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パウロは赤点の30点で天国へ入れるギリギリのラインで目安 人格の電子化は地獄行き

1、パウロは赤点の30点で天国へ入れるギリギリのラインで目安
聖書の中の登場人物で、誰かがギリギリの合格ラインである。
聖書で禁止事項が書かれているのだから、当然、誰かがギリギリの合格として紹介されているはずである。
そのギリギリの合格ラインがパウロなのだろう。
パウロの手紙を除く本来の聖書の中の登場人物で、具体的な生い立ちや経歴や言動が明確に判っているのは、パウロぐらいしか居ないから、パウロがギリギリの合格ラインだろう。
他の人物だと少し違う。旧約の預言者は、神の代筆者だから、預言者の言動としては根拠が薄い。パウロの手紙はパウロが自分で書いたモノだから、パウロ自身の言動として根拠がある。

パウロは、特権を捨てられない根性なしで、自分が目立ちたくて、チヤホヤされたくて、嫌がらせしたくて性根が悪くて、ステファノ殺害で実質的に命令を下したのに賛成しただけだと言い訳するため、人間臭いから割と好きなタイプである。
パウロの実家はトップレベルで権力があるから、そのパウロがステファノ殺害の場面で賛成するのは、実質的に殺害命令を出しているのと同じだ。
好きな人間だからといって事実を捻じ曲げてまで擁護する気はない。
パウロがステファノ殺害の件で罰や報復を受けた形跡がないから、パウロの実家は本当にトップレベルで権力がある。
そりゃ、こんなトップレベルの特権を捨てられないわな。

中途半端な特権だったら、めんどくさいからさっさと捨てるけど、トップレベルの特権では捨てられないわな。
実際、下級貴族とかの中途半端な特権だと中間管理職だから、上からは嫌味を言われるし、下からは妬まれるし、いい事ないから、さっさと捨てる。
自由に生きられるのは、一番上と一番下と言われているぐらいだ。
今の時代でも一番上と思われている特権階級だって、実際はサタン側の捨て駒として表の権力者にされているだけだから、タダの中間管理職だ。

天の主を信仰して神の掟を守れば天国へ入れるのだから、自分の敵だろうと嫌いだろうと愛して一緒に天国で暮らす事を喜ぶ。

好き嫌いで捻じ曲げてはいけない。
聖書で「好き」という描写でロクな事がない。
そもそも、善し悪しを自分で決めないと正しい登場人物が言っている、と聖書にある。

パウロが嫌いな癖に褒め称える神学の連中。
本当に好きならしっかりと調べる。
どうせ、偽装キリスト教団の中で出世するための踏み台としか思っていないから、何も調べないで、教団の言うがままに丸暗記して褒めているだけ。
勉強で言えば、何の興味もなく嫌いだけど、見返りが欲しいから丸暗記しているだけなのと同じだ。
興味がないか嫌いだから、割り切って出世の踏み台として扱えるのだ。
好きなモノに対して、そういう扱いはできない。
ただの我利勉なら、見返り目当てで興味のない嫌いなモノでも暗記する。
俺がパウロに対してムカついていたのは、こういう神学の連中に対してムカついていたのだろうと、今にして思う。
根本的に、自分の利益のために他のモノを悪用する奴は悪い。
いけ好かない偽エリートの我利勉と同じ。
裃(かみしも)を着た盗人。
強盗の住処にしている。

我利勉に対する怒りを、パウロに対して筋違いな怒りをぶつけていたから、パウロに対して謝罪する。
申し訳ありませんでした。
しかし、パウロに対する評価は変わらない。
それとこれとは話が別だからだ。
あとパワー系池沼なんて例えたけど、そこも謝罪する。申し訳ありませんでした。ただ、ローマ兵から見て縄だと引きちぎられると思って鎖を使って縛っているから、相当な体格の強さなのは確かだ。
数回で死ぬ鞭で何百回も打たれても死なないし、何の障害もなく布教活動を続ける。この部分を何回か読んでいて、鞭打ちは、嘘か、幻覚か、夢でも見たのか、手加減されたか、偽物の柔らかい鞭で打たれたか、とんでもなく偉丈夫なのか、どれかだと思った。

偽装キリスト教団のパウロカルトは、パウロを聖人指定して、人々がパウロほどではないけど、パウロに近い貢献をして天国へ入れると思い違いをさせて、地獄へ道連れにするのが計画なのだろう。
30点が赤点で合格ラインなのに、パウロを100点に設定して、パウロより5点低いから95点で天国へ入れるだろうと間違った安心をさせて地獄へ道連れにする。
薬害でも、間違った安心で洗脳して殺しただろう。
実際のパウロは30点でギリギリである。
パウロが100点と思い込んで、自分はパウロの30点ほど下だから、70点は取れて合格だろうと思っていたら、パウロは実は30点で、自分は0点でしたというオチになる。

合格ラインを調べるという基本的な事をしない。
大学とかの試験でも合格ラインを探さないのだろうか。
本当に学校の勉強もちゃんとやっていたのだろうか。
自分が合格ラインかどうかを客観的に調べようともしない。

パウロを偶像崇拝している連中は、散々、言葉より行いが大事と聖書に書いてあるのに、全く読めていないのだろうか。
パウロの言葉より、パウロの行いで判断する必要がある。
ファリサイ派は、口先ではルールを守れというけど、実行しないし、守らない。
パウロ自身も信仰と実行は大事と言っているのに、パウロカルトはパウロの手紙・言葉だけを妄信する。
パウロカルトの妄信者は人の言葉を理解する気がないのではないか。
根本的に他人を理解する気がないのではないか。
見返り目当てで丸暗記しているだけ。

優しい言葉を掛けても相手を理解した事にはならない。
相手の事情を把握できてしまうと、むしろ厳しい言葉が出る。
だからといって、厳しい言葉を言ったところで相手を理解した根拠にはならない。
とりあえず厳しい言葉を言っとけという程度の軽いノリのワンパターンをやりかねない。
やはり、聖書に基づいて、神のルールに違反した者に対して厳しい言葉を言う場合だけが、正しい言葉である。

相手を肯定したからといって、相手を理解した証拠にはならない。
理解していない癖に判った振りをする奴も存在する。

非信者は、変なモノを崇拝したがる。
相手を崇拝したからと言って、相手を理解した証拠にはならない。
崇拝して無条件で崇拝した事になるのは、神に対してだけである。
非信者は、崇拝する相手を探しているだけではないのだろうか。
非信者は、神を忘れたから、崇拝する対象を失ったため、代わりの何かを崇拝の対象にしたいだけなのだろう。
結局、何らかの権威を捏造して妄信する結果になる。

2、人格の電子化は地獄行き
人格の電子化について。
ふと思ったけど、人格を電子化すると、その人格プログラムをコピーして、いくらでも虐待して遊ぶ事ができる。
どうすれば地獄へ道連れにできるか、研究もはかどる。
だから、人格の電子化には絶対に応じてはいけない。

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