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不安の正体 苦しみの正体 強盗対策は不可能 獣の刻印 本当の懲罰 情報過多

1、不安の正体
30代40代になって不安になるのは、嘘である。
外的動機は嘘である。
本来ならこの年齢で神に対して貢献しないといけないのに、何もしていないから不安になる。

外的動機は自分のためにもならない。
本当の自分のためとは、神に立ち帰って天国へ入る事。
人間社会の外敵動機付けでは、天国へ入れないから、やる気に繋がらない。

聖書でも、年齢の節目がある。
その節目の年齢で、神のために何らかの成果や功績を挙げる事で満足する。
アブラムは75歳で神の命令で旅立って貢献した。
モーセは80歳で召命されて、神に尽くした。
30歳から50歳は儀式などで貢献している。
しかし、神を忘れた非信者たちだと、何でその年齢で不安になるのか判らない。
本来なら30歳から50歳ぐらいで、何らかの成果を挙げる年齢である。
成果を出せていないから不安になるのだけど、神を忘れているから、不安の原因が判らない。
昔は、悪魔崇拝の仏教とかで厄年とか言って誤魔化していた。
今は、不定愁訴とか言い出している。

聖書の節目の年齢は、数え年で色々ある。実年齢は2歳ほど引き算する。
7歳で国王になる。
12歳の単語が新約で何度か出る。
20歳で兵役。
25歳で役割。
30歳から50歳で儀式に参加。

神に対して何の貢献もしていないから、節目の年齢で不安になる。
本当なら、その節目の年齢で不安になって、色々と探して、神を発見するはずなのである。サタン側は、そこを不定愁訴とか言って騙す。
俺は聖書を読んだら、不定愁訴はなくなった。

そもそも体力は個人差がある。
プロスポーツのトップで活躍する人も、身体障碍の人も、体力が全く違うのに、同じ年齢で同じように不安になるのは、何かおかしいと気付かないといけない。
神の信者なら、神に何の貢献もしていない自分に不安になるのが判る。
しかし、非信者だと神を知らないから、神に貢献していない自分が原因で不安になっても、神を知らないから不安の正体が判らない。

旧約時代なら、聖所に仕えて儀式の準備や執り行いで神に対して貢献していたから、不安を解消できていた。

人間社会での不安をいくら解消しても無駄。
不安を解決するために働けとか言って、労働力の搾取が目的だ。
いや、労働力の搾取すら目的ではなくて、神の存在に気付かせないために働かせて、神の存在に気付く時間をそぎ落としている。
実際、サタン側の技術力は何千年も先へ行っているのだから、人間の労働力なんか搾取しなくても何も困らない。

労働時間は、一日一時間でいい。
ブドウ園の労働者も夕方の間際で雇われて、一時間の労働で一日中の労働をした人と同じ報酬を得たから、天国へ入れる。

2、苦しみの正体
自分の感情と権利の間には何の関係もない。
関係があると思い込むと、勉強で苦しんだから利権を貪ってもいいという考え方に成り果てて、利権を手に入れるために苦しもうとする。

自分が苦しんだから人を殺してもいいという考え方と同じである。

自分の苦しみを免罪符と思い込むと、意味もなく苦しもうとする。

何故、人生が苦しいのかというと、苦しみが免罪符と錯覚しているから、免罪符を得るために意味もなく苦しもうとするから、人生が苦しくなる。

本来は、罪悪感は、神に背いた事に対して抱いている。
しかし、神を忘れたから、漠然とした不安感と罪悪感がある。
その罪悪感を解消しようと思って、苦しみが免罪符になると錯覚すると、無駄に苦しんで免罪符を手に入れて罪悪感を解消しようとする。
苦しみの原因は、元々は神に背いた自分の悪心にあるから、神に立ち帰れば、苦しんで免罪符を手に入れる必要性がなくなるから、無駄に苦しむ選択をしなくなるため、苦しみがなくなる。

3、強盗対策は不可能
大家族で暮らしていると金を持っていると判断されてしまう。
金が無いと大家族では仲が悪くなって喧嘩別れする。
金があると大家族でも仲が良くて同居し続ける。
金が無くて仲がいいというのは、基本的に少ない。

まあ、時々、貧乏なのに大家族というのも居るけど、基本的には大家族ほど金持ちだ。

家・畑・家族を捨てろと神が言っているのは、危険だからだ。

「強盗のターゲットになるかどうか」で「家がボロいかどうか」はあまり関係がない。
一軒家の持ち家の時点で資産税を払う余力があると見なされる。
しかも畑まで付いているし、車を複数台の所有をしているから、金を持っていると判断される。
複数台という事は、大家族だと判断されるから、さっき書いたように金を持っていると判断される。

ボロいから大丈夫と言う人は、少し考えが足りない。
強盗はボロいのを見極める能力が無いと犯罪者を見下す奴も、少し考えが足りない。

防犯カメラなんか付けたら、防犯カメラを付けるぐらい金の余裕があると判断されてターゲットにされる。
ホームセキュリティーに頼むと、頼むだけの金を持っていると判断される。
警備員を雇うと、警備員を雇う金があると判断される。
犬を飼っていたら、犬を飼うだけの余裕があると判断される。
犬は年間20万円ぐらい掛かる。
金にならない犬に20万円も使えるのだから、さぞ金を持っているに違いない、と強盗に判断される。
何のために犬を飼っているかなんて、強盗にとっては何の関係もない。

相手の気持ちになって考えれば判る。
犯罪者の気持ちになって考えれば、犯罪者がどういうのを金持っていると判断するか判る。
俺が金に切羽詰まっていたから、ある程度、判るのかもしれない。

貧乏になってみないと、貧乏人が、どういう人間を金持っていると見なすか判らないのだろうか。
他人の苦労話を聞いても「その程度で苦労なのか」と思って何の感動もしない。

極貧になると、少し金を持っている他人でもターゲットになって、強盗しても割に合うと判断するようになる。

防犯するといっても犯罪者の気持ちが判らないと防犯にならない。
むしろ、逆に犯罪者を呼び込む逆効果になる。
空き巣の手口を知るために、空き巣に意見を聞くのは、最も効率的な防犯方法である。

強盗といっても色々ある。
世間への恨みか。
遊ぶ金が欲しいのか。
生活費が欲しいのか。
ショックドクトリンでネット検閲の世論操作のためにやっているのか。
面白そうだからなのか。
動機によって対処法も変わってくるから、まず防犯は完ぺきではないと思った方が良い。

相手の立場になって物事を考えられないと、何を発言しても何も解決できないどころか邪魔になる。
人の気持ちを考えなくても生きてこられたのだから、いい社会・いい時代に生まれたし、いい親の元に生まれた。
もし、戦乱で相手の考えも判らないで暴言を吐いたら一瞬で殺される。
良い親なら、言いたい放題を言っても何の制裁もない。いけない事を言ったら叱るだけで、不機嫌にならないし罰もない。
毒親だと、自分の発言にイチイチ気を付けて、毒親の気持ちを考えないといけない。もしくは、やる気が失せて、何もかも相手にしなくなる。

ライトで照らして怯ませるなんていっても、ある種の人は激昂してくるから逆効果になる危険性がある。

強盗以外には効果があっても、強盗には効果がないどころか、逆効果になる場合もある。
防犯は、それぐらい難しい。素人が自分の気分でアレコレ語って何とかなる問題ではない。

貧困者を追い出す施設は、金を持っていると判断する強盗Aが存在する。
かといって、貧困者に施しをする人は、金を持っていると判断する強盗Bも存在する。
強盗と一口に言っても、色々と種類がある。
強盗Aには効果がある方法でも、強盗Bには逆効果だったりする。
それぐらい防犯は難しい。素人の思い付きでどうにかなる問題ではない。
警察に圧力を掛けて守らせればというけど、警察にそんな命令ができる人間は権力があるから金を持っていると判断される。

何で、防犯のプロである警察や警備会社ですら難しくて根絶できないのに、素人の思い付きで根絶できると思うのか。

一番、手っ取り早い防犯対策は、経済政策を成功させて、強盗をしなくても生きて行けるようにする事だ。
急がば回れという。
遠回りのように見えても、これが一番の近道である。
要するに悪政をする政治家を選んだ有権者が悪い。

しかし、この世の権力はサタンが与える。
だが、この世の命令系統は、神、人、サタン、サタン側、表の権力者の順だ。
神は間違えないから人の悪心が悪い。
悪心とは、天の主に背いた人間の心の事だ。
人の悪心をサタンが読んで手下に実行させる。強盗とかの計画も末端の手下に実行させる。
つまり、人々の悪心が悪いから、自業自得だし、悪心を抱いている人が加害者である。

自分の悪心が、他人の強盗の原因だから、自分の悪心を改心しない限り、強盗対策は不可能である。
他人の強盗に対策するのは不可能だけど、自分の悪心を改めるのは可能である。
他人の行動を変えるのは不可能だけど、自分の悪心を正すのは可能。
そもそも、他人の強盗は、自分の悪心が原因なのだから、自分の悪心という原因を正さないで、結果の強盗だけやめさせるのは不可能である。

4、獣の刻印
自分の財産を隠して、強盗のターゲットを他の人に押し付けるのは、群生動物の生き方だから、獣の刻印になる。

5、本当の懲罰
中国人の犯罪者は今の中国へ帰らせた方が何倍も苦しむ。

日本の刑務所だとヌクヌクと食べていける。

刑務所へ入れたがる人間は、犯罪組織の手下が欲しいから、国外追放ではなく刑務所へ入れたいのだろう。

犯罪者が後悔しない懲罰をしても、何の効果もないどころか、逆効果になる。

6、情報過剰
情報が多い方が間違える。
唯一の正しい情報である聖書以外の情報を集めすぎると、逆に間違える。
情報が多ければ多いほど正しくなると思うのは、錯覚である。
世の中の99・99%の情報はサタン側が用意した罠だから、情報を集めれば集めるほど罠に引っかかりやすくなる。
情報を全く集めないのはダメだけど、集めすぎるのもダメである。

正しい聖書に基づいて、情報を適量だけ抽出して、物事を判断した方が良い。

サタンの手下の科学者が「情報は多いほど正しい」と言っているから、情報は多いほど間違いなのである。
悪人が言う事の逆が正しい。ただ、こういう短絡的な「嘘の見破り方」は逆手に取られる危険性があるから、ほどほどにした方が良い。
悪人がワザと正しい事を言って、逆の間違った選択をさせる騙し方をして来る危険性がある。

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