雪の舞い散る夜

小説『わたしを離さないで(Never Let Me Go)』の作者カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)氏が脚本を手掛け、英国の名優ビル・ナイ(Bill Nighy)氏が主演を務めた映画『生きる(Living/2022)』を観た。

《あらすじ》
1953年、第二次世界大戦後の復興が進むロンドン。市役所の市民課課長であるミスター・ウィリアムズ(ビル・ナイ)は部下からも若い息子夫婦からも畏れられている厳格な人物であったが、末期がんにより余命半年であることを知る。早くに妻を亡くし、今まで仕事一筋で生きてきた彼は自分に残された時間をどう生きるかについて考えるが、不器用なミスター・ウィリアムズは愛する息子に病気を打ち明けることもできず、仕事を休んで海辺の街で羽目を外してみてもなんだかしっくりこない。そんな彼が人生の最後に情熱を傾けたものとは・・・?

本作は黒澤明監督の同名の作品を、1950年代の英国を舞台にリメイクしたものとのこと。現役の公務員役にしては70代のビル・ナイ氏はややお歳を召しすぎているようにも思えたけれど、彼のキャスティングありきで書かれた脚本というだけあって、すぐにその世界に惹き込まれた。
 

私は10年以上前にがんと診断され、手術を受け、そのときから数年間はどう生きてどう死ぬかについてよく考えていた。思い返せば、それは自分自身と向き合う大切な時間であったと思う。

幸いなことに今でも私は生きているけれど、残念ながらミスター・ウィリアムズには終わりが訪れる。想いを遺していった人と、遺された人たちの想い。それらが完全に重なり合うことはないけれど、心に刻まれたものはどこかで響き合う。

雪の舞い散る夜にミスター・ウィリアムズが幸せそうにブランコを漕ぎながら故郷スコットランドの歌を口ずさむ場面には、人生の儚さと美しさが同居し、観る者の心を静かに揺さぶる。派手さはないけれど、良いものに触れたなぁと思える映画。原作である黒澤作品もいつか観てみたい。

余談ながらこの映画で個人的に気に入っているのは、ミスター・ウィリアムズが若い部下のミス・ハリスにフォートナム&メイソンでフルーツやナッツがのったアイスクリームサンデーをご馳走する場面。老舗のティールームの雰囲気も、交わされるふたりの会話も、ワゴンで運ばれてくる美味しそうなデザートも、すべてが良い。幼い頃に父親と行ったデパートのフルーツパーラーでパフェを食べたときのような、幸せな原風景が心に去来した。

 
最後にもうひとつ、英国が舞台で公務員が主人公という共通点から映画『おみおくりの作法(Still Life/2013)』を紹介したい。

《あらすじ》
身寄りのない人のお見送りを担当する40代の公務員ミスター・メイは弔う相手が生前好んだものなどを把握した上で丁寧な葬儀を心がけていたが、業務に時間をかけすぎているという理由で上司から解雇通告を受ける。最後の仕事となったあるアルコール依存症の男性の葬儀を執り行うにあたって、ミスター・メイはより深く故人について知るために旅に出る。

決まり切った生活から、一歩踏み出した先にあるもの。『生きる』も『おみおくりの作法』も自分自身と向き合い、未知の自分と出逢うことで短いながらも幸せな時間を生きた公僕たちの挽歌である。お好みに合えばぜひ、ご賞味あれ。

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