兵庫県斎藤知事問題・石丸元市長問題と同じ匂いがする・カタチを変えた集団ヒステリーとして
兵庫県斎藤知事問題
今の話題は斎藤県知事である。私は、ワイドショーを見ないが、家人が見ているのを見ていると、朝からたくさん取り上げられている。怒鳴った、おねだりしたなど・・・。朝から、こんな話題はきついので、私は、すぐに書斎に引っ込むことになる。
石丸元市長
いっとき、時代の寵児であった石丸元市長であるが、ここのところは、地金が出て評価はがた落ちのようだ。
私の見立ては、何度も書いたように、本人は、安芸高田市長になって、すぐに政治家には向いてないと気がつき、ひろゆき的路線を狙おうと考えたというものである。
東京都知事選挙のときがピークで、新たな政治家の出現と考えた人もいたようであるが、「みんな見誤っている」と書いた。案の定、政治理念も政治信条もないことが露呈した。
同じ匂い
斎藤県知事と石丸元市長は同じようだと論じる人がいるが、似たところはあるかもしれないが、本質的に違う。
石丸元市長の行動原理は、「自己愛」である。他者から称賛されることが行動の基本である。
それに対して、斎藤知事は、仕事が命である。ただ、それが空回りして、他者を傷つけている。
パワハラという面では同じに見えるが
両者はパワハラという面では、同じように見えるが、出発点が違う。
斎藤知事は知事なりに、県民のためだと信じているのだろう。
他方、石丸元市長は自己愛なので、安芸高田市民のことなど考えてない4年間だった。なによりも両者は基礎知識や政策能力が圧倒的に違う。
同じ匂い・集団ヒステリー
私が同じ匂いと感じるのは、ともに集団ヒステリーになっている点である。石丸元市長で言えば、切り取り動画が話題になってファンになったポット出と違って、私は安芸高田市長になったときの観察者である。
だから、どう贔屓目に見ても、石丸さんは、政策形成能力がない、公人としての自覚がないと自信を持って言える。ただ、当時、いくらそれを言っても、多くの人は、切り取り動画を見て、石丸元市長絶賛であった。東京都知事選挙前まででは、99%賛美の声であり、私のように疑義を呈する人は1%くらいだったろう。集団ヒステリーが起こっていた。
同じ匂い
今、斎藤知事に関するコメントは、99%は非難の嵐である。真偽がよく分からない「おねだり」を取り上げて、非難する。亡くなった元局長の書いた告発文をあなたはちゃんと読みましたか。
残りのわずかに1%の人が、もっと冷静に議論すべきだと言っているが、そうした声を出せば、たくさんの×がつけられ、「お前みたいなやつがいるから、斎藤がのさばるのだ」的な非難になる。
これは石丸元市長のときに見た風景と同じである。
斎藤知事が自殺すれば留飲を下げるのか
99%の人が目指す到着点は何だろう。
斎藤知事が辞職すれば到達点か。それで問題は解決したことになるのか。なりはしない。
斎藤知事が自殺でもすれば、満足するのだろうか。この起こった結果に対して、真正面から向き合うつもりのある人がどのくらいいるのか。
人格攻撃しても問題は解決しない
集団ヒステリーのように、よってたかって人格攻撃をしても、また、同じことを繰り返す。解決策にはならない。
「斎藤が悪い」の大合唱は、今は斎藤知事に矛先が向いているから自分事ではないが、その矛先は、誰にだって向かっていく。
選ぶときにきちんと調べる?
何でこんな人を知事に選んだのだ、選ぶときにきちんと調べるべきだという人まで現れている。人格攻撃の到達点は、そうした人が選ばれないようにするということだろう。
でも、そんなことができるのか。要するに、事前検閲をしろということである。特高のような組織を作って調べるのか。
どんな仕組みを作るのか、それを示してもらいたい。
為政者の判断を誤らせる(間違いを助長させる)制度や仕組みから考えていかないと
戦前は知事は国の任命であった。戦後、知事が直接公選されるようになっても、機関委任事務制度によって知事は国の指揮命令に縛られた。この上意下達の文化や制度を残したまま現在の地方自治の仕組みがつくられているところが問題の出発点である。そこに、地方分権で地方の権限が広がったことが問題を広げることになった。ここが問題の本質である。
だから、為政者の判断を誤らせる(間違いを助長させる)制度や仕組みから考えていかないと、問題の解決にはならない。
百条委員会がすべきなので、「おねだり」がどうかではなくて、この点がポイントである。私はテレビを見ないので、何とも言えないが、議会は、自信を持って、この基本から議論していると言えるのか。
強いリーダーシップを求める心情
パワハラの背景にあるのは、住民の現状への不満と強いリーダーシップ願望である。たしかに、今の日本はいいことがない。そこに「強いリーダーシップ」を求める気持ちは分かるが、それはポピュリズムと裏腹である。
首長を規律する仕組みがないことが、一種の治外法権を生み出し、斎藤知事の一連の行動の根本にある。問題の根は深いと思う。
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