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【3人用声劇台本】夢浜(ゆめはま)

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酒好きの自堕落な大学生、金光(かねみつ)。 酒を飲んで寝てしまい、気づくとそこは1960年の芝浜。 そこで出会った桂幹助(かつら みきすけ)に弟子入りすることになるが、幹助の芝浜に対する想いに触れた金助は少しずつ変わっていき……。 落語の芝浜の裏には、夢がある。そんなお話。

《上演時間》
約30分

《配役》

金助(♂):金助(きんすけ)。本名は金光(かねみつ)。大学生。酒を飲んで大学をサボってばかり。落研の幽霊部員。情熱を持って真面目になにかに取り組んだことがない。

貴子(♀):貴子(たかこ)。幹助の妻。波のように押して返すような人。 ※銀杏と兼役

幹助(♂):三代目桂幹助(かつら みきすけ)。落語家。「芝浜」を得意演目としている。穏やかでいつも誰かを見守っている。

銀杏(♀):銀杏(いちょう)。金助の幼なじみ。落研の部長。金助を気にかけている。浜のように柔らかくサバサバした人。 ※貴子と兼役


金助:「あぁ、金が欲しいもんだ」

銀杏:「なら無駄遣いをやめなよ、金光(かねみつ)」

金助:「無駄遣いなんてしてねえよ?」

銀杏:「なに言ってるのさ。昼間っから大学の講義をフケて酒飲んでるくせに」

金助:「いいだろ。自分でバイトして稼いだ金なんだから」

銀杏:「そりゃあそうだけどさ。サークル活動にはちゃんと出てきなよ。一
応、落研(おちけん)の副部長なんだから」

金助:「銀杏(いちょう)。お前が強引に引き入れただけだろ」

銀杏:「だってあたしは部長だから。部員確保に動くのは当然でしょ」

金助:「それにしたってもっと他に適任がいただろう。俺は落語に興味なんてねえんだし」

銀杏:「でも、そう言いながら落研に入ってくれたし、副部長を引き受けてくれたじゃん」

金助:「そりゃあ、まあ、銀杏とは中学からの付き合いだからな。でも、落語はやらねえぞ」

銀杏:「はいはい。でも明日は来てよね。落研の高座があるんだから」

金助:「酒買ってくれんなら行ってやらんこともない」

銀杏:「もう、なんでこんなやつに目をかけてるんだろ……」

金助:「なんか言ったか?」

銀杏:「なんでもない。とにかく、酒飲みすぎないようにね。明日待ってるから」

金助:「飲まずにやってらるかってんだ。(缶ビールを飲む)んっ……んっ……ぷはあーー」



貴子:「もし」

金助:「んんー……」

貴子:「もし、起きてくださいまし」

金助:「もう飲めない……」

貴子:「飲めないって、それ以上海水を飲んだら身体に毒ですよ」

金助:「うああっ、ぺっぺっ……」

貴子:「あの、大丈夫ですか?」

金助:「な、なんとか。海水をたらふく飲んでしまいました。……って、なにしてるんだよ。銀杏(いちょう)」

貴子:「いちょう? イチョウは咲いておりませんが」

金助:「え。だってどっからどう見ても……。いや、似てるけど違う。銀杏よりも年上だ」

貴子:「あの、イチョウが、どうかしましたか?」

金助:「ああ、いえ。あんたが知り合いに似ていたもんだから、勘違いをしてしまって。すみません」

貴子:「ああ、なるほど。ありますわね。そういうことも」

金助:「ええ、俺も驚きました」

貴子:「私の方こそ驚きましたわ。浜辺で寝ているんですから、びっくりしましたよ」

金助:「なんで浜辺なんかに……って、ここ、どこですか?」

幹助:「芝浜だよ」

金助:「芝浜? どっかで聞いたことがあるような……」

幹助:「落語が好きなら聞いたことくらいあるんじゃないかい。「芝浜」って噺があるんだよ」

金助:「ああ、銀杏が言ってたのを聞いたことがあるような。……ところで、あなたは誰です?」

幹助:「あたしは3代目桂幹助(かつら みきすけ)だよ」

金助:「桂幹助。落語家みたいな名前ですね」

幹助:「みたい、じゃなくて落語家なんだよ」

金助:「えっ、本当に?」

貴子:「本当ですよ。業界でも名の知れた噺家(はなしか)です。そして、私はその妻の貴子(たかこ)と申します」

金助:「へえ、そうなんですね」

幹助:「それより、お前さんこんなところで何をしているんだい?」

金助:「どうやら酔っ払っていつのまにかここで寝ちゃったみたいで」

貴子:「まあ、じゃあご自宅はこのあたりなんですか?」

金助:「多分そうだと思います。電車かなにかで帰りますよ……って、あれ」

幹助:「どうしたんだい?」

金助:「いえ、どうやらスマホも財布も波にさらわれたみたいで、見当たらなくて……」

貴子:「スマホ、というのはよく分かりませんけど、財布を落としたとなるとお困りでしょう」

金助:「は、はい……どうしよう」

幹助:「なら金を貸してやろう」

金助:「え、でも、そんな……」

幹助:「無名の落語家から金なんて借りられないかい?」

金助:「いや、そういうわけじゃないですけど、でも悪いですよ……」

幹助:「心配するんじゃない。お前さんみたいな若造から心配されるほど貧乏じゃないからさ。それに、きっと金がないと帰れないんだろう? いいから受け取りな」

金助:「はあ、では、お言葉に甘えて……って、これ、なんですか?」

幹助:「なにって千円札だよ」

金助:「俺の知ってる千円札とは少し違うんですけど。なんで聖徳太子が描かれているんですか?」

幹助:「なんでって、偉大な功績を残した人だからだろ?」

金助:「いや、それ何年前の紙幣ですかっ。聞いたことはあっても、見たことがなかったですよ、そんな昔のお札なんて。一体、今何年だと思っているんですか!?」

幹助:「何年って」

貴子:「昭和35年でしょう」

金助:「…………は? 昭和35年?」

貴子:「はい。今は1960年、昭和35年です」

金助:「なんてことだ……」

貴子:「あの、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」

金助:「嘘だ……嘘だ、嘘だーーっ!!」



金助:「んん……はっ……! なんだ。そっか俺、夢を見てたのか」

貴子:「気が付きましたか?」

金助:「うわあっ!」

貴子:「大丈夫ですか? まだ疲れがとれていないみたいですけど」

金助:「夢じゃ、なかった……」

貴子:「夢? そんなわけないじゃないですか」

金助:「はあ……。それより、ここはどこなんですか?」

貴子:「落語をやる劇場、寄席の楽屋ですよ。ちょうど高座が始まりますから、よければ見ていきませんか? きっと気に入っていただけると思いますよ」

金助:「はあ、まあそこまで言うなら」

―拍手―

幹助:「えー、酒は百薬の長(ちょう)なんてことを申しますが、飲みすぎるとよいことはございません。からだを壊す、商売をおろそかにするということになったりしますからな。芝の金杉に住んでいた魚屋の金さん。腕のいい魚屋で、ほかに道楽はないのですが、酒を飲むと商売を怠けるのが玉にキズ。いつも貧乏でぴーぴーしております」

幹助(金さん):「うー、寒い寒い。眠気なんかすっかり覚めちまった。しかし、魚屋なんてつまらねえ商売だなあ。みんないい気持ちで寝てるってのに、こうやって天秤かついでいかなくっちゃならねえんだからな。それにしても暗(くれ)えなあ……あっ、鐘が鳴ってやがる……ふーん、河岸(かし)へきて鐘の音を聞くのも久しぶりだなあ……あれっ、暗えわけだ。かかあのやつ、そそっかしいじゃねえか。時刻(とき)を間違えて早く起こしゃがったんだな。なんてやつだ。……まあ、しょうがねえや。浜へ出てツラでも洗うとしようか」

幹助:「金さん、久しぶりの浜を懐かしそうにぶらぶらやってきますと、なにか足に引っかかるものがあります」

幹助(金さん):「なんだろう……あれっ、財布だ。革にゃあちげえねえが、なんてまあきたねえ……それにしても重てえなあ……中はどうなってるんだろう……あっ、金(かね)、こりゃあ、大変だっ」

幹助:「金さん、慌てて財布を腹掛けの中へ突っ込むと、うちへ飛んで帰ってきました」

幹助(金さん):「おい、あけてくれ、あけてくれ」

貴子(かかあ):「はい、開けます、今開けますから……ごめんよ、お前さん。間違えて早く起こしちゃって」

幹助(金さん):「そんなことより、今、浜で財布を拾っちまったんだ。中を見ると、金がいっぺえへえってるじゃねえか。もう、おら驚いちまって……」

貴子(かかあ):「えっ、お金を? あらっ、小判だよ。本当に……一体いくら入っているんだい? あら、あら、あらっ、五十両も……」

幹助(金さん):「これだけ金がありゃあ、もう好きな酒飲んで、遊んで暮らしていけらあ」

幹助:「金さんは大喜びでさっそく友達を呼んできて、飲めや歌えの大騒ぎのあげくに酔い潰れて寝てしまいました」

貴子(かかあ):「お前さん、お前さんてば……」

幹助(金さん):「あっ、あー、なんだ?」

貴子(かかあ):「なんだじゃないよ。いつまでもそんなところでうたた寝してたら風邪引いちまうよ。明日の朝はやいんだから、ちゃんと布団に入っておやすみよ」

幹助(金さん):「なんだと? 明日の朝? 商売か? 冗談言うねえ。商売なんかおかしくって……」

貴子(かかあ):「なに言ってるんだよ。商売に行かないでどうするのさ。今日の飲み食いの勘定だって払えやしないじゃないか」

幹助(金さん):「そんなものは、あの五十両で払えばいいじゃねえか」

貴子(かかあ):「えっ、なんだい? 五十両? どこにそんなお金があるのさ?」

幹助(金さん):「おいおい、しっかりしろよ。今朝俺が芝の浜で拾ってきた五十両があるじゃねえか」

貴子(かかあ):「なに言ってるんだよ。お前さん、今朝芝の浜なんぞに行きゃあしないじゃないか」

幹助(金さん):「なんだと? そんなことがあるもんか。革の財布を拾って、それをおめえに渡したじゃねえか」

貴子(かかあ):「お前さんてえ人は……いくら貧乏したからって、お金を拾う夢を見るなんて……」

幹助(金さん):「えっ、夢だって?」

貴子(かかあ):「そうさ、夢に決まってるじゃないか」

幹助(金さん):「するとなにか? 財布を拾ったのは夢で、飲んだり食ったりしたのは本物か? とんだことをしちまったもんだ。それにしても金拾った夢を見るなんて、我ながら情けねえや。これというのも酒がわりいんだ。もう酒はやめるぜ。おらあすっかり目が覚めたぞ」

幹助:「それからというものは、好きなお酒もぴったりやめた金さんが、朝も早くから河岸へゆきまして、いい魚を仕入れてきては、お得意様へ持っていきます。三年経つか経たないうちに、裏長屋住まいの棒手振りの魚屋が、どうにかこうにか、表通りに小さいながらも魚屋の店を出すことができました。ちょうど三年目の大晦日の晩のことです」

幹助(金さん):「ああ、いい気持ちだなあ。こうやって畳をとりけえた座敷で正月を迎えられるなんて」

貴子(かかあ):「ねえ、今日はお前さんに見てもらいたいものがあるんだけれど……」

幹助(金さん):「なんだって?」

貴子(かかあ):「これを見とくれ」

幹助(金さん):「おやっ、財布じゃねえか。汚えけど、革の財布だな」

貴子(かかあ):「夢じゃないんだよ。本当に三年前に財布を拾ったんだよ」

幹助(金さん):「なんだと!」

貴子(かかあ):「だって、お前さんは、明日っから商(あきな)いなんてしないで、酒を飲んで遊んで暮らすって言うじゃないか。だから夢だ、夢だっておしつけたら、お前さん、一生懸命商いに精を出してくれるじゃないか。……このお金も、落とし主がないからってかなり前にお上から下がってきたんだけど、これを見せてお前さんが元の怠け者に戻っちゃあ大変だと思って、あたしゃ心を鬼にして今まで隠してきたんだよ」

幹助(金さん):「……」

貴子(かかあ):「ねえ、お前さん。さだめし腹が立つだろうねえ。自分の女房にずっと嘘をつかれていて……どうか気の済むまで、あたしをぶつなど蹴るなどしておくれ」

幹助(金さん):「おうおう、待ってくれ。どうして、どうして、殴るどころの話じゃねえや。そんなことをしたら、俺の手が曲がっちまわあ。えれえや、おめえは、まったくえれえ。俺は改めて礼を言うぜ。この通りだ。ありがとう」

貴子(かかあ):「じゃあ、本当にあたしを許してくれるんだね?」

幹助(金さん):「許すも許さねえも、俺はこうやっておめえに礼を言ってるんじゃねえか」

貴子(かかあ):「そうかい……あたしゃ嬉しいよ。もう、今日はうんと怒られるだろうと思ってたから、機嫌直しに久しぶりに一杯飲んでもらおうと思って用意しといたんだよ」

幹助(金さん):「えっ、酒かい? そうと決まりゃあ、大きなものについでもらおうじゃねえか。……たまらねえや、どうも。……だが、待てよ」

貴子(かかあ):「どうしたの?」

幹助(金さん):「よそう、また夢になるといけねえ」

―拍手―

貴子:「お疲れ様でした」

幹助:「なんだい、お前さんたち、まだいたのかい」

貴子:「せっかくですから、この方にもあなたの落語を聞いていただきたいと思ったのですよ」

幹助:「なるほどね。で、どうだった?」

金助:「なんというかその、すごかったです。夢中になって聞き入ってましたよ」

幹助:「そうかい。もうすぐ閉まるから、それまでにさっきの金を持って家に帰りなよ」

金助:「それが、その……どうも帰る家がねえみたいで……」

幹助:「どういうことだい?」

金助:「自分でも何がなんだかよく分かんねえんですけど、どうやら俺はもっと未来の人間みたいです」

貴子:「まあっ」

金助:「気がついたら過去に飛んできて、さっきの浜で寝てたんです」

貴子:「そんなことが、本当にあるんですか?」

金助:「俺も信じられないですけど、あるみたいです」

貴子:「なんてことでしょう……」

幹助:「……つまりこういうことだね。お前さんは未来から漂流してきた未来人で、帰る家もなけりゃ、生活していくための金もない」

金助:「は、はい」

幹助:「……なら、私の弟子になりな」

金助:「で、弟子ぃ!?」

幹助:「そうだよ。あたしの弟子として一緒について回るんだ。そうすれば住む家にも困らないし、飯を食えなくなるってことはない」

金助:「いきなりそんなこと言われても、俺はそんな落語なんて全然知らねえんですよ」

幹助:「誰でも最初は初めてだよ。それに、お前さんにはなにか縁を感じるんだよ」

金助:「縁ってそんなのあるわけないじゃないですか」

幹助:「さっき聞いたろ。落語「芝浜」。あんたが芝浜に流されてあたしたちと出会ったのは、なにかの縁じゃないかって思うんだよ」

金助:「そりゃあ、たまたまだと思いますけど」

貴子:「いいじゃありませんか。さっきのあなた、落語を楽しそうに聞いていましたし、きっと素敵な落語をやってくださると思いますわ」

金助:「わ、分かりましたよ。そこまで言うなら」

幹助:「決まりだね。そうだ、名前もつけないとね。そうだ、芝浜の金さんからとって、桂金助(かつら きんすけ)ってのはどうだい?」

金助:「もうなんでもいいですよ」

貴子:「これからよろしくお願いしますね。金助さん」



金助:「だが、待てよ」
金助:「どうしたの?」
金助:「よそう、また夢になるといけねえ」

幹助:「……まだだだだね」

金助:「はあ? どこがまだまだなんですか? 師匠の言い回しや抑揚、リズム、テンポ感、すべて同じようにやってるでしょ」

幹助:「たしかに。お前さんは短い間にあたしのやり方を全部模倣できているね」

金助:「じゃあ、なんの問題もないじゃないですか」

幹助:「だがね、金助。お前さんは分かっちゃいない」

金助:「え?」

幹助:「お前さんは本心からこの噺(はなし)をやりたいと思っていないだろう」

金助:「そんなことはないです。師匠の芝浜を聞いて俺は落語をやることになったんです。思い入れがあります。やりたいと思ってるに決まってるじゃなですか」

幹助:「いいや、違うね。お前の落語からはこの噺に対する情熱を感じない。この噺のことを心の底では馬鹿にしているね?」

金助:「そ、そんなことは……」

幹助:「知っているよ、金助。お前さんこっそりあたしの酒を飲んでるだろう」

金助:「いきなり何を言い出すんですか。今はそんなこと関係ないでしょう」

幹助:「飲んでいたのは本当なんだね?」

金助:「……はい。すみません」

幹助:「お前さんは酒に負けてしまう意思の弱さがある。だから、芝浜に出てくる金さんに対してこう思っているんだろう。『酒に溺れていた、だらしのない人間が、そんなに簡単に更生できるわけがねえ。変われるわけがねえ』ってね」

金助:「……」

幹助:「若いお前さんには分からねえかもしれないけどね。老いぼれのあたしには断言できる。人は、覚悟があれば変わることができるんだよ」

金助:「どうしてそんなこと言い切れるんですか?」

幹助:「さあね。でも信じるんだよ。この噺を信じるんだ。金さんを信じるんだ。あたしを信じるんだ。そしてなによりも、自分を信じるんだ」

金助:「分かりません。師匠が何を言いたいのか、まったく分かりません」

幹助:「だからお前さんはまだまだなんだよ。まあ、焦らずにじっくり落語と向き合えばいいさ。じゃああたしはちょっと散歩に出かけてくるからね」

金助:「はい。いってらっしゃいませ」

―間―

貴子:「お茶が入りましたよー。……あら、幹助さんは出かけられたのですか?」

金助:「はい。芝浜へ行かれました」

貴子:「ああ、あの人は好きですからね。芝浜が」

金助:「どうして、師匠はそこまで芝浜が好きなんですか?」

貴子:「それは、自分と金さんを重ねているんじゃないかしら」

金助:「重ねているって、金さんは落語家じゃなくって魚屋ですよ。おまけにぐうたらでだらしのない酒飲み。共通点なんて、結婚してるってことくらいしかないじゃないですか」

貴子:「若い頃の幹助さんは荒んだ生活をされていたんですよ」

金助:「あの師匠が? 想像できないですね」

貴子:「賭場に通い続けていて、その頃は落語家ではなくて、賭場に通っている人間として有名だったそうよ。でも、そんな幹助さんが私との婚約をきっかけに変わることになったの」

金助:「どういうことですか?」

貴子:「幹助さんは私にとても大きな愛情を向けてくれていたわ。でも私の両親がそんな博打打ちに嫁がせることはできないって猛反対してね。『幹助を継げるような立派な芸人になれたら』って条件を出したの。それから幹助さんは心機一転、博打をやめて、三代目桂幹助を襲名することができたの。そして私と結婚することを許してもらえたのよ」

金助:「じゃあ、師匠が自分と金さんを重ねてるってのは……」

貴子:「愛するひとのために酒や博打をやめて、真面目に物事に打ち込むようになったというところに共感したのだと思いますわ。その証拠に、芝浜って昔は全然知られていなかった噺だもの。でも、幹助さんが人情噺として成立させていったことで、多くの人に知られる名作落語になったのですよ」

金助:「人情噺を選ぶってのが、師匠らしいですね」

貴子:「ええ、私もそう思います」

幹助:「おーい、帰ったよ」

貴子:「はーい。……では、行ってきますね」

金助:「はい。……俺も、変わることができるのかなあ。なんて、師匠みたいにはまだなれてねえか」

貴子:「金助さん、大変ですっ!」

金助:「どうしました、貴子さん」

貴子:「幹助さんが、幹助さんが、急に倒れてしまって……」

金助:「なんだって!! ……すぐに救急車を!!」



金助:「師匠、失礼します」

幹助:「ああ。金助かい」

金助:「お体はどうですか?」

幹助:「見ての通りさ。もう布団から起き上がることもできない」

金助:「……」

幹助:「そんなに悲しい顔をするんじゃないよ。お前さんは落語家だろ? 誰かに笑顔を届ける仕事をしている人間が、自分一人笑わせられなくてどうするのさ」

金助:「でも、俺は師匠に認めてもらいたくて、師匠にまた芝浜を聞いて欲しくて落語を続けてるんです。なのに、なのに、こんなっ……俺は悔しいですっ!」

幹助:「お前さんはこの時代の人間じゃないんだろう? そんな過去の人間のために落語をやることはないよ。これからはあたしじゃなくて、もっと他の人たちにお前さんの落語を聞かせてやりな」

金助:「でも、やっぱり俺は師匠に聞いてほしかったです……」

幹助:「しょうがないねえ。じゃあ聞かせておくれ。お前さんの落語を」

金助:「……はい」

―間―

金助:「えー、酒は百薬の長(ちょう)なんてことを申しますが、飲みすぎるとよいことはございません。からだを壊す、商売をおろそかにするということになったりしますからな。芝の金杉に住んでいた魚屋の金さん。腕のいい魚屋で、ほかに道楽はないのですが、酒を飲むと商売を怠けるのが玉にキズ。いつも貧乏でぴーぴーしております」



金助(金さん):「えっ、酒かい? そうと決まりゃあ、大きなものについでもらおうじゃねえか。……たまらねえや、どうも。……だが、待てよ」
金助(かかあ):「どうしたの?」
金助(金さん):「よそう、また夢になるといけねえ」

―間―

金助:「師匠。終わりましたよ。……師匠? ……うぅっ、ううぅっ、ううっ……」

貴子:「お疲れ様でした。幹助さん」

金助:「師匠。ありがとうございました」

貴子:「……金助さん、お渡ししたいものがあるのですが、よろしいですか?」

金助:「はい。……なんですか、その革財布」

貴子:「自分が死んだら金助さんに渡してくれって。幹助さんが仰ったものです」

金助:「幹助さんが……。それにしても、やけに重いですね……え、まさか、これって……」

貴子:「150万円。江戸時代の価値にして50両入っているそうです。『好きに使っておくれ』と仰ってましたよ」

金助:「好きに使えって言われても、どうすればいいんですか、こんな大金。使えませんよ」

貴子:「きっと金助さんなら、正しい使い方をしてくれると信じて、あの人も託したんだと思います。私からもお願いします。使ってやってください」

―間―

金助:「分かりました。では、受け取ります。そして、行ってきます」

貴子:「行ってきます、って、どちらに?」

金助:「芝浜です」



貴子:「芝浜まで来て、その財布をどうするんですか?」

金助:「芝浜を聞いてからずっと思っていたんです。50両の財布を落として、何年もとりにこない人間なんているわけないって」

貴子:「それはそうかもしれませんが、でもそれはフィクションの話ですから」

金助:「俺もそう考えていたんですよ。でも、師匠の芝浜を何回も聞いて、自分でも何回も演っているうちに、思ったんです。きっとその人は知っていて、その50両を他の誰かに託したんじゃないかって」

貴子:「じゃあ、ここに来たのは……」

金助:「ここの海に、50両を還します。師匠なら、多分そうするだろうなって」

貴子:「……そうですね。そう言うと思います」

―間―

金助、財布を投げる。

金助:「ふんっ! ……いっけえええええええええーーーーーーーー!!」

貴子:「……さようなら。幹助さん」

金助:「……さよなら。芝浜」



銀杏:「ちょっと、起きて……起きてよっ!!」

金助:「…………はっ!! ……え?」

銀杏:「いつまで寝てんのさ。いい加減起きなよ、金光」

金助:「……銀杏。……じゃあ、全部夢?」

銀杏:「なんだい、夢なんか見てたのかい? ほら、起きなよ。ご要望通りに酒買ってきてやったんだから」

金助:「えっ! 本当か?」

銀杏:「嘘なんてつかないよ。ほら」

金助:「うおお、ありがてえ」

銀杏:「その代わり、明日はちゃんと落研の高座に来とくれよ」

金助:「分かってるって。さっそく飲もうぜ」

銀杏:「はいはい。ほら、缶ビール」

金助:「うまそうだなあ」

銀杏:「そういえば、玄関に財布落ちてたよ」

金助:「ああ、ありがと……これ」

銀杏:「汚い革財布だけど、あんたこんなの持ってたっけ?」

金助:「……ああ。俺のやつだよ」

銀杏:「ふーん。ああ、せっかくのところを邪魔して悪かったね。ほら、冷
たいうちにビールを飲んでおくれ」

金助:「……いや、やめておくよ」

銀杏:「どうしたんだい?」

金助:「また夢になるといけねえ」


《終》

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