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日本人は大人と子供を区別できないから子を生贄 重罰好きの末路 ホス狂 新約と権力とサタン

1、日本人は大人と子供の区別ができないから子を生け贄にする
芸能事務所による子供への性加害は、原因が3つある。
1つ目は、日本人は大人と子供の区別ができない。
2つ目は、他人を生け贄にする因習がある。
3つ目は、自分が生け贄になりたがる。

1つ目は、非信者は子供を識別する動機がない。
聖書の神の信者なら、聖書に書かれている「孤児を守れ」とか「子を育てろ」という神の命令によって、子供を認識する事ができる。
欧州も昔は子供を認識できなかったのは、欧州のキリスト教は偽装キリスト教団だからだ。
日本人には、神から命令されて死後の天国と地獄の振り分けというメリットデメリットを認識できないため、子供を区別する動機が働かないから、大人と子供の区別が付かない。

日本政府が年齢を設定して、その設定を妄信して20歳に成ったら大人と扱う、というやり方で、ようやく子供を守る。
これは自分の頭で判断していない。設定や肩書の年齢の数字を妄信しているだけだから、自分の頭で考えていない。
キチンと自分の頭で考えている場合は、別の人に教える事ができる。
設定を妄信している人間は、他人に同じように設定を妄信しろと強要する事しかできない。
思考停止で丸暗記させて、何のためか判らないままルールを守る生き方になる。
外圧によって年齢で大人と子供の区別をしろと強要されて、ようやく区別するようになった。
外圧に屈しただけだから心の底から区別していないため、犯罪事務所のように子供を性搾取するような組織が出てくるし、そんな犯罪組織を野放しにする大衆になる。
なぜ野放しにするのかというと、心の底から大人と子供を区別していないから、何が悪いのか理解できないからだ。
外圧で強要されるまで動かない。自主的に動かないのは、心の底から区別できていないからだ。人が死なないと動かないどころか、人が死んでも動かない。被害者が自殺しても大衆は全く動かない。

素直な心を失うと子供ではない。

しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

マタイによる福音書 19:14

子を諭すように言っている。

鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。

箴言 13:24

神の信者が大人と子供を区別できるのは、神が区別して教えたり諭したり助けろと言っているからだ。

2つ目は、他人を生贄にする考え方がある。
非信者が子供を守ると言うのは、単純に法律違反が怖いから加害しないだけである。法律で逮捕されない立場の犯罪事務所だと、平然と性搾取するし、大衆や偽ファンも何の対策もしない。
非信者は他人を食い物にする価値観だから、警察などで禁止にしないと、そのまま他人を食い物にする。
非信者は子供を守る動機がないから、子供を搾取する。
非信者は子供を識別する能力がないから、子供を搾取する。弱い大人だと見間違えて搾取する。

3つ目は、子供を犠牲にするのは自分も生贄になりたがっているから。
俺も聖書を読む前に自己顕示欲に支配されていた時は、何らかの犠牲に成れないモノかと考えていた。
自己顕示欲と自己犠牲は似通っている。
日本政府が生け贄を禁止にしたのも、サタン側が神の信者を死なせたくないからだ。もし、生け贄を禁止にしていなかったら、神に立ち帰ろうとする信者候補を立ち帰る前に死なせる危険性が高い。
基本的に、神の信者は、神のために自己犠牲をする精神が高いから、自己犠牲を強要する社会だと死にやすい。
神の信者は、神に立ち帰る前の精神状態が最も不安定だから、変に漬け込まれて生け贄にされる危険性が高い。
信者が居なくなると神が怒って、この世をソドムとゴモラのように亡ぼして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消す。
だから、サタン側は最後の裁きが前倒しにされたくないから、信者が死なないシステムを作る。
サタン側にとって、神の信者の誕生が0になると、いつかは信者が0人になって、この世を滅ぼされて地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消されるから、信者候補が犠牲にならないシステムにしたい。
非信者は、自己顕示欲のために自分から生け贄になりたがるため、子供が生け贄になっていても何が嫌なのか理解できないから止める理由も判らないので、子供を搾取されるのを止める動機がない。

イエス・キリストの復活のすぐ後で弟子たちが世界中へ布教して、日本にも定着したのに、掟を守るのが嫌だから神道へ逃げて、それから子供を生け贄にするようになった。
人間の生け贄を禁止にしているイエス・キリストの教えを捨てて、人間の生け贄を推進する神道に飛び付いたから、日本は生け贄国家になった。

2、重罰好きの末路
犯罪者を重罰にしろと言っている奴は、自分が犯罪をしていないと思い込んでいるのが的外れである。
逮捕しようと思えばいくらでも逮捕できるけど、警察や刑務所の予算に限りがあるから逮捕しないだけである。
弁護士などが頑張っているから、警察も逮捕をためらうのである。
重罰好きの者は、人間が作った法律でも違反しているのに、神のルールにも違反している。
才能の私物化は、神のルールで違反だから犯罪になる。自分が犯罪をしていないと思っているなら、モノを知らない人間の考えである。罪を犯さない人間は存在しないと聖書にある。

列王記上 8:46
もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、――罪を犯さない者は一人もいません――あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの敵地に捕虜として引いて行かれたときに、
歴代誌下 6:36
もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、――罪を犯さない者は一人もいません――あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの地に捕虜として引いて行かれたときに、
コヘレトの言葉 7:20
善のみ行って罪を犯さないような人間は/この地上にはいない。


悪魔崇拝も犯罪だから、神社や仏閣の悪魔崇拝へ参拝するのも犯罪になるから、酸敗が犯罪ではないと思っているなら思い違いである。

他人を裁くように裁かれる。

マタイによる福音書 7:1
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
2 マタイによる福音書 7:2
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
3 ルカによる福音書 6:37
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
ヨハネの黙示録 20:13
海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。

自分が他人を裁くように自分が裁かれる。
ただし、神のルールを守れと言うのは正しい。
神のルールを破っている人間に対して「お前は神のルールを破っている」と警告するのは、神がエゼキエル書33章で命令しているから、警告するのは正しい。
俺は聖書の観点から他人の背教行為を糾弾するけど、俺も他人から「聖書の観点で背教行為を糾弾」して欲しい。

マタイによる福音書 7:12
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
ルカによる福音書 6:31
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

というか、俺の代わりに神のルールを世間に教えて欲しい。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしている。

自分より優れた人が居たら、自分が楽できると思っているだけだ。
自分の知能指数が10上がるよりも、他人全員の知能指数が10上がった方が俺は楽できると思う。
難しい仕事を他人に押し付けて、自分は気楽に生きたいと思っている。

3、ホス狂
動画を見ていると「男はキャバクラ狂いにならないけど、女はホスト狂いになる」という話が出てくる。
男がキャバクラ狂いにならないのではなくて、男はキャバクラ以外で女狂いになるだけ。
女だけがホスト狂いになるのではない。
男は、何千万円も女に金を騙し取られている。

4、新約と権力とサタン
なぜ、新約になってからサタンに権力を与える任職をさせるのだろうか。

ルカによる福音書 4:6
そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

この聖書箇所で、神はサタンに対して、サタンに魂を売った人間を権力者にする役割を任せた。
なぜ、神はサタンに対して、旧約では権力者の選定を任せないのに、新約で任せるようになったのだろう。
旧約のサタンは、ヨブ記でヨブの家族を殺したり財産を潰したけど、誰かを権力者にしたという描写があっただろうか。
異邦人の国王が悪魔崇拝をしている描写はあるけど、サタンがその国王に権力を与えたという描写はなかった。俺が読み取れていないだけなのだろうか。

前に書いた「イスラエルの設定が要らなくなった事柄」に関係ある。
旧約時代だと異邦人は「敬虔なイスラエル人」を助ける事で天国へ入る。
注意、今の偽ユダヤのイスラエルのハザール人の事ではない。
異邦人は、権力者になってから「敬虔なイスラエル」を助けに行けば天国に入れる。

旧約で異邦人の将軍が立ち帰って赦される描写がある。
当時で将軍になるのに人殺しをしていないわけがないから、人殺しをしても天国へ入れる時代だったのだろう。

エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。ナアマンがエリシャと別れて、少し行ったとき、

列王記下 5:19

預言者エリシャが異邦人の将軍ナアマンが王の悪魔崇拝に付き合わないといけない時に、上辺だけ崇拝してもいいかと聞いた時に答えた聖書箇所。

また、権力者にならなくても、1人で「敬虔なイスラエル」を助けに行けば、娼婦ラハブのように天国へ入れる。
しかし、新約になると、イスラエルの設定は不要になったから、異邦人は権力者になってから「敬虔なイスラエル人」を助けて天国へ入るルートがなくなったし、1人で助けに行っても天国へ入れない。

全ての人が神を信じて掟を守れば天国へ入れる平等になったけど、権力者は何のために存在するのだろうか。
旧約なら権力者の存在も軍事力で「敬虔なイスラエル」を助けに行く役割がある。
新約になると、誰でも信じたら天国へ入れるのだから、軍事力で「敬虔なイスラエル」を助けに行く必要性がないから、権力者が不要になる。
旧約の権力者の存在が不要になったから、新約の権力者は別の役割を課せられているのだろう。新約の権力者の役割は、神の信者を死なせないシステムを作る事だ。

サタン側は神の信者を死なせたくない。
神の信者が居なくなると、この世が滅ぼされて、サタン側は地獄へ落とされて焼き続けるか魂を消される。
だからサタン側は、神の信者が死なないように権力者に命令して、信者が死なないシステムを作らせる。これが新約時代の権力者の役割だろう。

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