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顔が老けて思考が鈍った「今」に、「思い出」は勝てるんでしょうか

私は今に負けたことがある。
思い出を3年半積み上げた人は、もっと素敵な今を追って去っていった。自分より8歳も下の女の人が可愛らしく見えて守ってあげたくなったらしい。

付き合い始めたときにお互いの間にあった、ずっと一緒にいる気がする予感と、予感の延長線で積み上げた思い出は簡単に崩れた。

サイズもカタチもばらばらの岩を共同作業で積み上げて階段を作ってきたような関係だった。
ひとつひとつの置き方を決めるたびに会話をして、お互いがうんって言わないならこの岩をここに置くことはやめる。押し切ることは不幸だから。
そんな暗黙のルールで階段を積み上げていた。

私は一緒に階段を作った人のことは時間が経つほど情が湧いて、相棒のような親友のような家族のような、いないことのほうが意味がわからない好きになっていた。

あんなに人と向き合ったことは、いままでの人生でなかったと思う。(3年間って一生でみたらすごく短いけど。)

でも、思い出は積み上げたところで今には勝てないんじゃないか。なにかの拍子にハッと目が覚めて、今を見つめて、人生の残りを考えて、過去を捨てたくなる瞬間が誰しも来てしまうんじゃないか、そう思う。


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街なかで、小柄な老夫婦とすれ違った。

「〇〇はいいのか?」
「それはこないだ〇〇したからいいのよ〜」

なにかの相談をしながら歩いてた。
2人共にこにこしながら歩いてた。

熟年の御夫婦って雰囲気が出ていたお二人。

出会ったときと彼らの容姿は変わってると思う。

会話のテンポも、声も変わってると思う。

出会ったころとぜんぜん違うのに、積み上げた時間だけで見た目の変化と考え方の変化を受け入れられるものなのか気になりすぎて観察してしまった。

丁寧に積み上げたつもりの関係がガラガラと一瞬で崩れ去ったことがあると、どう積み上げたら崩れなかったのか予想もつかなくなる。

通り過ぎた2人は別世界の人くらい遠い存在に見えた。
思い出はすべての変化に勝てるものなのでしょうか。

若さにも横槍にも誘惑にも負けずに、お互いが横に居続けるって、仮に自分はできても相手にはしてもらえない気がしている。

運と諦めなのかしらね。

人生ゲームむずい。

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