職業倫理 違う生き方を許さないで道連れにする奴 鳥と非信者の生態は似ている
1、職業倫理
職業上で知った事を他人に言ってはいけないのは守秘義務であり、職業倫理である。
最近、職業倫理の無い人が増えたのだろうか。
俺の印象では増えたと思う。
人手不足だから、職業倫理の無い人でも雇うから、そういう立場のある職業倫理の無い人が問題行動をしてしまうから、目立つのか。
人手が十分に有るなら、ワザワザそんな人間を雇う必要性がない。
職業倫理に違反しても罰がないからか。利益になるSNSなどが増えたからか。
昔からこんな感じでばらす人が多かったけど、SNSで職業倫理の無い人が目立つようになったからか。
元々、人々には職業倫理がないけど、ネットで目立つようになったのか。
バイトテロみたいなモノで、昔からバイトテロなんて、いくらでも発生していたけど、ネットがなかったから表に出なかっただけ。
ネットで閉じたコミュニティーになりやすいからだろうか。
元々からある、この閉じたコミュニティーが表に出やすくなったのか。
閉じたコミュニティーは、外からの情報が入り辛い構造が問題だ。
非信者だと、外部からの情報が入り辛いし、正しい情報も入り辛い。
非信者だと、外部からの間違った情報が入り込む危険性が常にあるため、掃き溜めみたいになる。
間違った情報を捨てる構造が必要だし、正しい情報を留める構造も必要である。
神の信者なら、正しい神の掟が外部から入り込むため、間違えないし、間違った情報を排除して、正しい情報が留まる。
2、違う生き方を許さないで道連れにする奴
ファリサイ派は、他人に重荷を背負わせる癖に、自分は重荷を背負わない。
こういうファリサイ派みたいな奴が存在する。
他人に不要な重荷を背負わせる奴。
特定の国に対して不買運動をさせようとして、応じない他人に不要で有害な罪悪感を背負わせる奴。
商品は必要かどうかで買うかどうかを決めろ。
不要な重荷を下ろさせない。
神のルールという必要な重荷は背負わせない。
神のルールという必要な重荷を下ろさせ捨てさせようとする。
必要なルールは背負わせないけど、有害な荷物を背負わせようとする。
こういう連中は、人々を地獄へ道連れにしようとするのである。
ヘルメットに対してケチを付ける人は「ヘルメットをかぶると安全に気を付けなくなる」とか言い出す。
自分1人で危険な選択をして黙ってノーヘルでいればいいのに、なぜか他人もノーヘルにさせようと唆す。
この道連れ思考は、何なのだろう。
ナチュラルに他人を道連れにしようとする。
怠ける癖に、1人だと不安だから、他人も怠けさせる。
ヘルメット産業の邪魔もする。
他人が自分と違う事をすると不安になって、他人に自分と同じ事をやらせようとする。
不安障害という精神病ではないだろうか。ただ、不安障害は他人と同じ事をしようとするから、少し違うか。
自己正当化に近いのだろう。
「自分は正しい生き方をしている」と思い込んでいる。
「自分とは違う生き方を認められない」のである。
他人の幸せを否定する。
自分と違う生き方を認めることができない。
自分と他人の区別ができない。
自分と同じ生き方をしている人が不幸だと受け入れられない。拒絶して、相手を否定しようとする。
神の信者は、自分と違う生き方をする人は、地獄へ落ちるから残念ではあるけど、強制はしない。相手が自分で選んだ事だから、相手の問題である。
神のルールを守る生き方をしたら天国へ入れるから、他人にも神のルールを守るように警告するけど、相手が従わないなら、残念だけど相手は地獄へ落ちるけど、相手が選んだ事だから相手の問題である。
神の信者が自分と他人を区別するのは、聖書で「自分の道」「自分の十字架」という語句が出てくるからだ。
3、非信者は鳥の生態と似ている
聖書で、神は親鳥、人は雛に例えられる。
もしかすると、鳥の生態が非信者の生態に似ているのだろうか。
聖書で天の主をめん鳥に例えるのは、鳥と非信者が似ていると言いたいのかもしれない。違うならワザワザ神をめん鳥に例えない。
雛は、目が見えないし、耳も聞こえない。
雛が育つと、今度は兄弟姉妹を押しのけて、自分だけ餌にありつこうとして、襲撃者(サタン側)に対する警戒心がまるでないから、一瞬で襲われて巣から連れ去られたり、蛇に半分ほど飲み込まれてから騒ぐ。
兄弟姉妹を押しのける時に、一番に弱い立場の雛が、一番に不利なところへ押しやられて、襲撃者に一番に襲われる。生け贄社会みたいだ。
猛禽類は、兄弟姉妹で弱い個体を共食いする。
そして、兄弟姉妹が襲われても、シワ寄せをしていた他の雛は、真っ先に逃げて隠れて助けようともしない。
イエス・キリストは、迫害や冤罪で殺されそうになっても、逃げも隠れもしない。
巣から落ちそうになっても動いても助けないで、振動で親鳥が来たと思って餌をねだる。
政変で誰かが犠牲になっているかもしれないのに、チャンスが来たと思って甘い汁を吸うために暴れまわる。
町の平安を祈らない者に平安はない。
神の信者同士は、互いに犠牲にしようなんて思わないし実行しない。
鳥は天使に例えられる。
神に立ち帰った人は、死後に天使のような存在になる。
聖書で、目の見えない人を治す、耳の聞こえない人を治す、というのがある。
これは、偶像のように目も見えない耳も聞こえない非信者を立ち帰らせた事を言っているのだろうか。
偶像を拝む者は偶像のようになると聖書にある。
また、口の利けない人とは、自分からモノを言えない人や、口下手な人も指すのだろうか。
世の中には、物事を考える能力が無い人も居るから、そういう人は無条件で癒すから、能力が欠けている人は無条件で天国へ入れるのだろう。