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勇気を失う原因 理解する気ない原因  女の刑の上限 日本人にキリスト教させない 甘言 魂売

1、勇気を失う原因
無責任に他人に挑戦させようと書き込みをする奴が存在する。
受け止められるぐらい体力と精神力があれば良いけど、なかったら心が折れて再起不能になる

心が折れるから、チャレンジできない。
心が大事だから、チャレンジできない。

神の信者なら、別に命を失っても殉教して天国へ入れば良いから、普通にチャレンジする。権力者の悪行を糾弾する。
神を失った非信者は、チャレンジしなくなった。チャレンジできなくなった。
サタン側が神を隠したから、人々は勇気を失った。命よりも大事な神を失ったから、命を惜しむ臆病で勇気のない生き方をするようになった。
神の信者は、死後の天国入りが大事だから、この世での心や命は天国へ入るための道具でしかない。
非信者は、死後の天国という目標を失ったから、この世での心や命を優先するようになった。

命と金の交換は、勇気ではなく、取引である。
非信者は、金を稼ぐために、命を危険に晒すことを、勇気だと間違えている。
神の信者は、命を危険に晒して金を手に入れたりしない。命は殉教のために使うモノである。

2、理解する意識がない原因
文章や話を理解する気のない人は、金にならないから理解する気がないのである。
金になる場合だけしか、理解する気がない。
利益や気持ちよくなる時だけしか、話を聞く気がない。
学校や企業に合格できるかどうか、というペーパーテストの文章しか理解する気がない。

耳のない者。
耳は良い話も悪い話も嫌な話も同時に入ってくる。
耳のない者は、悪い話や嫌な話は入ってこない。
耳のある者は聞きなさい、という聖書の意味は、自分にとって嫌な話も聞ける人は聞きなさいという意味だろう。
耳の有る無しは、少し変な表現である。普通は、耳が聞こえるか聞こえないかを質問するはずである。耳が有るか無いか、という質問の仕方は、少し不思議だから、別の意味がある。

自分にとって不都合な話を聞ける精神力のない者は、まだ神の言葉を聞ける段階に成長していない。
固い食物と乳の話でも、精神が成長していない者は、固い食物を食べられないから乳を必要とする。

俺は毒親とのトラブルを何十年も経験して苦しんだから、不都合な話を聞ける精神力が身に付いた。
毒親の元に生まれるように神が組み立てて、神に立ち帰れるようにしてくれたから、神に感謝する。

3、女の刑の上限
前に書いたけど、追加。

一家離散が女の責任の上限。
モーセ五書で女に石打刑をするけど、それは古い法律である。
モーセ五書よりも新しい法律である箴言では、女は家を壊すと書いてあるから、新しい方が優先される。

知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれをこわす。

箴言 14:1

実際、新約では、神であるイエス・キリストが女への石打刑をやめさせた。最新の時代で神が実行した事が優先される。

優先順位がある。

古いモノより新しいモノが優先される。
言った事より実行した事が優先される。
神が最優先で、次に使徒や預言者、次に正しい人、次に信者。

だから、神であるイエス・キリストが新しい時代に実行した「女に対する石打(死刑)をやめさせた」から、女の死刑は廃止になった。
一家離散が上限だから、姦通の女の一家は離散する刑罰になるけど、姦通の女の一家が離散した描写がないから、多分、姦通の女は家族が居ないのだろう。
昔から、娼婦になると家族が居なくなったり、家族が居ないから娼婦になったりする。

一家離散がどの程度か。
女の他の家族同士でも離散するというのも考えられる。
乳児が居たら孤児院へ預けるとか。
妊婦は、子供が生まれた後に引き離す事はない。その時はまだ胎内に居たからだ。

女の死刑は、最も古い時代のモーセ五書の聖書で、預言者のモーセが代筆しただけ。
神が新しい時代で実行した方が優先される。

男に対する死刑は、イエス・キリストの隣で殺人罪の男が死刑になっていたし、別に中止にさせない。
男が立ち返っても、死刑の中止にはならなかった。
姦通の女は立ち帰ったら、死刑は中止になった。

女の死刑に賛成する奴は地獄へ落ちる。
日本で女の死刑が少ないのは、2000年前にイエス・キリストの教えが広まって、この解釈が広まって、慣例として残ったからだろう。
何でこのルールが存在するか判らないけど、慣例としてルールが守られている場合がある。
ルールを守る意味が判らないけど、何か知らないけど皆がルールを守っているからルールを守るという状況になる。

こういう風に書いて悪人や非信者に危険を知らせている時点で、地獄へ落ちないように警告して、天国へ入れる方法を教えているから、悪人を愛している。

多分、男の犯罪は本人に責任を求めて、女の犯罪は女の周りの人間に責任を求めるのだろう。
女が犯罪をする時は、大抵、周りの男が原因だったりする。
ホストが女に犯罪をやらせたりする。
周りの男を罰した方が再発防止になる。
女の刑を一家離散にするのも、家族が女に犯罪をさせる原因になっていたりするからだろう。
家長を死刑にしないだけ優しい刑罰だと思う。
家長の権限をはく奪するだけで済ませてくれるのだから優しい刑罰だ。
家長が家族の女を優しく諭して育てれば、女の方も家長に恥を掻かせたくないから犯罪をしなくなる。

4、日本人にキリスト教させない
サタン側は、日本人にキリスト教をやらせない。

悪魔崇拝の仏教みたいに数百年で何十種類何百種類も大量生産するから、サタン側もコントロールが出来なくなるからだ。
キリスト教以外で宗派を大量生産しても、全て悪魔崇拝だと切って捨てれば良いから、サタン側も管理が楽だし、俺も対応が楽だ。
どうせ非信者の癖にヘタにキリスト教をやらせると、大量生産するから、一つ一つ検証しないといけなくなるから、メンドウである。
何千何万と宗派を作るから、検証にどれだけ時間を浪費するか。
サタン側が日本人にキリスト教を運用させなかった理由がよく判る。
日本人は突き詰める性格だから、偽物の偽装キリスト教を洗脳しても、その偽物から本物をひねり出したりするから、サタン側にとって不都合だ。
日本人は外国の劣悪な品質の商品を研究して、高品質な商品を作りだしてしまう。
だから、サタン側は、外国の偽装キリスト教団を日本へ持って来て、研究させないのだろう。
日本人が大量生産したキリスト教の宗派を一つ一つ検証するコストが莫大になってしまう。
日本では、自分で聖書を読んで神の道を見つける方がコストが安く済む。

欧米は、2000年もあったのに、カトリック・プロテスタント・正教の悪魔崇拝でまとまっている。
他にも色々と細かい偽装キリスト教団があるけど、大勢に影響はない。
日本人がキリスト教をやると宗派を何千何万も作るから、検証で時間をドブに捨てる羽目になる。

キリスト教は神の信者がやるモノであって、特定の民族や国民や集団がやって良いモノではない。
だから、日本人というだけで特別にキリスト教をやって良いモノではない。
民族ではなくて、個人が自分の意志でやるべきである。
自分の十字架を背負い、自分の道を歩くと聖書に書いているのだから、キリスト道は個人が自分で自主的にやるモノであって、日本人としての民族単位でキリスト教をやるモノではない。
民族としての同調圧力でキリスト道をやるモノではない。

俺は民族主義を否定するために、民族の悪い部分を持ち出す事はあっても、良い部分は持ち出さない。良い部分がないというのもある。
民族主義者の洗脳を解くために、民族の悪い部分を持ち出す事はある。

5、甘言
庶民は絶対善という詐欺犯のインチキな屁理屈の甘言は信用しない。
全ての人は罪を犯したから、絶対善な人間は存在しない。

公務員は援助しても攻撃しても庶民が恨むなら攻撃する、と前に書いた。
非信者なら、そういう事をする。
神の信者なら悪に対して悪で返さないけど、非信者は悪意に対して悪意で返す。

非信者の公務員に対する文句は信用しない。
非信者は自分の悪行をすっとぼけるからだ。
神の信者の発言しか信用しない。

6、魂売
カルトに魂を売った人間は、全員が全員、何で似たような顔付きになるのだろう。
何か気力が抜けたと言うか、覇気がないと言うか、生命力がないと言うか。
魂が抜けたような顔付きになる。

その魂を売った政治家を応援している連中は、魂の抜けた人間だと顔付きで判らないのだろうか。
同じように魂を売っているから気付かないのか。
グルだから、気付いても気付かない振りをして担ぎ上げているのか。

俺は、その政治家を見て、一秒で気付いた。コイツ大丈夫か、と思った。

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