謝罪 インスタント正義 山奥の人が救われない スパイ 痛い目で後悔する人を救う価値なし
1、謝罪
一つ目、自動車会社の休業で「お前が休むのとはわけが違う」と言ったけど、言い方が悪かったから、謝罪する。
申し訳ありませんでした。
身びいきや都合で叩くかどうかを決めるのは止めた方がいい、と言いたかった。
二つ目、判らないなら黙っておけばいいとは言ったけど、聖書を一回でも読んでから口出しをした方がいい、と訂正する。
申し訳ありませんでした。
世の中には、一回も聖書を読まないで知ったかぶりでモノを言う奴が存在するから、そういう知ったかぶりに対して黙れと言いたかったけど、一応、意見を言わせた方がどこが悪いか判る。
偽装キリスト教団のカトリックが勝手に言う事を、根拠にして知ったかぶりをする奴が多いから、イライラしてくる。
カトリックなんか精々、二次創作の同人業界の最大手ぐらいの意味しかないから、公式とは何の関係もないため、偽装キリスト教団の発表は何の根拠にもならない。
最大手だから正しいと考えて今まで生きてこられたものだ。そういう寄らば大樹の考え方だから、8割が薬害で虐殺されたけど。
公式設定を一度も読まないで、二次創作の同人誌をつまみ食いしただけで、知ったかぶりでしたり顔の斜に構えた決め付けをする奴は、騙されて地獄へ落ちる。
ヘタすると、こういうしたり顔の人間が読んでいるのは、二次創作どころか、三次創作、四次創作かもしれない。
俺は、匿名掲示板とかで、何十回も聖書に関する短文を見てから、聖書に関して口出しをする前に、一度、聖書を読もうと思った。
したり顔の人間は、口出しをする前に、一度でも聖書を読もうと思わなかったのだろうか。
何で、口出しするのに色々と調べようと思わないのだろうか。
俺は、口出しをする前にある程度は調べて、口出しをした後も、それなりに調べて、間違っていたら謝罪する。
まあ、俺は知能が低い方だから、結構、間違えるけど。平均より、かなり低い。
知能が高くても、調べようともしない奴は、宝の持ち腐れである。
豚に真珠と聖書でも書かれている。
三つ目、サッカーの不祥事は不倫だから、数億円の賠償になるとか言ったけど、間違いだから謝罪しておく。
ただのスポンサーの企業イメージの問題だった。
申し訳ありませんでした。
まあ、婚外性交している時点でこうなる。
2、インスタント正義
インスタント正義とは、手っ取り早く正義ゴッコができる自己中な生き方であり、攻撃する相手を選り好みする。
弱い相手、嫌いな相手の悪行だけを糾弾して、身内や好きな人の悪行を擁護する。
「世と世にあるモノを愛してはならない」と聖書にある。
「世の欲は過ぎ去る」と書かれている。
自分の利害や好き嫌いで糾弾する相手を変えるのは、正義を悪用している悪人である。
偽の正義は、人の目で善悪を決める事だ。
真の正義は、神の目で善悪を決める事だ。
3、教会へ
物理的な教会へ行かないと救われないなら、山奥や孤島で一人暮らしをしている人は救われないのか。
偽装キリスト教団に洗脳されているエセ信者は、こんな簡単な事すら判らない。
前にも言ったけど、教会は信者の体にあるから、物理的な教会へ行く必要はない。
4、スパイ活動
どんな組織や思想にでも、スパイを潜入させる。
主導権を握ろうとする勢力は、どんな組織だろうとスパイを潜入させたり、裏切らせたりする。
ある程度の影響力を持ちそうな組織や思想にスパイを潜入させて、乗っ取ろうとする。
5、痛い目
痛い目に遭わないと後悔しない奴を助けるのは、本当に時間の無駄。
妙な液体で薬害に遭わないと後悔しない奴を助けるのは、時間の無駄。
こういう痛い目に遭わないと判らない奴は、地獄へ落ちてから後悔して神に立ち帰ろうとするけど、手遅れである。
だから、痛い目に遭わないと反省しない奴を助けるのは、時間の無駄だから相手をしてはいけない。
どれだけ助けたところで、最後の最後の神に立ち帰る事を絶対にしない。
なぜなら、こういう奴は、地獄へ落ちて全身を焼かれ続けてから、ようやく後悔するから、手遅れだから助けても意味がない。
痛い目に遭って反省するのは、要するに利害で物事の善悪を決めているわけだ。
利害で決めてはいけないと、神は言っている。
財産に執着してはいけないと言っている。金持ちが天国へ入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい。
俺は虚弱体質だから、障碍者になる危険の予防接種など論外だった。
なぜ、安易に自分の健康をドブに捨てるのか理解できなかった。
健康を私物と思い違いしている人は、薬害注射をする。
自分の健康状態は、神が与えてくれたものだ。
俺は動物愛護だったから動物実験の成果物など接種しなかった。動物愛護を遣わした神に感謝している。
しかし、虚弱体質も理由の一つだから、虚弱体質に創ってくれた神に感謝している。
聖書でなくても、痛い目に遭わないと反省しない人間は、邪魔である。
罰を受けないと悪行をやめない人間は、周りの害になる。
刑罰を下されても逆恨みする奴が存在する。
自分の利害に関係なく、相手の悲しみを感じ取る必要がある。
感受性が必要になる。
神は自分が創った人間が裏切って悲しいけど、滅ぼさないで、更生するチャンスを与えるために、楽園から追放して、この世という試験場を創った。
神の悲しみを理解するなら、天罰を受けなくても、神に立ち帰る。
神の悲しみを理解できない人は、他人の悲しみも理解できない。
神に立ち帰らない人間が、他人の気持ちに配慮しているように見えても、それは自分の利害のために理解した演技をしているだけだ。
犯罪者は、自分自身が刑罰で苦しいというなら、被害者の苦しみを感じる必要がある。
被害者に対して申し訳ない気持ちがないなら、自分の苦しみもなくて、単に遊べなくて詰まらないから反省している演技をしているだけだ。
刑罰を受けたり、地獄へ落ちてから、反省した振りをしても意味がない。
本当に申し訳ない気持ちがあるなら、刑罰を受けなくても、相手の悲しみが判るから、加害しないし、罪の反省もする。
神に対して犯した罪を反省しないのは、相手の気持ちが判らない利害でしかモノを考えていないのがバレている。
6、反省の証拠
どのような理由だろうと、他人に薬害の接種を強要したのは殺人罪だから、自分が殺人をした事を自白して、謝罪して、一生、損害賠償をしなければならない。
それだけやってようやく神が赦すかどうか、地獄へ落とすかどうかの瀬戸際である。
どんな理由だろうと、世間の流れで仕方がなかったとか、言い逃れは通用しないし、私も騙されたという被害者面も赦されない。
騙されたら人殺しをしてもいいなら、嫌いな人間を殺して騙された振りをする奴らが大量発生する。
有害だと知らなかったで赦されるなら、嫌いな人間を殺して、死ぬとは思わなかった、知らなかった演技をする奴らが大量発生する。
騙されても、知らなくても、殺人罪は殺人罪であり、償う必要性は何の変りもない。
犯罪は償いは一生に渡って背負うモノだと思っていない奴ほど、軽々しく犯罪をする。
犯罪は償いは一生に渡って背負うモノだと覚悟している人間なら、もし薬害だったらどうしよう、という危機感が湧いて慎重になって他人に強要しない。
一生に渡って償う覚悟のない奴は、他人に接種を強要する。
償う気がない奴は、犯罪や強要を軽々しくやる。
償わない奴は、神に対する罪も知らん振りか開き直るから地獄へ落ちる。
毒親は俺に接種しろと言ってきたくせに、未だに謝罪しに来ない。
俺に対する加害を俺が赦したけど、神が赦す理由にはならない。
天の主は復讐の神だから、代わりに復讐する。地獄へ落として、全身を焼き続けるか、魂を消滅させる。
騙されて強要した殺人罪でも、上辺だけの反省ではなく、本当に心の底から反省して、聖書を読んで、神を信じて、神の掟を守り、二度と犯罪をしない生き方をすれば赦される。
疫病は背教者に対する天罰だから、妙な液体で蹴散らそうとした接種者も、神を冒涜しているから赦されない。
反省して、神を信じて、聖書を読んで、神の掟を守る人生をすれば、神は慈しみの神だから赦してくれる。
斜に構えれば何でも赦されると思い違いをしている奴は、まともな人が無言で縁切りしているだけなのが判らないのだろう。
斜に構える奴は、不都合な事に対して過剰に防御している。
まともな人は、性悪を𠮟ってやる義理はない。
叱らないと暴走して破滅するのが判っていても助ける義理はないから、叱らないで縁切りして見殺しにする。
斜に構える性悪が野垂れ死んだところで、知った事ではないし、どうでもいいし、何の損にもならない。
世の中の99%は、こういう人だから、自主的に反省する必要がある。
俺は、自滅人間を見殺しにして侮辱するのが趣味だけど、エゼキエル書33章で「警告しなさい」と神に命令されているから、警告しているだけだ。
斜に構える性悪が地獄へ落ちないようにするために、何万発、殴ってでも教えてくれる人は居ない。
自主的に改心する必要がある。
自主的に反省しないなら何の意味もない。
強制的に反省させて赦されるなら、神が神の力で強制的に思考改変して反省させているけど、神は反省を強制しないから、自主性が必要である。
利害に関係なく自主的に反省しているのが、反省の証拠である。
俺も毒親に対して、聖書に基づいて毒親の悪行を何回か糾弾して、神に立ち帰るようにうながしたけど、逆上して絶縁宣言してきた。
息子が神に立ち帰る努力をして、そのついでに改心するように説得してくるなんて、千年に一度のチャンスなのに、それすら台無しにする。
こういうチャンスが一生に一度もない人が99%なのに、数万人に1人のチャンスを台無しにするようでは、人生に失敗するのは当たり前だ。
7、誰だろうと
カルト信者だろうと、ボランティアをするのを侮辱しない。
肩書でモノを考える人間は、カルト信者がボランティアをすると見下すような物言いをする。
俺は、カルト信者だろうとボランティアをするなら褒めるし、悪行をするなら咎める。
問題は、ボランティアを免罪符や詐欺の足掛かりに利用する場合だけだ。
神であるイエス・キリストも、律法学者だろうと正しい事を言えば「天国から遠くない」と褒める。
8、優劣
芸術に優劣は無い。
その作品を買いたい人が多いか少ないかの違いしかない。
優劣が判らない人間ほど、優劣を持ち出す。
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