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薬害の不要な行列 赦される無知と赦されない無知 足枷が報酬 虚業は不正 話下手と太陽信仰
1、薬害の不要な行列
並ばせる必要性が全くないのに並ばせるインチキ疫病のエセ予防薬。
一年以上の期間があったのに、1分毎で順番に入れ替わるような仮設の建物すら作らない。
業務用の大きな扇風機で、入れ替えるたびに空気も入れ替える事を考えられない。
1分ずつズラす予約票を渡せば良いだけなのに、そういう事をしない。
並ばせて、並びたい欲を刺激して、注射するように仕向ける詐欺の手口である。
行列ができると自分も並びたくなるのは悪い癖である。
自分の頭で考えて、自分に必要か不要か調べるべきだ。
何故、並ぶ必要性があるのか。
並び癖を洗脳するためにワザと並ばせているのか。
とんでもなく非効率である。
人の時間をドブに捨てている。
遅刻して人の時間をドブに捨てる奴らと同レベルのメンタリティーをしている。
こんな奴らの言う事に従ってはいけない。
並ぶ必要性のない事に並ばせた奴らも、当然、同罪である。
得体の知れない並び癖を植え付けた罪がある。
1分ずつズラせば良いだけなのに考えが思い浮かばない。
自分で疫病は空気感染するとか言いながら、なぜか集めて並ばせる。
自分の言っている事も理解できないのではないのか。
自分の言葉に責任感がないから、自分の言葉が矛盾していないかを考える意識が欠落する。
責任感が欠落しているから、自分の言葉の矛盾に気付かない。
矛盾がワザとらし過ぎるし、運営が不手際過ぎるから、捏造だと気付けとサタン側がヒントを出しているのだろう。
そして、気付かない奴らをあざ笑う。
まず、並ぶ必要性がない事に気が付かないといけない。
自分が並んだ事で、他人の並びたい欲を刺激して、注射するように仕向けた悪行を反省しなければならない。
被害は免罪符ではない。
自分が他人に加害した罪を自覚しなければならない。
思考停止の責任は当然ある。
自分1人が目覚めていたら、被害に遭わない人も存在した。
もし、自分1人が思考停止でも誰も被害に遭わないなら、誰にも影響を与えない自分が生きている意味がない。
2、赦される無知と赦されない無知
判らないから無罪という屁理屈は通用しない。
どこぞの知事も、部下が死んだ理由が判らないから自分に責任がないとか、ふざけた事を言っている。
外敵に部下が殺されても、理由が判らなければ自分に責任がないと言うつもりか。
無知は無罪ではない。
無知は無罪と思い違いをする原因は何だろうか。
無知は免罪符ではない。
この知事は無知を免罪符と思い込んでいる。
むしろ、知事は死因を知らなければならないレベルの責任者である。
死因を把握する義務がある立場だ。
死因が判らないなら、自分は能力不足だから不適格として辞任する。
この知事は、その内、自分の失策が原因で有権者が死んでも「何で有権者が死んだのか判らない」とか言い出す。
そんな知事でもいいと有権者が言うなら、有権者が殺されても自己責任だ。
政治家が知らぬ存ぜぬで責任を取らなくていいと思っているのと同じだ。
あと、誰が当選するかは、サタン側が決める事だから、この知事を再選させたくないなら、神に立ち帰るしか方法はない。政治的には有権者の自己責任ではないけど、神に立ち帰らない有権者の宗教的な自己責任である。
自分が並んで他人を巻き込んで他人を殺した罪がある。
騙す気はなかったと言っても赦されない。
実質的に他人を巻き込んでいるから有罪である。
「騙された方は悪くない」と口先で言っても、実質的に「騙される方が悪い」という行動をしている。
言動不一致。
自分の言動不一致に気付かないから、騙されて薬害に遭うのだろう。
「騙された方が悪い」という考え方だから「他人を巻き込むのではないか」という意識が欠落するため、ムザムザと並んで薬害に遭う。
自分の行動が他人の害になるのではないかという意識があれば、もう少し物事を考えて、エセ予防薬の薬害に気付いて回避できる。
「騙される方が悪い」と考えている奴ほど騙される。
多分、無知が無罪と思っているのは、神を知らないからだろう。
神に対する罪は、神を知らない内は赦される。
しかし、神を知らないから、神に対する罪だけしか赦されないのが判らない。
だから、知らなければ何でも赦されると思い違いをする。
神に対する罪も、神を知った後で、神に謝罪して、被害者に謝罪して、2度と罪を犯さない生き方をする事で赦される。
赦される無知は、「神を知らない時」に犯した「神に対する罪」だけである。
天の主を信仰しないから、赦される無知と赦されない無知の区別が付かなくて、無知なら何でも赦されると思い違いをする。
3、足枷が報酬
自分の力で生きるプライドがある世代が居る。
自力で生きる事を自尊やプライドとか言うけど、それを家族や子供に強制するのは毒親である。
自分が人に頼らないために、子供に人を頼らないように我慢させるのは毒親である。
そういう世代が病気になって自尊心が傷付いたと言うけど、交通事故や病気に遭うのは、ほぼ偶然だから、偶然に任せて自己実現するつもりなのだろうか。
運任せで善し悪しを決めるとか、少しおかしい。
偶然で交通事故に遭った人間は、不適格で人生の脱落者と言うつもりなのだろうか。
中途半端に才能があると無理が通ってしまうから、挫折しないで壁にぶつからないため、神に立ち帰るチャンスが手に入らない。
1950年代生まれの世代は、たまたまサタン側が高度経済成長にして先進国にして傲慢にするのが目的だっただけで、自力で成し遂げたわけではない。
むしろ、そういう傲慢な意識は、経済成長の邪魔になっていた。
昨日、書いた、サタンの報酬がショボいとは言ったけど、報酬が罠という状況である。
青春と人生を犠牲にして得るのが家族や肩書という罠である。
聖書で神は家族を捨てろと書いてあるし、蛇を渡す親は居ないともある。
マタイによる福音書 7:10
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
ルカによる福音書 11:11
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
サタンは、そういう事をする。
人生を犠牲にして幸せが欲しいのに不幸を与えるのがサタン側だ。
努力した結果で得られるのが家族や肩書という足枷なら、その努力は無駄であり害悪である。
その努力でどういう結果になるのか判れば、その努力が正しいか間違いか判る。手に入るのが家族や肩書なら間違った努力である。
ましてや間違ったプライドなんていう傲慢の原因が染み付いたら、破滅する。
人生を犠牲にして、報酬が家族・肩書・財産・プライド・「人間社会の名誉」などという足枷である。
奴隷の鎖自慢になる。
これらに囚われると地獄へ引き摺り込まれる。
「人間社会の名誉」ではなく「神の名誉」を追い求めるべきである。
4、虚業は不正
大金が動く虚業なんて不正の温床である。
実業で不正をすると、人が死んだら、徹底的に詰められる。
虚業なら不正をしてもナアナアで済ませる人が多い。
「別に無くても困らないでしょ」で話が終わる。
「嫌なら見るな」で話が終わる。
実業でも不正があるのに、虚業ならなおさら不正だらけだ。
人の生き死にが掛かっている事でも不正をやる国家が存在するのだから、虚業なんて不正だらけになる。
1人で自然に触れる趣味なら、不正の入りようがない。
近所の小中学生のスポーツの試合を見るとか。
ただ、中学生で八百長を持ちかける奴は存在する。子供の試合で審判の不正はない。
時々、コメンテーターで「子供や知り合いの兄ちゃんの試合は見るなら判る」という人が居るのは、商業スポーツが不正で八百長だらけなのが判っているからだろう。
不正だらけだと言うと犯罪組織に潰されるから、こういう言い回しになる。
審判を買収しやすくするために、審判の給料を不当に安くするように介入するスポーツがあるのだろう。
いくら何でも審判の給料が安すぎる。
制度を作る段階から八百長グループの犯罪組織が入り込んでいる。
5、話下手と太陽
悪魔崇拝の太陽信仰と話下手の関係を書いたけど、追加。
無口なのは、黙々と働いた方が稼げる環境だからだ。
日本とエジプトは、どちらも気候が安定して農業ができる。
聖書では、そのエジプトでも7年の飢饉になっていたけど、神が下した罰だから、そうなる。
日本は江戸時代の250年で数回しか飢饉がなかったぐらい安定している。
エジプトもナイル川の氾濫で農業は安定して豊かだ。
だから、おしゃべりで稼ぐより、黙々と農作業をした方が生き残れる。
中国大陸みたいに数年に一回の凶作が来るような気候だと、黙々と働くよりも、話術で巧みに富を騙し取った方が生き残れる。
そうして、生き残った結果が、今のように饒舌な人間だらけの国と、無口な人間だらけの国になったのかもしれない。
ただ、そうだとしても、なぜ日本とエジプトを太陽崇拝にしたのかという問題がある。
別に、無口と月信仰が親密だとしても、特におかしくは感じない。
サタン側の太陽崇拝の勢力が、無口な集団を支配したいのかもしれない。