見出し画像

閉塞感の原因 毒親と社会の懸け橋 明文化される前のルール違反は赦される

1、閉塞感の原因
前にも書いたかもしれないけど、少し思い付いた事を加えて書く。

非信者は、この世のルールが判らないから、どこまでやって良いか判らない状態になり、これが閉塞感の原因になる。
守る理由が判らない校則みたいなモノ。
ヤンキーがルールを理解できなくて暴れるようなモノ。

2000年前にイエス・キリストの教えが日本で広まった。
しかし、神を忘れたから、惰性で守る部分が残る。

肉食を妙に避けたりするのも、本来は豚や犬などをさげすむから。

マタイによる福音書 7:6
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
ペトロの手紙二 2:22
ことわざに、
「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、
「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。
ヨハネの黙示録 22:15
犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

2000年前に神の教えが広まったけど神を忘れたから、豚や犬をさげすむ雰囲気は残るのに、豚や犬を避ける理由が判らなくなる。
守る理由の判らないルールが残っているから閉塞感になる。
別に、新約になればどんな肉を食べても良いけど、何で犬や豚を避ける雰囲気があるのか判らない。
犬や豚を避けるのは、単に豚や犬をさげすんでいるからだけど、なぜさげすむのか判らないから、何か理由をこじつけてしまうため、理由に納得できなくてモヤモヤしてしまって、閉塞感になる。
犬は友だから食べるのを避けるなんていう理由は、本来の理由ではない。
本来の理由とは全く違う理由をこじつけるから、さらに閉塞感が増してしまう。
犬肉食や豚肉食に限らず、他の事柄でも似たような「守る理由の判らないルール」が残ってしまって閉塞感になる。

ルールの残骸に阻まれるから閉塞社会になる。
ルールの意味が判っていて守るなら自由になる。
ルールの意味が判らないのに守るのを強要されるから閉塞感を感じて不自由を感じる。

ルールの残骸の理不尽感は、部屋の中に理由の判らない物があるような感じだ。
何で自分の部屋にこんなモノがあるのか判らない生活をするようなモノ。
毒親の訳の判らないルールみたいなモノ。
片づけられない家族が家の中をゴミ屋敷にして、何で捨てられないのかイライラする生活を強制されるようなモノ。これが閉塞感になる。

本来のルールの意味が判ってるなら、理不尽感は0である。
しかし、ルールの意味が判らないと、理不尽感は1になる。
さらに、ルールの意味のこじつけで、理不尽感は2となる。
ルールと理由にズレが発生するから理不尽感が強くなる。

殺してはいけないのは、地獄へ落ちないためである。
それなのに、逮捕されないためとかいう訳の判らない理由へすり替えるから、閉塞感になる。
人を殺してはいけない理由がズレているから閉塞感になる。
自由に行動ができない閉塞感に繋がる。
地獄へ落ちないためと言う理由なら、自由に行動できる。
逮捕されないためという理由だと、まるで社会での行動が惜しくなるみたいな洗脳になる。
社会に迎合する思考回路に繋がってしまう。
世を愛してはならないと聖書にあるから、社会での活動ができなくなるのが惜しいみたいな価値観を持ってはいけない。
サタン側は、地獄へ落ちないという本当の理由を隠ぺいした上に、世を愛する方向へ洗脳する。

、毒親と社会の懸け橋
毒親は、子供の生き方は、毒親にとって好都合な生き方しか受け入れない。

毒親の場合、通行料をとったり、橋が腐り落ちている。

親は、子供が社会へ出られる懸け橋になる必要がある。

他の子供は無料で通れるのに、毒親だと自力で通行料を余計に払わないといけないし、腐り落ちていると自力で橋を作らないといけない。

先進国と貧困国ぐらい格差がある。
先進国は無料で橋を作ってくれるけど、貧困国は自力で川を渡らないといけない。時々、川に流されて死んでしまう。
体の弱い人が先に死ぬ。丈夫なら自力で渡れる。
俺が前に書いたけど、俺は虚弱体質だから、貧困国に生まれたら、子供の内に死んでいた。神が先進国に生まれるように配慮してくれたから、神に立ち帰るキッカケを掴めたから、神に感謝している。
整備された道路を通っていても、途中で気を失いそうになるから、整備されない貧困国だと、死んでいる。
寒かったり暑かったりすると、十数分ぐらいの移動で集中力を失う。

毒親が橋を作らないから、仕方がないから社会が橋を作る。
しかし、毒親はその橋に通行料を取ろうとする。
子供が渡ろうと思っても通行料を稼げないから、社会にとって負担になってしまう。

親が死ぬ前に決別しないと、自分が死ぬまで親の愚痴を言う人生になる。
「親が死んでから考える」という世間の噂に倣っていたら、破滅する。
せめて、毒親の背神行為を糾弾する程度にしておけ。
俺の場合は、毒親の加害がキッカケで神に立ち帰ったから、毒親の行動を説明しないといけないから説明しているだけ。
本当なら親には神に立ち帰って欲しいから、親の悪行を糾弾している。
俺は毒親の悪行を糾弾したら、毒親が逆上して、毒親の方から縁切り宣言してきて音信不通になっている。
毒親のダメさを判るように世論を動かせば、俺の毒親も改心するかもしれないから、毒親を批判する方向でモノを言っている。
毒親批判をしておけば、どこかで毒親批判を目にして、それで改心して神に立ち帰るかもしれない。

俺の毒親は毎年100万円で一生4000万円を家に入れろと言っているけど、貸すのではない。

貧乏人の子沢山なんて失礼を言ったのは悪いと思うけど、むしろ珍しいから言われているだけ。
謝罪はする。申し訳ありませんでした。
実際は金を持っていないと子沢山になれない。
百年以上前は、どんな環境か知らないけど。

、明文化される前のルール違反は赦される
旧約の出エジプトの時にルールが明文化されたから、それ以前に犯した律法違反は赦されている。

制度に従うけど、悪魔崇拝の命令には従わない。
旧約で神が3人を助けた。
制度に従いなさいと言っただけの人は使徒。

旧約で神が実行した事の方が優先される。

神、使徒、預言者、正しい人、の順番で優先される。
言った事よりも実行した事が優先される。
昔よりも新しい方が優先される。

アダムとエヴァは兄弟姉妹かもしれないけど結婚する。
アブラハムは姉妹を妻にする。
モーセの親は叔母と結婚する。
しかし、明文化される前のルール違反は赦される。
明文化される事で、ルールを知り、ルールを守れる安心感が得られる。

見たくても見れなかった、聞きたくても聞けなかった。

マタイによる福音書 13:17
はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
ルカによる福音書 10:24
言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

明文化される前のルール違反は赦される。
また、神のルールを知る前に犯した、神のルールへの違反も赦される。
知った後に違反すると赦されない。
神の存在を認識した後に違反すると赦されない。
ただ、違反しても、守ろうと努力すれば赦される。歴代誌下30章がそれである。

いいなと思ったら応援しよう!