他律型恥 弁護士に嘘 悪返し禁止 来世ザコ役 試験場に問題用紙がない 話が通じない恐怖
1、恥
相手が犬猫なら、自分が裸でも恥ずかしいとは思わない。
相手が人間だと、自分が裸だと恥ずかしいと思う。
エヴァとアダムは、自分一人なら、裸でも恥ずかしいと思わない。
また、相手に知恵がないと、自分が裸でも恥ずかしいと思わない。
相手に知恵がある状態だと、自分が裸だと恥ずかしいと思う。
相手が信者でなければ、相手の評価なんか気にしない。
相手が信者なら、相手の評価は気になる。
犯罪しても、犬猫に見られても気にしない。
犯罪を人間に見られると気にする。
神からの視線を感じる信者なら、他人の視線がなくても恥を感じる。
エヴァとアダムは神の視線を感じなかった。
相手に見られて恥ずかしいと思う前に、神に対して罪を犯したと感じて反省する必要があった。
他人に見られてから判断するのではなく、神に見られていると意識して判断する必要がある。
世を愛してはならないとヨハネの手紙1の2章にあるから、世間や他人の目で判断してはならない。
神よりも世間を優先してはならない。
2、弁護士
法律で戦うとか言っている奴は、最初に、弁護士に全ての悪行を自白しないといけないのが判っているのだろうか。
後から犯罪が出てきたら、弁護士は契約違反だと言って契約破棄をしても正当だと判断される。
弁護士に対して嘘を吐いたら、弁護士は依頼者を見捨てる。
被害者が何百人何千人ほど居るのか判らないけど、それを全て言わないといけない。
覚えていないは通用しない。
覚えていないで無罪になるなら、犯罪者は覚えていない振りをする。
多分、犯罪芸人は、本当に何人なのか覚えていないから、弁護士も匙を投げているのだろう。
犯罪芸人は、事務所に対して嘘を吐いているから、弁護士に対しても嘘を吐く危険性が非常に高い。
免罪符を自作する社会だから、覚えていないのを免罪符にしたり、犯罪だと知らなかった事を免罪符にする。
冗談だと免罪符にしたり、ノリが悪いとか言って免罪符にする。
裁判で揉み消した成功体験があるから、裁判を煽る奴。
ただ、犯罪芸人を破滅させるために、裁判をさせようとしている奴も居る。
犯罪自慢をネタにしていると、犯罪を教唆しているから、犯罪が増えるため、警察や裁判官の心証は悪くなる。
3、人事部と嘘
会社の人事部は何万人と見た経験があるから、試験を受けに来た人の他人に敬意を払わない性根を見破っている。
自分が働いているから社会貢献をしていると思っているのは、傲慢だから、そういう性根を見破られて採用されない。
まあ、ブラック企業だと、そういう性根が判っていても採用したりするけど。使い捨てのために。
とりあえず、何で面接を突破できないのか、少しは自分の性根を省みた方がいい。
他人を見下すような考え方がにじみ出ているから、バレないと思っているのは本人だけだ。
直接的に人を侮辱しなければ、バレないと思っているなら、浅い考えだ。
人事部が欲しいのは、ウソを吐かない人間ではなくて、会社に貢献できる人間と、一緒に働きたいと思える人間である。
嘘を吐いても会社の利益になる人間なら雇うだろう。
働いているだけで貢献できていると思っているなら、甘い考えだ。
俺は、自分が働いても貢献できない判った。
小さい害をするか、大きな害をするか、の選択肢かないと判った。
雇用創出で一人当たり毎年700万円の税金を使う。
工場の単純労働ですら、国内の雇用創出のために、海外移転しないで、無理やり国内生産しているかもしれない。
作物とかでも、補助金漬けでようやく生産できる。
色々と調べて考えても、自分が社会のプラスへ繋がる労働ができるとは思えなかった。
外貨を獲得できる人と、その人のサポーターだけが貢献している。
そういう人は、働いているだけで自慢はしない。
貢献していると判っていても自慢しない。
なぜなら、自慢すると、貢献できていない人が「自分は貢献できていない」と判って、恨んでくる危険性がある。
貢献している人は、そこまで頭が回る。
そこまで頭が回るから、社会のプラスになる働きができる能力を持つ。
貢献しているからといって自慢すると、働いていても貢献できていない人たちに、いつ恨みを買うか判らないから、自慢しない。
就職活動などで、嘘を吐く事に慣れさせて、神に対しても嘘を吐くように仕向ける、サタン側の企みがある。
嘘を吐かないと就職できない。
しかし、ウソを吐きすぎても就職できない。
嘘を吐かなくても生きていけるのは子供の時だけだから、子供に嘘を吐かないように叱る。
貧しくてもいいなら、嘘を吐かなくても生きていけるけど、結婚できるような就職はできない。
自給自足なら、結婚できたりするけど。
4、悪
悪を以って悪に報いるのは禁止。
この場合の悪には、「地獄へ落とそうとする」という意味がある。
背教に誘う者に対して、背教をするように仕向けるのがダメなのだろう。
「悪をもって悪に報いず」はもう少し意味が他にあると思った。
モチロン、加害に対して加害で返すのがダメという意味もある。
自分への加害者には反撃ではなく、迫害する者のために祈れと神は言っている。
敵を愛すとは、個人的な敵だろうと、一緒に天国へ入れるように、天国へ入る方法を教える事だ。
天国へ入る方法とは、犯罪を反省して、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と犯罪をしない人生を送る事だ。その生き方をするように加害者に説得し続けろと神は言っている。
このままだと地獄へ落ちると警告してやって、千年ほど全身を焼かれて、魂は消滅すると言い続けてやる。朝から晩まで。毎日。
5、来世はザコ役
背教者は地獄へ落ちて、千年焼かれて魂が消滅するはず。
しかし、ダニエル書で次のように書かれている。
「ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる」とある。
この場合のある者は、背教者の事だろう。
「永久」と書いてある。
「地の塵の中の眠りから目覚める」と書いてあるから、死人がよみがえるという意味だろう。
その背教者が死体からよみがえって、永久に続く恥と憎悪の的となると書いてある。
しかし、背教者は地獄へ落ちて千年焼かれて、魂が消滅されるのではなかったのだろうか。
もしかして、ダニエル書の時は、背教者は永遠にザコ役になると設定されていたけど、新約の黙示録で設定は変更されたのだろうか。
神は人間の魂を滅ぼせるけど、滅ぼせる能力が有るだけで、実際には滅ぼさないで、永遠に地獄で焼き続けるのだろうか。
色々と聖書を読み返してみたけど、神は魂を消滅させることはできるけど、背教者の魂を永遠に焼き続ける措置が取られるのだろうか。
「この世でも後の世でも赦されることがない」と書いてある。
背教者は、この世と後の世(死後か来世)で赦されないとあるなら、この世と後の世で同じ刑罰を受けるのだろうか。
地獄で焼かれ続ける後の世の赦されない状態と、この世で生存している状態が、同じような刑罰なのだろうか。
神に気付く事がない状態でこの世を生きているなら、同じように来世でも神に気付く事がない設定になって、恥と憎悪の的になるから、ザコ役みたいな設定になるのかと、前に書いた。
神に立ち帰れば、来世で活躍できる。
黙示録では次のように書いてある。
「世々限りなく責めさいなまれる」と書いてあるから、魂は消滅されないで、永遠に焼かれ続けるのだろう。
ただし、他の箇所で次のように書かれている。
「第二の死」と書かれているから、これが魂の消滅かもしれない。
悪人の魂は、永遠に焼かれるか、消滅するか、どちらなのか判らない。
6、犯罪
国に性犯罪を解決や、被害者の回復をする能力はない。
何で、国家に被害者を癒す能力が有ると思うのか。
国家にそんな能力はない。
能力が有ると思っているなら騙されている。
どこで騙されているのか、少しは考えた方がいい。
自分の価値観が何でそうなっているのか、考えた方がいい。
癒す能力が有る前提で国を批判するのは、詐欺師である。
犯罪を完全に予防する能力もない。
存在しないモノを存在すると言っているなら、詐欺師だ。
そもそも、何かを解決するのは不可能である。
聖書では、偶像がなくなる事はないと書いてあるから、背教や犯罪もなくなる事はない。
この世は、一人一人が反省して神に立ち帰るための試験場だから、試験場で問題がなくなる事はない。
政治家が自分から犯罪をしているのに、犯罪がなくなるわけがない。
そもそも、誰かが犯罪を予防できた試しがあるのだろうか。
犯罪を0にした国家が存在した事があるのだろうか。
そんな国は一度でも存在した事はない。
達成不可能な目標を要求する奴は詐欺師である。
そして、犯罪が0になって何か善い事があるのか。
この世は試験場だから、犯罪の被害は試練だから、犯罪がなくなると信者は困ってしまう。
犯罪がなくなるのは、試験場に来たのに、問題用紙がないようなものだ。
7、人手不足
自国民ですら薬害注射で虐殺するような会社に、何で外国人労働者が来ると思っているのか。
神経が異常だ。
8、話
話が通じない恐ろしさ。
言語は通じても、話が通じない場合がある。
信者だと、非信者が話の通じない相手になるから、話が通じない恐ろしさが判る。
このまま地獄へ落ちるのが判るから、話が通じないのは恐ろしいと判る。
戦国時代で偽装とはいえキリスト教が流行ったのは、話が通じない相手に殺されかけた経験があるからだろう。
言い訳が通じないから、殺される。
今の時代で、言い訳の通じない相手に殺されかけるなんてない。
神も言い訳は通用しない。
今の時代の人は、恵まれていると言えるし、恵まれていないとも言える。
言い訳の通じない相手に殺されかける経験がないから、神のように言い逃れの通じない相手に地獄へ落とされる恐ろしさが判らない。
だから、今の時代の人々は、そういう経験がないから、ある意味では恵まれていないと言える。
体験というモノは、言葉で教えられて理解できるモノではない。
体験しなければ判らないモノがある。
俺の毒親も、話の通じない自己中だから、言い訳が通じない恐ろしさが判る。
言い訳の通じない神が相手だと、本当に言い逃れが通じないから、地獄へ落ちる。
毒親の元へ生まれるようにしてくれた天の主は、俺が立ち帰れるようにしてくれたから感謝している。
毒親は、正当な要求すら無視する。
神は、不当な要求は却下する。
どちらも逃げようがない恐ろしさがある。
毒親の元に生まれていない人間は、この恐ろしさが判っていないから、神の恐ろしさも理解しづらくて、立ち帰るのが困難になるのだろう。
神には、正当な要求は通るから、毒親よりも安心できるのは確実だから、神に立ち帰るのが心理的に簡単になる。
毒親育ちだと、この世に所属するよりも、神に所属する方が、心理的に楽なのである。
良い親に不当な要求を叶えてくれる育ち方をすると、神に立ち帰るのは難しくなる。子供の自分の要求が不当な要求だと自覚できたら、神に立ち帰るチャンスはあるけれど。
サタン側が日本を先進国に仕立て上げたのは、日本人が金持ちになると傲慢になる民族性があるから、地獄へ道連れにしやすいからだ。
経済的に豊かになれば、子供の不当な要求も通りやすい。
貧困国だと、子供の正当な要求すらないがしろにされる。
貧困国や戦乱で神に立ち帰る人が多いのは、神は正当な要求を受け入れてくれるからだ。
話が通じない人が存在するのは、話が通じない事の恐ろしさを体験させるために、神が遣わした人なのだろう。
9、動画と文章の違い
まず、動画は気持ち悪いと判った方がいい。
文章で暴露するのは良いけど、動画で暴露すると袋叩きにされる。
週刊誌と元議員の暴露は、同じ事をやっているけど、片方が叩かれて、片方は信頼されるのは、動画か文章かの違いがある。
顔出しをしているから、売名とも思われている。
人々が動画に感じる根本的な気持ち悪さというのがある。
文章なら、すぐ読み返せるし、後から言い逃れのしようがない。
動画だと、後から「誤解されている」と言い逃れをしてくるから、信用に値しない。
表情や雰囲気でミスリードしておきながら、見破られると自分の言った言葉の方を利用して、誤解だと言い逃れをするから信用されない。
騙す時は雰囲気を利用して、言い逃れをする時は一言一句を利用するから、動画は信用されない。