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【4人用声劇台本】知を愛する者どもよ②「愛に満たされよ」
この作品は、声劇用台本として執筆したものです。
使用される場合は、必ず以下の利用規約をご覧ください。
また、以下のリンクも見やすくなっておりますので、ご参照ください。
先人の偉大な哲学者たちのように、優れた人物を育成することを目的とした、全寮制の学園、フィロソフィア学園。
アリスとプラトンは新聞部を結成し、公演を控えた演劇部に取材をするが、その演劇部には裏があり……
※「哲学者シリーズ」第二話です。
【上演時間】
約40分
【配役】
・プラトン(♂):フィロソフィア学園1年生。ひとりで真理を追求している。
※「部員B」兼役
※性別変更可
・アリストテレス(♀):フィロソフィア学園1年生。好奇心旺盛で明るい。
※「部員A」兼役
※性別変更不可(演者の性別不問)
・アウグスティヌス(♂):フィロソフィア学園3年生。演劇部部長。優しく頼りになる。
※「部員C」「アルケー」兼役
※性別変更可
・トマス(♂):フィロソフィア学園2年生。演劇部部員。ぶっきらぼうだが演劇に対して誰よりもストイック。
※性別変更可
※スペシャルサンクス:是(kore)様 (表紙作成)
【部活動】
アウグスティヌス:「全く知らないものを愛することはできない。しかし、少しでも知っているものを愛するときには、その愛によって、そのものをいっそう完全に知るようになる」(アウグスティヌス)
トマス:「誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うことである。」(トマス・アクィナス)
【タイトルコール】
トマス:「知を愛する者どもよ」
アウグスティヌス:「愛に満たされよ」
アリストテレス:「部活に入りましょう!」
プラトン:「……勝手に入ればいいだろう」
アリストテレス:「プラトンさんも入りましょうよ」
プラトン:「なぜ僕が部活なんかに入らなきゃならないんだ」
アリストテレス:「いいじゃないですか、青春って感じがして。きっと楽しいですよ」
プラトン:「君は楽しくても、僕は楽しいとは限らないだろう」
アリストテレス:「まあまあそう言わずに。この学園のこと、生徒の皆さんのこと、もっと知りたいと思いませんか?」
アリストテレス:「見聞を広めたら、前に言っていたイデアとかいう真理の世界が見えるかもしれませんよ?」
プラトン:「……ついていくだけだからな」
アリストテレス:「本当ですか? じゃあさっそく仮入部しに行きましょう」
プラトン:「もうどこに仮入部するのかは決めているのかい?」
アリストテレス:「いやあ、それがまだ決まってなくて。一通り全部の部活に行ってみようかなと」
プラトン:「却下だ。ついていってやるのはひとつだけだ」
アリストテレス:「じゃあ、陸上部はどうですか?」
プラトン:「何が楽しくてわざわざしんどい思いをしなきゃならないんだ」
アリストテレス:「じゃあ、バレー部はどうですか? 陸上に比べたら走ることは少ないですよ」
プラトン:「ボールが当たったら痛いじゃないか」
アリストテレス:「じゃあ、吹奏楽部はどうですか?」
プラトン:「誰かに足を引っ張られて演奏がうまくいかないのは嫌だ」
アリストテレス:「じゃあ美術部はどうですか?」
プラトン:「絵の具で汚れるのは嫌だ。それに美術部なんて変人の集まりだろう」
アリストテレス:「それは偏見だと思いますけど。じゃあ写真部なんてどうですか?」
プラトン:「僕は写真は撮らない。写真を撮るのに夢中になるくらいなら、肉眼で焼け付けておいた方がいい」
アリストテレス:「じゃあ、園芸部はどうですか?」
プラトン:「虫は嫌いだ」
アリストテレス:「じゃあ放送部はどうですか?」
プラトン:「君はそんなに自分の声に自信があるのか?」
アリストテレス:「どこもダメじゃないですか。なら、新しく部活を作るしかないですね」
プラトン:「帰宅部という選択肢もあるぞ」
アリストテレス:「ありませんっ」
アリストテレス:「とにかく、見聞を広められそうな、いろんな人を関わることのできる部活がいいですよね。だったら……」
アウグスティヌス:「やあ、いらっしゃい。演劇部へようこそ」
アリストテレス:「こんにちは。新聞部です。取材に来ましたっ」
アウグスティヌス:「ああ、待っていたよ。僕は三年のアウグスティヌスだ。演劇部の部長をしている。よろしくね」
アリストテレス:「一年のアリストテレスです。こっちはプラトンさん。よろしくお願いします」
プラトン:「どうも」
アウグスティヌス:「はは、元気があっていいね。そういうヤツは嫌いじゃないよ」
アリストテレス:「元気だけが取り柄ですから! 演劇部の公演本番まで、元気をお届けしますよ」
アウグスティヌス:「それはありがたい。演劇は体力勝負だからね。元気を分けてもらえると助かるよ」
アウグスティヌス:「おーい、トマス君。君も彼女から元気を分けてもらった方がいいんじゃないか?」
トマス:「俺は、別にいいです。体力には自信がありますし」
アリストテレス:「あの方は、二年のトマス・アクィナス先輩ですか?」
アウグスティヌス:「ああ。今回僕と一緒に重要な役を演じることになっている」
アリストテレス:「そういえば、まだ聞いていませんでしたね。今回の演目は何ですか?」
アウグスティヌス:「『ノアの箱舟』だよ。旧約聖書の『創世記』に出てくる、とても有名なエピソードだ。」
プラトン:「なるほど。アウグスティヌスとトマス・アクィナスはキリスト教を深く信仰していた。ぴったりの演目だ」
アウグスティヌス:「ちょうどこれから本格的に稽古を始めるところだ。ぜ
ひ見ていってくれ」
アリストテレス:「いよいよ始まるんですね。楽しみです!」
アウグスティヌス:「じゃあ、始めるぞ。トマス、準備はいいか?」
トマス:「いつでも、大丈夫」
【練習】
アリストテレス:「ところでプラトンさん。『ノアの箱舟』ってどんなお話でしたっけ?」
プラトン:「君、内容も知らないで楽しみとか言ってたのか」
アリストテレス:「いやー読んだ記憶はあるんですけど、忘れちゃって」
プラトン:「……『ノアの箱舟』は旧約聖書の『創世記』に書かれている話のことだ。悪に染まった世の中を嘆いた神と、神に従って舟を作り上げるノアという人間が出てくる」
トマス:『これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神とともに歩んだ。』【創世記6章9節】
プラトン:「人間が増えていくにつれて、地上では悪しき心が蔓延し、人々の心は神から放れていった。それに神は失望するんだ」
トマス:『主(しゅ)は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。
アウグスティヌス:「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這(は)うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」』【創世記6章5節~7節】
プラトン:「神はそうして人も動物も滅ぼすことを考えたが、一人だけ、神から愛された人間がいた。それがノアだ」
トマス:『しかし、ノアは主の好意を得た。』【創世記6章8節】
プラトン:「神は、ノアに箱舟を造り、選ばれた動物たちとともに洪水を生き伸びるように命じた。」
トマス:『主はノアに言われた。
アウグスティヌス:「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。」』【創世記7章1節】
アウグスティヌス:『「あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。」』【創世記7章2節】
アウグスティヌス:『「空の鳥も七つがいずつ取りなさい。全地(ぜんち)の面(おもて)に子孫が生き続けるように。」』【創世記7章3節】
アウグスティヌス:『「七日の後、わたしは四十日四十夜(や)地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面(おもて)からぬぐい去ることにした」』【創世記7章4節】
トマス:『ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。』【創世記7章5節】
トマス:「主は私に命じてくださった。その命を信じてなすべきことを成さねばならぬ」
部員A:「おーい、ノア! 何だいそのでっかい舟!」
部員B:「お前、ついに頭でもおかしくなったか!? どこに浮かべるんだよそんな舟。ぎゃっはっはっは!」
トマス:「どんなに笑われようと構いません。私は主の命を遂行するだけです」
プラトン:「そしてノアが六百歳のとき、洪水が起こり、箱舟に乗ったノアたちだけが生き残った」
トマス:『ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免(まぬか)れようと箱舟に入った。』【創世記7章6節~7節】
トマス:『清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。』【創世記7章8節~9節】
トマス:『地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。』【創世記7章23節】
トマス:『水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。』【創世記7章24節】
プラトン:「やがて洪水が収まると、ノアは鳩を使って地上を探した」
トマス:『ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。』【創世記8章8節】
トマス:『しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。』【創世記8章9節】
トマス:『更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。』【創世記8章10節】
トマス:『鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。』【創世記8章11節】
トマス:『彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。』【創世記8章12節】
トマス:「おお、鳩よ。お前はついに新たな大地へと飛び立っていったのだな。お前は私たちの希望となった!」
プラトン:「地上が再び現れたことを知ったノアは外へと出た。それを神は祝福した」
トマス:『ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日(ついたち)に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆(おお)いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。』【創世記8章13節】
トマス:『そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。』【創世記8章18節】
トマス:『神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。』
アウグスティヌス:「あなたたちは産めよ、増えよ 地に群がり、地に増えよ。」』【創世記9章1節】
アウグスティヌス:『「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。」』【創世記9章9節】
アウグスティヌス:『「わたしがあなたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものが滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」』【創世記9章11節】
トマス:「神よ。私たちのような者と契約をむすんでくださると言うのですか」
プラトン:「神はもう二度と洪水を起こさないことを誓い、それを忘れないために虹を契約の証として残したんだ」
トマス:『更に神は言われた。
アウグスティヌス:「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々(よよ)とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。」』【創世記9章12節】
アウグスティヌス:『「すなわち、わたしは雲の中に私の虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」』【創世記9章13節】
アウグスティヌス:『「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」』【創世記9章14節~15節】
トマス:「神よ。虹の輝きの美しさは何年経っても私たち人間の心に残り続けるでしょう」
プラトン:「そうしてノアたちは神に感謝しながら生きていった。だいたいそんなところだ」
トマス:『箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。』【創世記9章18節】
トマス:『この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである。』【創世記9章19章】
トマス:『ノアは、洪水の後三百五十年生きた。ノアは九百五十歳になって、死んだ。』【創世記9章28節~29章】
アリストテレス:「お疲れ様です。すっごく面白かったです!」
アウグスティヌス:「それはよかった。ありがとう」
プラトン:「聖書にはノアのセリフはなかったはずだが、あえて入れたのか。ノアを馬鹿にする村人たちのセリフもオリジナルだね。演技とは思えないクオリティーだった」
アウグスティヌス:「よく気が付いたね。ノアがナレーションとセリフの両方を読むことで、物語の魅力を出せたらいいなと思って取り入れてみたんだ」
アリストテレス:「ナレーションとノアの演じ分けがとても素敵でしたよね。トマスさんの演技力があってこその演出だと思います!」
アウグスティヌス:「だってよトマス。やってみた感想はどうだい?」
トマス:「別に、なんとも」
アウグスティヌス:「そんなこと言って。手が震えてるぞ」
アリストテレス:「あんなにたくさんセリフを言って、動いて、疲れたんじゃないですか?」
トマス:「……これくらい平気。練習すれば誰でもできる」
アリストテレス:「またまたぁ、そんな謙遜を……」
トマス:「謙遜なんかしていない。稽古が終わったなら、もう俺帰っていいですか?」
アウグスティヌス:「ん? あぁ、そうだな。お疲れ様」
トマス:「お疲れ様です。お先に失礼します」
アウグスティヌス:「ああ。……ごめんね、無愛想なヤツでさ」
アリストテレス:「いえ、気にしてませんよ。無愛想な人には慣れていますから」
プラトン:「おい、なぜこっちを見る」
アリストテレス:「トマス先輩は、ストイックな方なんですね」
アウグスティヌス:「彼は演劇に執着している。少し心配なくらいにね」
アリストテレス:「それくらい熱中できることがあるのは素晴らしいことだと思います」」
アウグスティヌス:「君にも、熱中できることがあるんじゃないかい?」
アリストテレス:「私は……学園のみなさんが輝いているところをこうやって記録に残すことですね」
アウグスティヌス:「いい記事を書いてくれよ。楽しみにしてる」
アリストテレス:「任せてください。明日もよろしくお願いします!」
【信仰】
アリストテレス:「おじゃましまーす」
アウグスティヌス:「いらっしゃい、今日もよろしく」
アリストテレス:「よろしくお願いします。何をされているんですか?」
トマス:「箱船を造ってる」
アリストテレス:「うわあ、大きいですね。迫力があります」
アウグスティヌス:「木材を使えるだけ使って、大きく頑丈にしたからね。おかげでもう木材の予備がなくなった。これを実際に揺らして、嵐を再現しようと思うんだ」
アリストテレス:「揺らすって、上にはトマスさんが乗るんですよね。大丈夫ですか?」
アウグスティヌス:「揺れを調整するから大丈夫だとは思うけど……怪我しないように注意してくれよ」
トマス:「言われなくても、分かってます」
アウグスティヌス:「ならいい。稽古を始めるぞ」
トマス:「あれ、台本どこだ……」
アウグスティヌス:「おいおい、無くしたんじゃないだろうな。頼むぞ。お前は主役なんだから」
トマス:「すみません」
アウグスティヌス:「ああ、こんなところに台本が置きっぱなしになってる。そっちに持っていく……」
トマス:「触るな!!」
アウグスティヌス:「!?」
トマス:「……すみません。自分で取りにいきますから、置いたままにしておいてください」
アウグスティヌス:「ああ、分かった。ここに置いておく」
アリストテレス:「なんだかすごい剣幕(けんまく)でしたね。よっぽどあの台本が大事なんでしょうか」
プラトン:「そりゃ役者だからね。大事なものだ。ただ、それだけでは片付けられないような気迫があったように思うよ」
アリストテレス:「旧約聖書の『創世記』を題材にしているから、台本も聖書のようなものだと思っているんでしょうか」
アリストテレス:「二人の名前の元になった人物、アウグスティヌスもトマス・アクィナスも、キリスト教を信仰しているって言っていましたよね?」
プラトン:「うん、それもあるかもしれない」
アリストテレス:「アウグスティヌスとトマス・アクィナスって、どういう思想を持っているんですか」
プラトン:「説明しろと?」
アリストテレス:「お願いします。どうせ稽古中は暇でしょ?」
プラトン:「……アウグスティヌスとトマス・アクィナスは中世に生きた人物だ。中世ヨーロッパにおいてキリスト教の影響は大きなものだった」
プラトン:「アウグスティヌスは古代キリスト教会の最大の教父と呼ばれている。アウグスティヌスがぶち当たった壁は次のようなものだ」
プラトン:「神は完璧な存在であるが、その完璧な神が創った世界に苦しみがあり、人間の心に「悪」が存在するのはなぜか」
アリストテレス:「なかなかに難しい問題ですね」
プラトン:「それに対してアウグスティヌスはこう考えた」
アウグスティヌス:「神は完璧であるが、世界や人間はその神によって創られた被造物に過ぎないのだから、神同様に完璧でなくても当然だ」
アウグスティヌス:「「悪」とは「善」の不完全な状態に過ぎない」
プラトン:「彼によれば、世界は2つに分類される。「地の国」と「神の国」だ。地の国は今僕らがいる世界のことで、人間の高慢な自己愛から生まれる。一方で神の国は、隣人を愛する謙虚な愛から生まれる」
プラトン:「地の国から神の国へ行くには、教会へ通い、神への信仰を深めなければならない。不完全な人間が悪へと転落したのを救ってくれるのは、神しかいない。それが彼の主張だ」
アウグスティヌス:「『信仰とは目に見えないものを信じることだ』」
アリストテレス:「「信仰」という言葉がキーワードになるんですね。トマス・アクィナスはその後に出てくるんですか?」
プラトン:「ああ。トマス・アクィナスはスコラ哲学を大成した。中世に教会や修道院に付属する学校で説かれた哲学のことだ」
プラトン:「彼の主張は、すべての物事の第一発動者は神であるというものだ」
トマス:「熱さという点で最高度である火は、他のすべての熱の原因になっている」
トマス:「あらゆるものに、この原因となるものがあるはずで、そのような存在は、「神」とでも呼ぶしかない」
プラトン:「また、彼の主張はアウグスティヌスの『悪とは善の不在なり』を補強するものだ」
トマス:「「善」とは満ち足りた完全な状態のことだ」
トマス:「神の善性のもとに存在していることこそが根源的には善なのであって、すべての存在は究極的な存在になる可能性を秘めている。そのもののあるべき望ましい姿を手に入れたときに、厳密な意味での善となる」
トマス:「世界は善に満ちている」
プラトン:「すべてのものが神によって作られているのだから、満ち足りた完全な存在になるためのポテンシャルがあると言っているんだ」
アリストテレス:「それを「善」と表現しているんですね。完璧な演技を追求するトマス先輩にぴったりです」
プラトン:「自分を見つめ成長していく方法は山ほどあるが、二人にとって
はその方法こそが信仰なんだろうね」
【役割】
アウグスティヌス:「じゃあここまでにしようか。お疲れ様」
トマス:「お疲れ様です。じゃあお先に失礼します」
プラトン:「取材が終わったなら僕も先に帰るよ」
アリストテレス:「あ、プラトンさん。私も帰ります。じゃあ、先輩、私たちも失礼します。」
アウグスティヌス:「お疲れ様。遅いから、気をつけて帰るんだよ。他のみんなも先に帰ってくれ。片付けは僕がやっておく」
アリストテレス:「……プラトンさん、やっぱり私もう少し残りますね」
プラトン:「そうかい、じゃあ僕はいくよ」
アリストテレス:「はい。お疲れ様です」
アウグスティヌス:「君は、まだ帰らないのかい?」
アリストテレス:「あの、私も掃除手伝いますよ」
アウグスティヌス:「君は部員じゃない。そんなことをする必要はないよ」
アリストテレス:「でも、他の部員の人たちは帰っちゃったじゃないですか」
アウグスティヌス:「いいんだよ、僕が好きでやってるんだから」
アリストテレス:「じゃあ、私も好きで掃除します。いいですよね?」
アウグスティヌス:「しかし、それだと君になんのメリットもない。そうだな……掃除の間、取材にでも応じようか。絵面が地味だけど、それでもよければ」
アリストテレス:「ありがとうございます! あ、作業しながらで構いませんから」
アウグスティヌス:「そうさせてもらうよ。掃除しなきゃいけないから」
アリストテレス:「では、はじめますね。今回の進み具合はいかがですか?」
アウグスティヌス:「概(おおむ)ね順調だと思うよ。みんなよく頑張って練習してくれているし、サポートしてくれている」
アリストテレス:「そうですか。今回はアウグスティヌス先輩とトマス先輩がメインですが、トマス先輩は、アウグスティヌス先輩からどう見えますか?」
アウグスティヌス:「彼はぶっきらぼうに見えるけど、誰よりもストイックで、努力している。ただ、頑張り過ぎているのが心配なんだ」
アリストテレス:「それだけお二人とも演劇に真剣に向き合っているってことですね」
アリストテレス:「演劇は以前からやっていたんですか?」
アウグスティヌス:「いいや、高校でこの学園に入ってからだよ」
アリストテレス:「では、どうして演劇部に入ったんですか?」
アウグスティヌス:「当時の先生が、演劇部の顧問だったんだ。先生に強く勧められてね。『人の顔色を伺ってそれに合わせて生きたいっていうなら、舞台に立ってみんなの引っ張るリーダーになれる』って言われたんだ。」
アウグスティヌス:「最初は半信半疑だったけど、確かに芝居は僕に合っていると今なら思う。先生の目は確かだった」
アリストテレス:「人の顔色を伺うような性格が、演劇にどう関わってくるんでしょうか?」
アウグスティヌス:「人の顔色を伺うというと悪いイメージを持ってしまうことだろう。けどね、人の顔色を伺うということは、周囲をよく見ているということだ」
アウグスティヌス:「そして、周囲に合わせて与えられた役割をこなすということは、相手に合わせて演技を変えて、調和させることができるということだ」
アウグスティヌス:「舞台において、周囲の状態を把握し、それに合わせて動くことはとても重要な要素だと、僕は思う」
アリストテレス:「なるほど。リーダーとしての資質が先輩にはあったんですね」
アウグスティヌス:「どうだろう。実際は臆病なだけなんだよ。いつも不安でいっぱいなんだ」
アリストテレス:「堂々とされているので、そんな風に考えていたとは思いもしませんでした」
アウグスティヌス:「他人が何を考えているかなんて、分からないものだよ。それこそ、このフィロソフィア学園という舞台では、全員が哲学者の役割を与えられ、それを演じている」
アウグスティヌス:「その裏には、とてつもない闇が隠れていることもあるかもしれない」
アリストテレス:「……先輩は、アウグスティヌスを演じることが辛いですか? この希望に溢れた学園で、闇を見ているんですか?」
アウグスティヌス:「その質問に対してどう答えたところで、その答えが僕の本心であるという確証はないよ。それに、君に納得のいく答えだとは思わない。答えるだけ無駄だね」
アリストテレス:「分かりました」
アウグスティヌス:「さあ、長話をしてしまったね。いい記事は書けそうかな、新人記者さん?」
アリストテレス:「はい、ありがとうございます!」
アウグスティヌス:「よし、じゃあ最後に箱船の最終チェックをして……ん?……」
アリストテレス:「どうかしました?」
アウグスティヌス:「……いや、なんでもないよ。遅くなってしまったね。女子寮まで送っていこう」
アリストテレス:「はい、お疲れ様でした」
部員A:「それにしてもさあ、本当にうっとおしいよね。威張って舞台に上がっちゃってさ。私たちを見下すのがそんなに楽しいのかって感じ」
部員C:「リーダーにでもなったつもりなんだろうな。きっと、俺らのことなんて眼中にないんだ。舞台の隅(すみ)に溜まってるホコリくらいにしか思ってないんだって。アイツがいなきゃ、俺だって舞台に上がれたのに……」
プラトン:「舞台裏の隅に溜まってコソコソ話してるなら、それはホコリと変わらないと思うけどね」
部員A:「うわっ……って、新聞部か。脅かさないでよ」
部員C:「ちっ……行こうぜ。おい、新聞部。今話してたこと、誰にも言うなよ」
プラトン:「記事のネタに困らない限りは、誰にも言わないよ」
プラトン:「……さてと。どこに行ったんだ。まあ、大方の見当はつくけどね」
―男子トイレの前―
トマス:「はぁ、はぁ……」
プラトン:「随分とやつれているようですね。随分と汗もかいている。なにか大工仕事でもしてきたようだ」
トマス:「……何の用? トイレの前で待ち伏せなんて、趣味が悪いよ」
プラトン:「取材ですよ、取材。これでも新聞部なんでね。取材をしないと、うちの部長様から職務怠慢だと言われかねない」
トマス:「なんか、大変そうだな」
プラトン:「大変なのはあなたも同じじゃないんですか? 汗だくになるほどなんですから」
トマス:「それって、取材として聞いてる?それとも、アンタ個人として聞いてる?」
プラトン:「さあね、どちらで受け取ってもらっても構いませんよ」
トマス:「……舞台の上では、俺個人の感情や思考なんていらない。邪魔になるだけだ。裏でどれだけ努力しているかなんてことも、観客にとってはどうでもいいものだし、見せることもない」
トマス:「そういった個人的な感情を捨て去るのが、大変といえば大変だ」
プラトン:「余計な感情を入れないために、クールぶって余裕に見せているんですか? 誰にも心を開いていないんですか?」
トマス:「舞台の上では自分以外は敵だと思っている。俺よりも目立つヤツなんて、いちゃいけないんだ。特に、今回は俺が主役なんだから……主役でいるためなら、なんでもするさ」
プラトン:「なるほど。じゃあ、最後にもうひとつ質問していいですか?」
トマス:「内容による」
プラトン:「そうまでして孤独になってまで演劇を続けて、楽しいですか?」
トマス:「楽しい楽しくないの問題じゃない。演劇の中だけが、俺の世界なんだ。俺はその世界の中で生きる。それだけだ」
プラトン:「そうですか。ありがとうございます。よければタオル、お貸ししますよ」
トマス:「俺に構ったところで、ろくなことがないぞ」
プラトン:「あなたは取材対象ですからね。風邪をひかれでもしたら困る。体だけじゃない。あなたの心に病原菌が住み着いてしまわないことを祈りますよ」
トマス:「そうかい。タオル、明日返すから。人のものを借りているのは落ち着かない」
【事故と事件】
アリストテレス:「おっじゃましまーす」
アウグスティヌス:「やあ、今日もよろしくね」
アリストテレス:「はい、よろしくお願いします!」
トマス:「すみません、遅くなりました」
アリストテレス:「トマス先輩、もしかしてそれ、本番の衣装ですか?」
トマス:「あのさ、これが普段着に見える?」
アリストテレス:「いいえ。とっても素敵ですねっ」
トマス:「どーも」
アウグスティヌス:「じゃあ、稽古始めるぞ。今日は箱船に乗ったところからだ」
トマス:「あれ、小道具の杖がない……」
アウグスティヌス:「さっき箱船の上にあるのを見たぞ」
トマス:「本当ですか。ありがとうございます。すぐに取ってきま……」
(はしごに手をかけるが、止まってしまう)
アウグスティヌス:「……おい、どうした」
トマス:「すみません、梯子に足をかけたときに船がゆれて、ちょっと怖くなって。昔自転車に乗ってるとき、チェーンが外れて大怪我したことがあって。それ以来、揺れる乗り物が苦手なんです」
アウグスティヌス:「そうか。なら、僕が変わりに取ってこよう」
トマス:「え、でも……悪いです」
アウグスティヌス:「いいよ、それくらい。気にするな」
アウグスティヌス:「よいしょっと……。これだな。おーい、あった……」
トマス:「(遮って)危ないっ!!」
(箱船の支柱が崩れる)
プラトン:「おい、支柱の下敷きになったぞ!!」
アリストテレス:「支柱が崩れたんだ!」
トマス:「先輩っ!先輩っ!」
プラトン:「とにかく治療だ。おい、アルケー!」
アルケ―:「はい、フィロソフィア学園総合人工システム、アルケーです」
プラトン:「見ていただろう、事故だ。救急車を呼んでくれ」
アルケ―:「すでに救護職員を向かわせています。学内の医療施設に搬送します」
プラトン:「頼んだぞ」
トマス:「俺の、せいだ。俺のせいで、先輩が……」
アリストテレス:「落ち着いてください。トマス先輩のせいじゃありませんよ。気にしないで……」
トマス:「(遮って)すまないが、今日は帰ってくれ。野次馬に騒がれたら迷惑だ……」
アリストテレス:「……それもそうですね。また後日よろしくお願いします」
トマス:「ああ。じゃあ俺は先生を呼んでくるから」
アリストテレス:「はい、先輩も、お気をつけて」
アリストテレス:「……それにしても、大変なことになっちゃいましたね。こんな事故がおこるなんて」
プラトン:「いいや、どうやらそうでもないらしい」
アリストテレス:「どういうことですか?」
プラトン:「箱舟を見てくれ。船の支柱に、無数の切れ込みが入っている。まるで、のこぎりで傷をつけたような切れ込みがね」
アリストテレス:「それってつまり……」
プラトン:「これは不慮の事故なんかじゃない。人為的に起こされた事件だよ」
アリストテレス:「人為的にって、誰が、何のために、こんなことをしたんですか?」
プラトン:「アウグスティヌス先輩に降りてほしい。そういうことを思う人間がいたってことだろうね」
アリストテレス:「先輩は他の部員の皆さんからも慕われているように見えました。そんなことを考える人がいるなんて信じられません。それに、もう一つ、引っかかるところがあるんです」
プラトン:「なんだい、それは」
アリストテレス:「昨日、アウグスティヌス先輩は帰る前に箱船のチェックをして、なにかに気づいたような反応をしていたんです」
プラトン:「つまり、箱船が崩れる可能性があることを知っていて、船に上がったのか?」
アリストテレス:「そういうことです。何で知っていたのに上に登ったんでしょう?」
プラトン:「さあね。なにか理由があったんだろう。船の上に上がることを断ることのできない理由がね」
アリストテレス:「断ることができない理由……」
プラトン:「とにかく、演劇部の中でなにかあったことは確かだろう」
アリストテレス:「皆さんとても真剣に稽古されていて、問題があるようには見えませんでしたけど」
プラトン:「分からないよ。人の心ほど、読めないものはない。いくらでも取り繕うことができるんだからね」
アリストテレス:「そういえば、アウグスティヌス先輩もそんなことを言っていました。『他人が何を考えているかなんて、分からないものだ』って」
プラトン:「でも、ふとしたときにそういう本心というのは出てくるものだ。良くも悪くもね」
プラトン:「今までの取材を通して、違和感を覚えた言動がないか考えるんだ。そして、なぜあのとき、あんな言動をしたのか。その真意を探るんだ」
アリストテレス:「ふとしたときに……あっ……もしかして、だからあのときあんなに?」
プラトン:「なにか気が付いたのかい?」
アリストテレス:「この事件の真相が分かったかもしれません」
プラトン:「ほう。なら、今回は君に役を譲るとしようか。アリス君」
アリストテレス:「任せてください。では、いきましょうか。犯人のところに」
【推理】
アリストテレス:「こんなところにいたんですね、先輩」
トマス:「俺は、帰れって言ったはずだけど?」
アリストテレス:「ちゃんと話が終わったら帰りますよ」
プラトン:「それよりも、先生を呼びにいったんじゃないんですか? 屋上に先生はいませんよ、先輩」
トマス:「今から行くんだよ。アンタたちもさっさと帰れ。さすがにうっとーしい」
アリストテレス:「それは、自分が今回の事件を起こしたことがバレたくないから言っているんですか?」
トマス:「事件? なんのことだ?」
アリストテレス:「とぼけないでください。トマス先輩ですよね、今回の事件を起こしたのは」
トマス:「あれは事故だ。誰のせいでもない」
アリストテレス:「違います。箱船の支柱には、あらかじめ無数の切れ込みが入っていました。誰かが事前に崩れるように仕組んだんです」
トマス:「それをやったのが、俺だって言いたいのか」
アリストテレス:「そうです。あのとき、あなたはわざと船に乗ることが怖いと言って、アウグスティヌス先輩を船の上へと誘導したように見えました」
トマス:「あれは、たまたまだ」
アリストテレス:「じゃあ、あなたが箱船の作成に関わっていたことも、たまたまですか?」
トマス:「それは、俺だけじゃない。他の部員も箱船制作に関わっていた」
アリストテレス:「じゃあ、台本をアウグスティヌス先輩が拾おうとしたときに声を荒げたのはなんですか?」
トマス:「それは……」
アリストテレス:「私の推理はこうです。トマス先輩、あなたは裏でアウグスティヌス先輩をいじめていた」
プラトン:「アリス君」
アリストテレス:「大丈夫ですよ、プラトンさん。私に任せてください」
アリストテレス:「アウグスティヌス先輩は、あなた……いえ、あなたたち、他の部員から疎(うと)まれ、いじめられていた」
アリストテレス:「だから、箱船が崩れることを知っていても、上に登ることを断ることができなかった」
トマス:「ちょっと待て。先輩は、箱船が崩れることを知っていたのか?」
アリストテレス:「はい。昨日箱船のチェックをしていたのを見ました」
トマス:「なんてことだ……」
アリストテレス:「それだけじゃありません。アウグスティヌス先輩はいじめにあっていたから、トマス先輩がすぐに帰るのを止めることはしなかった。いつも不安でいっぱいだと言っていた。すべて辻褄(つじつま)が合うんです」
アリストテレス:「なにか、間違っているところはありますか。トマス先輩」
トマス:「……」
プラトン:「……それは違うよ、アリス君」
アリストテレス:「え?」
プラトン:「君には、真理がまだ見えていないと言ったんだ」
アリストテレス:「そんな……だって、これ以外に考えられません」
プラトン:「では、言わせてもらう。トマス先輩がアウグスティヌス先輩を疎む理由は?」
アリストテレス:「それは、先輩がいつも指図されたり絡まれたりするのが鬱陶しいと思ったんじゃないですか?」
プラトン:「それが原因でいじめを受けていたとしたら。そして、アウグス
ティヌス先輩がそのいじめを受けて入れていたのだとしたら、アウグスティヌス先輩はトマス先輩を避けるはずだよ」
プラトン:「僕が見ていた限り、そのようには見えなかった。表向きだけ仲良くしているという感じでもなかった。アウグスティヌス先輩は、ただただトマス先輩を心配していたんだよ」
アリストテレス:「心配していた? 主役で気を張っていたからですか?」
プラトン:「それもあるかもしれない。だが、もっと大きな理由がある」
プラトン:「……いじめを受けていたのは、あなたの方ですね。トマス先輩」
トマス:「……その通りだ」
アリストテレス:「そんな……」
プラトン:「真理はこうだ」
プラトン:「トマス先輩はぶっきらぼうで影の努力も見せようとしない。周囲からは、「何の努力もせずに主役になった生意気なヤツ」という印象を受けたんだろう。人付き合いを極力避けていつもすぐに帰っていたしね」
プラトン:「それで他の部員からいじめられた。台本を隠されたり、杖の場所を変えられたのも、他の部員のせいだ」
アリストテレス:「なら、あのとき支柱の下敷きになるのは、トマス先輩のはずだったってことですか?」
プラトン:「そうだ。おそらく物が隠されたのはあれが初めてじゃない。それでトマス先輩は自分の物が誰かに触れられることを嫌い、自分の物に執着を持つようになった」
アリストテレス:「台本を触られたときに叫んだのも、杖を自分でとりに行こうとしたのも、それが理由なんですね」
プラトン:「そういう言動が無意識に出るには、かなりの期間いじめを受ける必要がある。加えて演劇部の入部当時から人付き合いを避けていたことを考えると……」
プラトン:「この学園に入学する前にも、いじめを受けていましたね?」
トマス:「……ああ。その通りだ」
トマス:「僕は中学校の頃からいじめを受けていた。自分の持ち物を隠されるなんてことはしょっちゅうだったし、知らないうちに自転車のチェーンを外されて、バランスを崩して転倒したこともある」
トマス:「演技とは分かっていても、ノアが笑われるシーンは辛かった。最近は毎晩あのシーンの夢ばかり見ている。箱船に乗って揺らされるって聞いたときは、気が気じゃなかった」
トマス:「主役をやらされることのプレッシャーもあって、押しつぶされそうだった。稽古が終わったら真っ先にトイレに行って、嘔吐(おうと)していたよ」
プラトン:「典型的なPTSDの症状だ」
トマス:「だから、君に見つかったときは冷や汗をかいたよ。いや、あのときは稽古が終わった時点で汗をびっしょりかいてたか」
アリストテレス:「アウグスティヌス先輩は、そのことに気がついていて、ずっとトマス先輩に構っていたんですね」
トマス:「うん。だから、僕に構ったせいで先輩が支柱に押しつぶされて、どうしようもなくなって……」
プラトン:「……って言ってますけど、隠れてないでなにか言ってやったらどうですか?」
トマス:「え?」
アウグスティヌス:「よいしょっと……足を捻挫(ねんざ)してうまく動けないんだ。無茶を言わないでくれ」
トマス:「先輩、なんでここに。それに、怪我は……」
アウグスティヌス:「ああ、大したことなかったよ。お前のせいじゃないし、僕はなんともないから、心配するな」
トマス:「でも、僕のせいで、あなたは……」
アウグスティヌス:「それを言うなら、お前が苦しんでいることに早く気づいてやることができなかった俺のせいだ。悪かったな」
トマス:「なんで、そんなに僕に構うんですか? いくら部長だからって、自分を犠牲にしてまで僕を守ることなんてないのに」
アウグスティヌス:「部長だからだよ。もしお前が怪我をして学園にいじめがバレてみろ。俺が責任を問われるんだよ」
プラトン:「……それだけじゃないでしょう」
プラトン:「いじめる側の気持ちが分かっているからこそ、あなたはいじられる側になることを恐れているんだ」
プラトン:「トマス先輩は自身の過去について語りました。あなたも語るべきじゃないですか。アウグスティヌス先輩」
アウグスティヌス:「けど……」
トマス:「僕を部員として信用しているなら、言ってください。先輩」
アウグスティヌス:「……わかったよ。言おう」
アウグスティヌス:「僕はね、もともといじめっ子だったんだ」
トマス:「先輩、何を言ってるんですか?」
アリストテレス:「そうですよ。誰かをいじめてるような人には見えません」
アウグスティヌス:「それは、今はもうそういうことはしていないからさ」
アウグスティヌス:「もともと小心者でね、いじめられること、他の誰かから嫌われることが怖いんだ。だからこの学園に入る前は他の誰かを標的にしていじめていたよ」
アウグスティヌス:「けどね、ある日ちょっとしたことでその矛先が僕に向いた。いじめる側からいじめられる側になったんだ」
アウグスティヌス:「だから、もうあんな目にあいたくないと思って、いじめはやめたんだ」
アウグスティヌス:「君をかばったのは、もしいじめの問題を学校に告げ口したら、僕がいじめの標的になるんじゃないかって恐れていたからなんだ」
トマス:「それで、僕がいじめを受けていることに気づいても何も指摘しなかったんですか?」
トマス:「箱船が崩れることを知っていても、自分が犠牲になって怪我をして、それでとりあえず公演を中止にして、いじめがバレないようにしたんですか?」
アウグスティヌス:「ああ、そうだ。すまない。幻滅しただろう?」
トマス:「……ありがとうございます、僕を守ってくれて」
アウグスティヌス:「……は?」
トマス:「いじめられる辛さが分かっていたから、怪我をしてまで僕を守ろうとしてくれたんですよね。公演を中止にすることで、僕へのいじめがなくならないかって思ったんですよね」
アウグスティヌス:「それはそうだけど……俺は、君が一番嫌っている人間なんだ。自分のことを守ることしか考えていない最低なやつだ。部長になるべき人間じゃなかったんだ」
トマス:「先輩の過去がどのようなものだっかたは知りません。けど、僕がこれまで見てきた先輩は……」
トマス:「いいやつだ」
アウグスティヌス:「っ!」
トマス:『善いものは、自らの存在の豊かさを独占するのではなく、自ずと溢れ出すような仕方で他へと分かち与えていく在り方をしている』
トマス:「先輩が僕を構ってくれた心の在り方は善そのものです。そして、その心の清らかさ豊かさは、僕も、他のみんなもいつも分けてもらっています」
トマス:「分けてもらっていたら分かります。先輩はいいいやつです。そして、先輩が部長でなきゃ、僕は嫌です」
アウグスティヌス:「本当に、俺なんかでいいのか……?」
トマス:「もちろんです。僕は善に溢れた先輩を信じます。僕は、トマス・
アクィナスですから」
アウグスティヌス:「そうか……あ、ありがとうっ……」
トマス:「はい、これからも、よろしくお願いします。部長」
プラトン:「いじめの問題は根深いものがある。完全に解決することは難しい」
プラトン:「けど、自分が犠牲になったからといって解決するものではないこともたしかだ」
プラトン:「あなたは部員たちから慕われているようだし、部員たちをまとめることができると思いますよ」
アリストテレス:「そうですよ。皆さん真剣に演劇に打ち込まれていることは確かだと思います。またいつか、素敵な舞台を見せてください」
アウグスティヌス:「分かった。そのときには取材に来てくれよ」
アリストテレス:「もちろんです!」
【見出し】
アウグスティヌス:「みんな、心配かけてすまない。今回の公演は残念ながら中止になってしまったけど、次の公演に向けて頑張っていこう」
アウグスティヌス:「……ただ、一つ言っておくことがある。これはアウグスティヌスの言葉だけど……」
アウグスティヌス:「『善人は、たとえ下僕であっても自由であるが、悪人は、たとえ支配者であっても下僕である』」
アウグスティヌス:「誰かをいじめて支配した気になってるようなヤツが、いつまでも自由にできるなんて思うなよ?」
アウグスティヌス:「誰かを恨んだりひがんだりする暇があるなら、セリフの一つでも口に出して練習してみろ。自分の実力で舞台に上がれ。役者なら、正々堂々と演技で勝負してこい」
アウグスティヌス:「卑怯な手を使って誰かを蹴落として這い上がってくるようなヤツを、俺は絶対に許さねえ。舞台に上げるつもりもねえ。わかったな? よーく覚えておけっ……!」
アリストテレス:「記念すべき新聞部第一号の見出しは『新生!演劇部に密着!』ってことでどうですか?」
プラトン:「勝手にしたらいいだろう。決定権は君にある」
アリストテレス:「プラトンさんもちゃんと記事を書いてくださいね?」
プラトン:「勘弁してくれよ、部長」
プラトン:「愛というものを知った彼らは魂に磨きをかけ、美しくなる。それは神にも愛されることだろう。アウグスティヌスの言葉を借りるなら」
プラトン:「『愛は魂の美である。』といったところかな」
アリストテレス:「ごまかそうとしてますけど、原稿ちゃんと書いてくださいね?」
プラトン:「君は僕にもう少し愛を持ってくれてもいいと思うよ、アリス君」
《終》