生きていたいと、いちどでも口にしたかい?
ワタシ:――いえ…
先生:――それともなにか。きみはかのじょにいきていたいと思わせることができたというのかい?かのじょに安らぎをあたえることができたというのかい?
ワタシ:――それは…
ワタシ:思い出すことば。ごめんね。さいごにそう言った。ワタシは何もしてやれなかった。
先生:――自分が何も出来なかったからと、それをワタシたちだけにおしつけるのはやめてくれ。
ワタシ:――けど、だからといって、イシャであるあなたは、かんじゃが生きるように手をつくすべきでしょう?
先生:――もちろん出来ることはすべてしたさ。それに、いくらなおしたとしても、かんじゃが生きたいと思わないのであれば、いみはない。
ワタシ:――母は、本当に生きることをあきらめていたんですか?
ワタシ:ワタシはひていしてほしかった。しんじたくなかった。
先生:――にんちしょうというのは、きみが思うよりもつらいものだ。かのじょは、ずっとくるしんでいた。弱っていく体に。いずれすべてをわすれてしまうきょうふに。自分ではなくなってしまうふあんに。だれからもひつようとされないのではないかというぎわくに。
先生:――きみがいないとき、かのじょはよくわたしにたずねた。「先生。わたしが生きるいみはなんですか?」とね。そしてかのじょはついに、すべてをわすれてしまってたすかる見こみもなくなったら、ころしてほしいと。そう言ったんだ。
ワタシ:――あなたはそれをただかなえただけだと、そう言いたいのですね?
ワタシ:先生がその時に止めてくれていれば。たとえ長生きできなかったとしても、もう少し生きることができたなら、むくわれたんじゃないか。
先生:――もちろんわたしもはんたいしたさ。あきらめずに少しでもきぼうをもって、さいごまで生きるべきだとね。一度きみと話し合うようにも言った。
先生:――けれどね、かのじょはそれでもしぬことをえらんだ。何もかも分からなくなってきみにめいわくをかける前に、きえてしまいたい。きみの母親としていられるうちにわかれたい。そういう思いがあったんだろう。
ワタシ:――ワタシのために、いや、ワタシのせいで…母は…
ワタシ:そこから先は言えなかった。みとめたくなかった。ワタシだけはあの人の力になれたと思っていたのに。
先生:――きみが自分をいくらせめようとかってだが、少なくともわたしは、だれのせいだとも思わない。きみのせいでも、わたしのせいでも、かのじょじしんのせいでもない。
ワタシ:――あなたのようにわり切ることはできません。
先生:――わたしだって、わり切ることはできない。イシャにとってかんじゃをすくえないことがどれだけつらいことか、考えたことがあるかい?ましてやこっちは生きていてほしいとちりょうをしているのに、くるしい顔で「しにたい」なんて言われてみろ。きみはそんな人に「生きてくれ」なんて言えるか?
ワタシ:そこではじめて先生はかんじょうをあらわしたように思う。ワタシはだまって目をそらした。
先生:――わたしだって、ころしたくはなかった。けれど、心も体も弱っているかのじょを見ているのは、もっとつらかった。だから、かのじょにちんせいざいとちしやくをとうよして、ほうっておいたんだ。だから少なくとも、肉体てきないたみはなく、おちついてさいごをむかえられたと思う。きみにとってはなぐさめにもならないだろうが…。
ワタシ:――そこまで、母のことを考えてくださっていたのですね。
先生:――うったえたければうったえてもらってもかまわない。ただ、じゆうに生きるけんりがあるのなら、じゆうにしぬけんりもある。わたしはそう思うんだ。そして、それをひていすることなんて、だれにも出来ないと思うんだよ。
ワタシ:じゆうにしぬけんり。そのことばが、ワタシの中で何回もひびいた。
ワタシ:――なぜ、わざわざワタシにこのことをつたえたんですか?
先生:――きみにはしるけんりがあった。それに、これはわたしのざんげでもある。すくうためとはいえ、かんじゃをころしてしまったことへのね。もちろんこうかいはしていない。自分のせんたくは正しかったと思っている。
ワタシ:かんじょうのままにうらむことが出来たなら、どれだけ楽だったろう。先生をせめることは出来ずに、わたしはうつむいていた。
先生:――正しいと思うしかない。イシャはカミじゃない。しょせんはただの人間だ。何が正しいかなんて、分かるわけがない。だれでもすくえるわけじゃない。イシャになってみて、気がついたんだよ。ははっ…おかしいだろう?
ワタシ:生きることとしぬこと。正しいこととまちがっていること。ずっとそれとむかい合っていた。先生は、かなしい目と声をしていた。
先生:――かんじゃをたすけられなかったことで人ごろしとよばれるのなら、イシャはどんなきょうあくなさつじんはんよりも、人をころしていることになるだろうね。
ワタシ:すくうことが安らぎをあたえることだと先生は言った。
先生:――なあ…きみは、わたしが人ごろしだと思うかい?
ワタシ:なら先生のことは、一体だれがすくってくれるのだろう。
ワタシ:――ワタシにだって、正しいかどうかなんて分かりません。ただ、先生はかんじゃのことを考えてくれた。母のちりょうをしてくださったのが先生でよかったと、今思いました。先ほどは、しつれいなことを言ってしまいました。すみません。
先生:――いや、いいさ。うらまれることにはなれている。
ワタシ:――あ、あと、これ。母がくれたものなんですが、よかったら、もらってください。
ワタシ:母がおったてんしのおり紙を、先生の手の上にそっとのせた。
先生:――…ありがとう。
ワタシ:小さな声。安らかにいきを引きとるように、先生は止まってしまった。
ワタシ:だれもがすくいをもとめている。
ワタシ:すくいたいと思っている。
ワタシ:だれもが自分は正しいと思っている。
ワタシ:正しくありたいと思っている。
ワタシ:ワタシは、正しくあれたのだろうか。
ワタシ:それを教えてくれる人は、ここにはいない。
ワタシ:正しいことは、よいことだろうか。
ワタシ:まちがうことは、わるいことだろうか。
ワタシ:まちがいだらけの人生と言われながら、ワタシは生きている。
ワタシ:どうか、そんなワタシを、ゆるしてください。
ワタシ:どうか、そんなワタシを、見つけてください。
《つづく》