謝罪 羅列解釈 背教は次は悪役 背信は意固地 倒せる相手は強者 究明妨害 無神経な発信者と語源
1、A
全能者に不正はない
人間には不正がある。
2、B
人間の知恵、人間の知識、人間の価値観、人間の考え方、人間のルールは、全て省みるに値しない。
3、C
球体地球派は、自分で隅々まで探検した事があるのだろうか。
4、D
「後の世」とは、来世の事だろうか、別の世界で生まれる事だろうか。
神の霊である聖霊に逆らったら、地獄で千年焼かれて、魂は消滅されると思ったけど、この聖書箇所からは、次の世界で生き返る解釈ができる。
単に、後の世が「死後の世界」という意味だろうけど。
「後の世でも赦されることがない」というのを来世でも赦されない立場になるのが確定するのかと思った。
赦されない立場とは、何をやっても真実に気付く事ができない設定に強制されるモノかと思った。
「この世でも」赦されないと書いてあるから、この世でも真実に気付けないようになっている。
聖霊に逆らうから、神が心の中に居なくなり、真実の神が居なくなって真実に気付かなくなる。
サタン側が何百何千と用意した罠に、ことごとく騙される人生になる。
今回の妙な液体の薬害でも、疫病は神の天罰だから予防接種で蹴散らそうというのは背教行為だから死ぬため、薬害に遭って死ぬという事になって赦されなかった。
一つ二つの真実をまぐれ当たりで気付いても、他の何百の策略に騙されて死ぬ事になる。
5、E
外典でも、一人一人に天使が守護として就いている描写がある。
守護天使とは、ここが出所なのだろう。
「一人でも軽んじないように」と書いてあるから、一人一人に警告し続ける必要がある。
しかし、説得しろとは、エゼキエル書では書かれていない。
警告は言う方の責任だ。
しかし、説得に応じたり従うのは、聞く方の責任になる。
どんな人間が相手でも軽んじてはいけないから、貧者・未亡人・孤児・娼婦・徴税人(罪人)などを軽んじてはならない。
最終的に天の主に立ち帰って神の掟を守る人生になるなら、娼婦ラハブのように天国へ入れる。
6、F
「わたしと一緒に集めない者」とは、神の名で改宗を求めるだけではダメで、昨日に書いた真実を全て当てて、その真実を人々に言いながら改宗を求める必要がある。
真実を全く言わず、球体地球を信じながら神の名で改宗を求めると、「散らしている」者になる。
神が聖書で言っている真実である、この世の成り立ちと共に、改宗を諭す必要がある。
「私と一緒」というのは、「神の教えと一緒」という意味である。
この世は、創世から6000年で、フラットアースで、ウィルスは存在しないで、地震は神の天罰だという真実と共に人々へ改宗を求める必要がある。
人間の合理性とか言って、嘘も方便はダメ出し、受け入れられやすいように便宜的に科学を真実と言いながら改宗させるのもダメ。
また、人間の勝手な善悪を強要したら「散らす者」と評価される。
聖書に書かれている神の掟の通りにルールを守る必要がある。
7、G
前に、聖書でやっていい事のリストを書いた。
サタンの手先の偽装キリスト教団のパウロ教やカトリックは、神が禁止にしていない事を禁止にして、必要以上に律法生活を過酷なモノにしておきながら、自分は全く守らず放蕩の限りを尽くす。
こういうのを「散らす者」と呼ばれる。
異常に規則を厳しくして取っつきづらくするのは「散らす者」である。
8、H
こういう「散らす者」が原因で、天の主に立ち帰ろうと努力しようとする人が、あまりにも過酷が過ぎて、立ち帰るのを諦めて逃げてしまう。
「不幸だ」とは、人間が考える不幸ではなく、神が考える不幸であり、神が人間の不幸だと思う事は地獄へ落ちる事だ。
神であるイエス・キリストが「あなたたち律法学者は不幸だ」というのは、律法学者を地獄へ落とすと決定している事を意味する。
9、生きる
聖書に出てくる「生きる」の文言は、天国へ入るという意味もある。
動物の生命活動の意味もあるけど、区別する必要がある。
両方の意味を含んだ使い方もあるのだろう。
10、親
親が背教者なら、親に感謝してはいけない。
挨拶すらしてはいけないのだから、感謝もしてはいけない。
感謝するなら、毒親の元に生まれたから、サタン社会に取り込まれずに済んだ事を「計画した神」に感謝したらいい。
背教者に感謝すると、それでいいんだと思って背教を続けてしまう。
どんな時でも、相手が改宗する方向へモノを言う必要がある。
背教者からの感謝は、本当の感謝ではなく、金目当ての言動である。
本当の感謝は、天の主に立ち帰った信者だけができる事だ。
感謝は祝福でもある。他人を祝福できるのは信者だけ。
11、意固地
人間には、絶対不変の神の掟を守って満足する本能がある。
神を信じないで、その本能を満足させられないと、何らかの絶対不変のルールを作って代わりに満足しようとする。
その代わりにしているのが自分ルールであり、自分ルールを意地でも守ろうとする。
しかし、神の代わりになるわけもなく、自分ルールの意固地は人生が破綻する原因になる。
所詮、人間の自分ルールは、天の主の神ルールの代わりにはならない。
天の主を知らないと、意固地になって「言っても無駄」と他人から言われるような、頑固な人間に成り果ててしまう。
頑迷に自分ルールを守るのは、自分ルールを守る事そのものが本能を満たす満足感になっているからだ。
幸せに成るための自分ルールではなく、自分ルールを守って満足感を得ているのである。
こういう人は、自分ルールを守ると脳内麻薬がドバドバ分泌するように脳がサタン側に洗脳されている。
脳内麻薬が分泌されているから、天の主のルールへ立ち帰る場合は、この脳内麻薬を捨てる必要があるから、反抗がすさまじい事になる。
合法の麻薬中毒の患者から合法麻薬を没収するぐらい難しい。
12、死刑制度と不正選挙
賛成と反対は免罪符ではないから、一人一人に責任があると言った。
しかし、全ての国はサタンの支配下で、投票数も捏造されるから、死刑制度に人々の声が反映される事はないため、そもそも最初から責任がないとも言える。
間違いだから、謝罪する。申し訳ありませんでした。
死刑に賛成したら、死刑になるのは変わらないと犯人が激昂して更に人を殺したら、賛成派の責任になる。
死刑に反対して、犯人が「どうせ死刑にならない」と高を括って、次々と殺したら、反対派に責任がある。
犯人の心の中の話だから、人に他人の心を読む能力はないため、犯人がどうして殺人したのか、という話に成るから、死刑制度の良し悪しの証明が難しい。
だから、死刑に関しては、聖書に書かれている通りに、死刑制度を存続させた方がいい。
13、イエズス会と日本人
イエズス会を本物のキリスト教団だと思っている日本人は、どうして論破なんてするのだろうか。
むしろ、論破できる相手を本物として扱って、その本物を論破した自分を凄いと思いたいだけではないか。
相手を強者だと決め付けて、その強者を倒した自分が凄いと威張りたいだけではないのか。
勝てない相手からは逃げ続ける。そういえば、俺の毒親も、都合が悪くなるとだんまりを決め込むような人間性だ。
倒せる相手を強者と認定して、倒せない相手からは逃げる。
こういう奴は、絶対者の天の主から逃げ続けるのだろうな。
自分が勝てない相手に挑む人間だけが、神に立ち帰れる。
おののいてはならない、臆病になってはならない、雄々しくあれと、聖書では何十回も出てくる。
14、様々な試練
何百何千のサタンの罠で一つ二つ見破ったぐらいで偉そうに威張って増長していたら、どの道、無駄死にする。
神は、傲慢を嫌う。増長するような傲慢を嫌う。
真実に全て気付き、悪魔崇拝を全て排除するように努力し続ける。
悪魔崇拝は、神道、仏教、クリスマス、ハロウィン、その他色々、などなど、本当に何百何千とあるから、これらを排除する努力が必要だ。
偶像がはびこる中で神を探し求めるのが試練である。
15、自分を絶対
一人一人を軽んじてはいけないと神が言っている。
娼婦の命を心配しないで、自分が娼婦が嫌いだから、自分の感情を絶対だと思うようでは、天国に入れない。
天国では、神の気持ちが絶対だから、自分の気持ちを絶対だと思うような人間では、天国に入れず排除される。
神の気持ちに反しない範囲内で自分の気持ちを出すなら良い。
何が神の気持ちに反しない範囲か知りたいなら、聖書を読めば判る。
16、国と心中
国家主義者は、人に国と心中するように強制してくる。
「国の一員として何を国に貢献したのか」とかサタンの戯言を言う。
全ての国はサタンの手下だから、その国に対して自己犠牲をするのは神に逆らうは背教者である。
神は聖書で制度に従いなさいというけど、これは信者が暮らしていけるようにするための恵みである。
制度を超えて、国のために自己犠牲をしなさいなんて、神は言っていない。
左翼は左翼で、移民とかポリコレで人々を苦しめるサタンの手先である。
17、犯罪構造
犯罪したら解雇ではなく、犯罪がバレたら解雇だから、犯罪してもバレなければ解雇にならない会社。
犯罪構造の社会なのに、女性差別にすり替えるのが、奴らの手口なのだろう。
犯罪芸人個人の女性差別の面はあるにはあるけど、本質ではない。
女性差別は副産物であり、主因は犯罪しないと出世させない構造だ。
犯罪をしなければ、事務所が売り出さない犯罪構造が問題の本質だ。
独立されると客を取られるから、いつでもスキャンダルで潰せるように、犯罪をする芸人だけを担ぎ上げるのが、犯罪の構造的な問題だ。
女性差別を叫ぶ人間は、本質から遠ざける原因になっているから、奴らの別動隊なのかと疑っている。
本当の犯人である「タレントの独立防止で弱みを握る構造」に矛先が向かわないように、個人をスケープゴートにしてウヤムヤにする。
女性差別で糾弾する奴らと、犯罪構造で儲かる奴らは、グルなのか。
本質から論点を遠ざけるのは犯罪行為である。
判らないなら判らないと言えば良いだけ。
善意は免罪符ではない。
あと、被害者が被害かどうかを決めるのに、加害者の意見は価値が無いし、周りの意見も意味が無いし、アンケートをとるのは何の意味もない。
被害者でもない世間の女性たちの意見が二分しているとか、他人が何の関係があるねん。
被害かどうか被害者が決める時に、被害者でもない世間の女たちにアンケートや多数決をとっても、何の意味もない。邪魔ですらある。
18、真相究明と天国
本質を見ないで、自分の出世しか興味のない人間は、真相究明の邪魔である。
真相に興味のない聴衆も邪魔をしている。犯罪芸人と同罪だと思った方がいい。
自分が悪人として糾弾されないような糾弾の仕方は、真相究明の邪魔になる。
まず、自分も悪いところがあるのではないかと思うところから始める必要がある。
天国に入るには、自分に罪があるのではないかと考えるところから始める必要がある。
自分が悪者にならない範囲内で糾弾するとか、そういう生き方をしていると、いつまで経っても真実に気付かないし、真実の神である天の主の所有地である天国へ入れない。
19、人類の罪
俺も何らかの罪があるのは確実に判る。
聖書に罪のない人は存在しないと書いてある。
具体的にどんな罪があるのか判らないけど、虚言癖とか、犯罪の隠ぺい癖とか、そういうのが罪なのだろう。
エヴァのように自分が木の実を食べた罪を犯したのに、蛇に唆されたからと責任転嫁をするのも罪である。
20、私益逮捕の二次災害
震災の火事場泥棒をする発信者は、他にやる事がないから、アレしかできないのだろう。
執行猶予中に犯罪をすると執行猶予が付かないけど、本人は執行猶予が付くと思っているから、ああいう事ができるのだろう。
災害が一発逆転のチャンスと思っているのだろう。
被災者を売名のダシに利用している自覚がないのだろうか。
被害者を出世のための踏み台と思っているのだろう。
被害者をダシに利用したり、冤罪をするような奴だ。
ここまでの自己中だとは、警察も思わないで保釈したのだろう。
21、無神経
違法行為にならなければ何をやっても良いと思っているのか。
警察に逮捕されなければ何をやっても良いと思っているのか。
自分の損にならなければ何をやっても良いと思っているのか。
ペナルティーがなければ何をやっても良いと思っているのか。
お菓子イベントのメシマズでもそうだけど、食中毒にならなければ懲罰が無いから、不味いモノで客をガッカリさせても良いと思っているのか。
罰が無ければ何をしても良いと思っている人間は、自分の価値観・神経が異常だと自覚した方がいいし、人生を見直した方がいい。
自分自身の無神経を自覚した方がいい。
その人が、そのイベントへ行く金を稼ぐのに、どれだけの時間を使ったと思っているのか。そのイベントへ行くまでの時間をどれだけ使ったか。その菓子を買う金を稼ぐのに、どれだけの時間を使ったか。
糾弾されなければ、他人の時間をドブに捨てる奴。
他人の人生を潰す奴。
他人の魂を地獄へ道連れにする奴。
他人の時間をドブに捨てる癖に、他人の人生を潰さない・他人の魂を地獄へ道連れにしないというのは有り得ない。あるなら、具体例を挙げて説明してみろと思う。
食中毒ではなかったから変な擁護をする奴らも、他人の時間をドブに捨てる奴らだ。
金儲けをしている発信者は、自分も損をしなければ何をやってもいい考え方をしているから、自分に矛先が向かないように変な擁護をする。
聖書で金儲けそのものは禁止にされていないけど、変な擁護のデマゴーグで金儲けをしてはいけない。そういう無神経だから真実に気付かない。
天の主の神殿をダシに金儲けをすると、イエス・キリストが激怒して商品をひっくり返す。
無神経の漢字を解きほぐすと、神と経が無いと書く。
経の漢字の意味は、次のようなのがある。
この引用から、無神経な人間は、物事の正しい筋道が無く、法律・規範・掟が無く、境が定まらず自分と他人の境界があいまいで、統治能力が無くて、何かを営む能力が欠落して、物事を測る能力が無くて、学問の根拠となる基本的な書物や知識が無い、と言える。
配信動画に出られるだけの体力があって、自分が損をしなければ何でもやる無神経な生き方は見直した方がいい。
無神経だから、心の中に神が居ないため、真実の神が居ないから真実に気が付かない。
22、結婚と寿命
独身男が短命なのは、単に元から病気がちだから結婚できないだけ。
病気がちだから寿命も短いだけ。
病気がちで金を稼げないから、健康的な食事を買う金がない。
健康で金を稼げるから結婚できるだけ。
あと、独身だから、病気になっても気付く人が居ないから、倒れても救急車を呼んでくれる人が居ないから。
独身と寿命には、特に関係はない。あったとしても僅かだから、誤差でしかない。
23、紳士協定
紳士協定というのがあって、法律はないけど、互いに道徳的な行動をしようという人間関係がある。
しかし、誰か無神経な自己中が居ると、法律違反ではないからやりたい放題すると、法律でがちがちに固めないといけなくなる。
法律の条文が何十倍に増えてしまい、身動きが取れなくなる。
だから、罰がないから何をやっても良いと思っている人間が居ると、全員が生きづらくなる。
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