見出し画像

【短編小説】錦鯉

この作品は、短編小説です。
本作品を使用される場合は、以下の利用規約を必ずご覧ください。


 吾輩は錦鯉である。名前はおろか、模様もまだない。
 
何かの生まれ変わりらしいが、前世は何者であったのか、とんと見当がつかぬ。なんでも、人間という生き物で、ガミガミと怒鳴っていたことだけは記憶している。
 
吾輩は養殖用の池で生まれた。メスは数匹しかいないので、母親は見当がつくが、オスはメスに対して数が多いため、父親は分からぬ。
 私は池でプランクトンを食べて過ごした。味が苦くて食べられたものではなかったが、それしか食べられるものがなかったので、仕方なく食った。

 少し大きくなると、吾輩は仲間たちととに野池へ放流された。ここからは、生存競争が始まる。いかに餌のプランクトンを食べられるか、陽にあたることができるかが、勝負となる。
 力のある者だけが餌を食べ、陽に当たることができ、大きく質の高い鯉になるのだ。

 成長すると、いよいよ人間の手によって選別が行われる。大きさ、色、質、骨格を見て、将来品評会で大賞がとれそうな者だけを選ぶのだ。
 ここで選ばれた鯉たちは、酸素が送られ、温度管理が徹底された池へと移される。ここで気を抜く鯉は、大抵落とされる。筋力をつけ、優雅に泳ぐように練習した鯉だけが、美しい鯉となるのだ。

 吾輩は、決して気は抜かなかった。池しか知らぬ小さな世界で、美しくあるように努めた。人間と同じである。生き残るのに必要なのは、美しくなるための努力である。

 結果、吾輩は品評会で大賞をとった。育てた主人は、おんおんと泣いていた。親孝行でもしたかのような気分である。

 吾輩はすぐに売りに出され、金持ちの家の池へ放り込まれた。そこには気位の高そうな鯉がたくさんいたが、相手にはしない。こういう奴らにいちいち関わっていては、身が持たぬ。

 ひとり退屈にしていると、池に人間の子どもがやってきた。

「ねえ、この鯉きれいだね」
 子どもがそう言うと、家の主人がやってきた。初老の男性であった。
「ああ、そうだね。なんだか死んだおじいちゃんを思い出すよ」
「おじいちゃんって、どんな人?」
「そうだなあ、なんだか気難しくて、いつも怒っていたような気がするよ。でも本当は優しくて、誰かのためにいつも動いていたね。ああいう人のことを、美しいって言うんだろなあ」
「おじいちゃんは美人だったの?」
「うん、見た目だけじゃなくて、内面もね」

 私は、それを聞いて、目を閉じて、呟いた。
 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

【終】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?