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鴇刻《とき》

 流れていく景色。離れていく駅。
 それを眺めながら、私は思う。
 願いなど叶わないのだ、と。

 出発した電車。動かない足。
 俺は絶望する。
 どうして、思い通りにならないことばかりなのか、と。

 けれど、それでも私たちは願い続ける。
 だからこそ、願いは叶うのかもしれない。

 けれど、それでも俺たちは足掻き続ける。
 だからこそ、面白いものなのである。

 何が起こるか、わからないのだから。


 久しぶりに訪れたこの場所は、あの頃と少し変わっていた。
 もう四年、ここに足を踏み入れていない。 

 就活も大詰めに入り、遊んでばかりだった学生生活も、終わりが来ようとしている。
 まるで、泡のような時間だった。消えてなくなって、何も残らない。
 いつだったか、懸命に走り続けたことがあった。あの頃の情熱は、もう戻ってこないのだろうか。

 通学路を通り、母校へ向かう。この道を最後に歩いたのは、卒業式だったか。友達と帰りながら、追いかけてきてくれるのではないか、と淡い期待を抱いていた。

 あのとき、何度も願った。どうにもならない現実を、どうにか変えようと走った。けれども、叶わなかった。

 もし、あのときに戻れるのならば、

 もし、あのときに戻れるのであれば、

 もう一度、あの人に…

 もう一度、あなたに…


四年前の卒業式____________

 俺が下駄箱を開けると、鴇色の封筒がはらりと落ちた。中身を見ると、ある人からの手紙だった。

『久しぶり。急にごめんね。伝えたいことがあったので、手紙を書きました。
 まず、あなたの気持ちに気がついていたのに、何もできなくて、傷つけてごめんなさい。最後まで、手を離さなければ、良かったね。
 それから、自分の思っていることを素直に言えなくて、ごめん。好きだよって言えれば、良かったね。
 本当はあなたの言葉や行動に救われていました。あなたに会えて良かったです。
 ありがとう。』

 俺は手紙をたたみ、走り出した。
 どうして、一番大切なことに、今まで気が付かなかったのだろう。

 手紙など残さなければ、良かった。そうしたら、あの人のことなど、忘れられたのに。

 もし、まだ、間に合うのであれば、伝えなければならないことがある。言わなければならないことがある。

 もし、まだ、叶うのであれば、あの人に会いたい。それだけで、いいから。それだけで、十分だから。

 だから、

 だから、

 どうか、

 どうか、

 あなたに…

 あの人に…


 プシューとドアが開き、中から人が降りてくる。それをぼんやりと眺めていると、一人の男性と目があった。私は、ああ、と思う。

 目があった女性はふっと微笑んだ。それを見て、俺は、ああ、と思う。

「久しぶりですね」と男性が言い、私は「そうですね」と答える。

「丁度、昔のことを思い出していました」と俺が言うと、女性は笑って「私もです」と言った。

「この後、予定は?」と私が聞くと、男性は「特には」と答えた。

「でしたら、お茶でも一緒にどうですか?」と女性に聞かれ、「いいですね」と俺は答える。

「どちらに行きます?」と男性に聞かれ、私は「良いところが家の近くに」と言った。

「では、急いで切符を買ってきます」と俺はいい、女性は黙って頷いた。

 走って行く背中を見送り、何気なく顔をあげると、薄桃色の綺麗な鳥が飛んでいくところだった。
 もしかしたら…。ふとある考えがよぎった。
「ありがとう」
 私は小さな声で、そう言った。

 これから先もずっと紡いでいくね。“とき”、あなたがくれた幸せを。

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