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獣の刻印 天国チャンスの有利不利 貴賤入れ替え 畑と命は同義 叱られない理屈を選ぶ人々 地上の命を捨てるには民族主義を捨てる 妙な液体とチヤホヤと推進派と失いたくない未練 パウロの性格まとめ

1、自分を曲げる

彼は主の目にかなう正しいことを行ったが、心からそうしたのではなかった。

歴代誌下 25章2節 新共同訳

心の底から、神の命令を守りたいと思わなくても、表面的に守るだけでも、ある程度は正しいと評価される。
そのため、戦に勝利した。
しかし、傲慢になって異国の神々を崇拝して、天の主が怒った。
表面的に従うだけでも勝利は与えてくれる。
本来の自分がしたくない事でも、神のためにするなら、恩恵がある。

2、獣の刻印
大衆自身の4000年の自己欺瞞を妄信するのが獣の刻印かもしれない。
同じ価値観を信奉していなければ、モノを売らない買えないけど、譲渡は出来るのか。
物々交換でもしたら良いと思う。
パチンコの三転方式みたいにするか。

そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。

ヨハネの黙示録 13章17節 新共同訳

自分がその日に食べる分を手で摘む分には、許される。

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。

ルカ福音書 6章1節 新共同訳

獣の刻印は、一種類だけではないと思う。
貨幣経済がまともに機能しなくなるような戦乱になるのかもしれない。
しかし、心配する必要はない。

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

マルコ福音書 13章7節から11節 新共同訳

聖霊が守ってくれるから、安心である。
聖霊は、天の主の分身だからだ。
死んだ後で天国へ入れる。

お前の力に余ることを理解しようとするな。また、手に負えないことを探究しようとするな。
お前のために定められていること、それを熟慮せよ。お前に示されていないことを知る必要はない。
できないことに手を出すな。お前に示されたことは、既に人間の理解を超えたものなのだから。
多くの者が早合点して道を誤り、誤った推測で判断をゆがめてしまった。
〔目がなければ、光を見ることはできない。知識がないのに、知ったかぶりをするな。〕

シラ 3章21節から25節 新共同訳

「目」とは、天の主を信じる心を指す。
「知識」とは、聖書を読んだ事実を指すと思う。
そのため、神を信じず、聖書を読んでいなければ、何を考えても正解にたどり着けない。

3、天国行きのチャンスの有利不利
誰でも、有利不利は同じ分量である。
聖書の教えは、毒親にとって都合が悪いから、毒親は聖書から遠ざけようとするから不利だったけど、実際に立ち帰る段階になると、毒親を切り捨てるのは気楽だから有利になる。
まあ、聖書に基づいて毒親の悪行を糾弾したら、毒親の方が勝手に逆切れして絶縁宣言してきたけど。
これが良い親だと、切り捨てる段階で未練が涌いて不利になる。

新約聖書:マタイによる福音書:19章:29節
おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
新約聖書:マルコによる福音書:10章:29節
イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、、子、もしくは畑を捨てた者は、
新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

これを見て思ったのは、「畑」と「命」は同じ意味なのかという事だ。
マタイとマルコは畑と書いたけど、ルカだけが自分の地上の命と書く。
三人とも、書いている内容は似ているけど、少しずつ違う。
その違いが真実のヒントかも知れない。
聖書全般で、畑と書いてあるものは、命と思っても良いのかどうか。
土地を与えるとか畑を与えるとか、土地を穢したら命を穢したも同然になるのか。
また、畑を捨てるとは、土地を捨てるだから、先祖代々の土地を捨てるから、先祖の美化歴史の4000年の自己欺瞞をも捨てるという意味かもしれない。
地上の命を捨てるというのは、「地上の命」を守る相互互助の民族主義なども捨てるという意味かもしれない。
人間同士の助け合いを捨てる。
助け合いなんて言ってると、妙な液体の注射で毒殺される。
背教者同士の助け合いを捨てる。
人間を助けられるのは、神だけである。
家族の助け合いなどと言っていると、家族から絡め捕られて地獄へ道連れ。
人間を助けられるのは、天の父だけである。
人間を天国へ入れられるのは、天の父だけである。
異常なほどの生命尊重は、天の主の教えから人々を引き離すために企んだ、サタンの罠であり、地獄への道連れだ。

4、貴賤の入れ替え

主なる神はこう言われる。頭巾をはずし、冠を取れ。これはこのままであるはずがない。高い者は低くされ、低い者は高くされる。

エゼキエル書 21章31節 新共同訳

「頭巾」は卑しい地位の人を指しているのだろう。
「冠」は王冠とかの高い地位の人だろう。
それを天の主は入れ替える。

5、妙な液体とパウロとチヤホヤと失いたくない未練
チヤホヤを失いたくなくて、嘘だと判っていても嘘だと暴露できない。
妙な液体の推進派でも立場を失いたくなくて、いつまでも嘘を続ける。
パウロも、ローマ帝国からの片八百に途中で気付いても、チヤホヤを失いたくなくて続ける。
獄死は、監獄の中で死ねば獄死だから、監獄の中で何不自由なく満たされて贅沢三昧でも、監獄の中で死ねば獄死である。
だから、パウロが監獄の中で贅沢に満たされて死んでも、獄死となる。
現代でも特権階級や金持ちは、監獄や刑務所でも、何でも好きなモノが手に入るから、出ようとしない。
箔付け獄死だな。
死後の名声を気にして、死んだ時の事を考える人間も存在する。
何か、派手な死に方をする。どうせ影武者だから、本人は死んでないだろうけど。
パウロも、どうせ、ある程度は生きて、神格化の達成度を色々と見ているのだろう。実家を介して命令するとか。
特権階級ほど、金銭的に満たされているから、名声ばかり気にする。
金が手に入ると、今度は名声が欲しくなるのが人間だ。
その名声が本物だろうと、捏造の偽物だろうと、どっちでもいいのだろう。
人々の心の中に自分が尊敬されたら、それでいいのだろう。
本当に死ななくても、世間向けに派手に死んだと騙せれば、それでいいという人間も居る。
名声欲や自己顕示欲というのは、それほどまでに人を支配するものだ。
信者パウロは、他の使徒が獄死で人々の喝采を受けていて、うらやましくて仕方が無かったのだろう。
イライラして、周りのスパイやサクラが怖がって、どうすれば機嫌がよくなるか、色々と試して、監獄へ入れて人々が喝采したら機嫌が良くなったのだろう。
使徒が殺されている時は機嫌が悪くならなくて、使徒の獄死が人々の称賛を受けると、うらやましくて機嫌が悪くなったのだろう。
使徒が殺されている時に機嫌が悪くなるなら、ローマ帝国も使徒を殺さない方向に動いていたけど、そういう動きでは無かった。

6、パウロの言う事
パウロの手紙の内容は、九割は正しいから、普通に読めば良い。
完全に守ろうとすると、どうしてもおかしくなる。
しかし、九割以下のある程度は守れるなら、神の教えを守れるだろう。
パウロの性根が疑わない純粋な人なら、パウロの手紙の内容を完璧に守って、天国に入れるだろう。
パウロの手紙を完璧に守れなくても天国へ入れる。
擦れて、ヤサグレた性格をしているなら、パウロの言う事がおかしい事に気が付くから、そういう人は疑って取捨選択ができる。
パウロの性根は、被害の過剰アピール、被害の捏造、獄死の捏造、周りの人々をイライラでコントロールする、仲間が殺されても気にしない、仲間の獄死を人々が称賛すると妬んでイライラする。
相手の気持ちが判らない、暴力気質、職業差別、身分差別、節穴、文才が無いのに勉強しない、成長しない、弟子を育てられない、国家(ローマ帝国)に転がされて捨て駒になる、逆恨み、嫌がらせ、もったいぶる、人望が無い、パウロの性格はこんな感じ。
人によっては、こういう性格の他人を「下の下」と判断するだろう。
パウロというのを隠して、アンケートをとってみたら、ほとんどの人は「下の下」と判断するだろう。

7、この世の誕生に興味の無い人
この世がどのように出来上がったのか、興味の無い人は、自分の人生にも興味が無いのだろう。
自分の人生に興味が無いから、何も調べない。
自分が天国へ行くか地獄へ落ちるか、というのも興味が無いのだろう。
興味が無い癖に、なぜか必死に死後が無いと言い張る。
興味が無いのに、何でそんなに必死に否定するのか理解が出来ない。
興味が無いなら、死後が有ろうがなかろうがどっちでもいいだろう。
神が天地創造したのを信じると、自分達の捏造歴史を否定して、自分の罪を認めないといけないから、叱られたくなくて地球説を採用する。
自分が叱られなければ、何でも良いのだろう。
真実よりも、自分が叱られない理屈に飛びつく人々。


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