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正常コミュ 商売の危険性 490回で覚える 話術は不要 金持ち劣等感

1、自分ルールのストレス
自分ルールで仲良くなる相手を決めると、必ず不幸になる。
神のルールで仲良くなる相手を決めると、必ず幸福になる。

神の信者なら、付き合う相手は、神の信者である事が条件になる。

人間関係の付き合い方で、非信者は自分ルールで決める。
自分ルールで決めると、自分で責任を背負わないといけないから、ストレスになってしまって、このストレスそのものが不幸に原因にもなる。
そして、自分ルールで決めるから、徹底できなくて、トラブル人間を招き入れてしまう。

神の信者は、自分で決めないで、聖書に基づいて交流相手を決めるから、ストレスにならないし、失敗もしない。

自分ルールで決めても、誰も守ってくれないからストレスになる。
アダムとエヴァの時点で人類は責任転嫁をするから、自分で責任を背負う事は不可能である。
そもそも、責任を全うした人間を見た事があるのだろうか。
大抵は、失敗の損害の回復をしないで、辞職して逃亡する無責任だ。

神のルールに従えば、神が責任を取ってくれるからストレスにならないため、不幸にならない。

2、マウントの末路
会う前からマウントを取っていると、仲良くしてくれない。
会ってからマウントを取ろうとすると、仲良くしてくれない。
距離感が判らない人は、譲歩すれば仲良くしてくれると思い違いする。
まともな人間は、マウントを取りに来た相手と仲良くしない。
対等な友にならないし、下手に出てきても排除する。
下手に出る人間は、自分が媚びたら仲良くするだろうと思う。この自分が仕立てに出ているのだぞ、という意識がある。
媚びる人間は、媚びてもらうと、うれしい性格なのだろう。普通の神経をした人は、マウントを取ってきた相手が媚びて来ても排除する。
自分がされて嬉しい事をやっても意味がない。相手がやって貰って嬉しい事をする必要がある。
マウントを取るような人間は、こちらの仲間や友達にもマウントを取ってトラブルになるから、排除する。
人間関係を上下・優劣・強弱でしか見れない人間は、まともな人間から排除されるし、まともな友達ができないから簡単な物事も教えてくれる友達が居ないため、簡単な物事で間違える。
一度、こじれると、次から次へとこじれるのが人間関係である。
道徳的に生きるなら、知能や経験が低くても、まともな人間が友達になって、こじれない方法を教えてくれる。

神の信者に成れば、神が友達になってくれて、ちゃんとした人間関係を構築できるように導いてくれる。

俺は非信者と仲良くなる気がないから、警告で言い捨てるだけで済ませるけど、相手と仲良くなりたいならマウントを取らない方がいい。

3、話術は不要
モーセは口下手だから、神は人間に人当たりの良さは求めていない。
そもそも、神は人の心を読めるのだから、話し上手を求めていない。

4、正常コミュニケーション
自分と相手の関係よりも、自分の仲間と相手との関係を重視する。
自分の見えないところでロクでもない事をするのではないかと警戒するのが、正常な人の考え方である。
自分の見えないところで、自分の身内と、相手が、トラブルになるのではないかと警戒して、付き合う相手を選ぶのが正常な人間の考え方である。
こういうのが正常なコミュニケーションである。
口先の上手い話術がコミュニケーションではない。
マウント人間の末路は、マウント人間の評判があらゆる人に伝わって、会う前から排除に掛かるようになる事だ。
見えるところだけ上手くやろうとする人間は、見えないところで身勝手な悪行をする。
聖書でも、主人が留守の時に仲間を殴るような奴が存在する。

5、金持ちコンプレックス
金持ちに対して、金持ちである事を褒めても、コンプレックスだったりするから逆効果になる場合がある。
金持ちは、周りも金持ちだから、その周りの金持ちに比べて自分の劣ったところが目に見えて判りやすいから、金持ちである自分に劣等感を抱いていたりする。
そういう金持ちは、コンプレックスを解消するために、政治・教育事業・文化活動・宗教活動などに手を出すようになる。

自分が金持ちになった時に、金持ちである事を鼻に掛けるのは、あまりにもポジティブに物事を考えすぎだ。
ほかの金持ちが、金持ちである事を自慢すると思っているなら、楽観的なモノの考え方をしている。
貧乏人を侮辱して楽しもうと、ほかの金持ちに対して持ちかけるようでは、普通に排除される。
内心でそう思っていても、リスクが高すぎるし、何のリターンがあるのか損得勘定するからだ。

もし、自分が貧乏で、勝者が金持ちだと、自分が金を持っていないから負けただけだと決め付けて、金持ちに成れば勝てると言い訳できる。
しかし、同じ金持ちになると、そういう言い訳も通用しなくなる。
この時に、金持ちである事がコンプレックスになる。
同じ条件なのに負けるという評価が誤魔化しようがないほど確定するからだ。

俺みたいに極貧だと、相手が金持ちでも、どうでもよくなる。
そんな事を比較している余裕すらなくなるからだ。
比較するのは、中途半端に余裕があるのが原因になる。
数千万円以上の中途半端な資産を持つと比べてしまう。
中途半端に金を持っているから、金持ちと比較してしまう。
中途半端に才能があると、変に比較して苦しむ。
才能を私物化しなければ、比較しないから苦しまない。
だから、神は才能を私物化してはいけないと言う。

申命記 8:17 (新共同訳)
あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。
マタイによる福音書 10:8 (新共同訳)
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
ルカによる福音書 12:48 (新共同訳)
しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

神が才能を与えてくれたと思えば、その才能を神や人々のために使うから、自分のやるべき事をやっているだけだから比較しなくなって苦しまない。
ほかの人が自分の10倍の才能で10倍の成果を出しても比較しない。

それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

マタイ福音書 25章15節から17節 新共同訳

6、自己採点
面白い芸人の定義を、犯罪芸人の集団が自分たちで決めてしまう。
こういうのを自己採点と呼ぶ。
身内だけを面白い芸人扱いして、身内ではない芸人を詰まらない設定にして人々を洗脳する。
犯罪事務所は、面白いかどうかを全く査定しないで依怙贔屓しかしない。

人格と芸を分離したがるのは、犯罪事務所である。
人格と芸を分離した方が好都合だからだ。
正常な感覚をした人間なら、タレントの人格が悪いと芸も楽しめない。
悪い人格と良い芸を混ぜるのではなくて、良い人格の人に良い芸を仕込めば良いだけの話だ。

コンテンツが面白いかどうかは客が決めるのであり、作る方が決めるのではない。

7、商売の注意点
商売をすると、どうしても商売上の理由で相手に配慮してしまって、思考を制限してしまう。
金持ちや経営者を見ると、何か配慮している感じがする。
別に商売がいけないなんて聖書には書いていない。神殿の前で金儲けをしてはいけないだけ、安息日に金儲けをしてはいけないだけ。
神の信者なら、相手に配慮しないで、神の教えを徹底的に諭す。

8、490
人間は、490回ぐらいは言われないと理解できない。
何十回も人間の罪について書いてある聖書を何回か読んで、俺は、ようやく理解できるようになった。
新約聖書で使徒が「何回、赦せばいいでしょうか」と聞いて、イエス・キリストが「7の70倍を赦しなさい」と言ったのは、人間は490回ほど言われないと理解できないからだろう。

一回で覚えても理解できない人が存在する。
一回で覚えても理解できない人をサタン側は出世させる。
なぜなら、そういう人は、聖書も一回で覚えても理解できないから、一回だけ読んで判った気になって、それ以上の理解をしなくなるから、サタン側にとって好都合なのである。
サタン側がペーパーテストを重視するのは、一回で覚えられるけど理解できない人間だから、聖書を理解するのも難しいからだ。
そういう中途半端に頭の良い人間を出世させて、聖書を誤読したまま、世論操作をさせる。

何回も読まないと覚えられない人間なら、聖書も何回か読めば覚えて理解できるようになる。
一回で覚えられるけど理解できない人間は、中途半端に頭が良くて不幸になる典型だ。

9、多様性は罠
多様性をゴリ押しする勢力と、多様性のゴリ押しを批判するけど多様性は批判しない勢力で、極端な二択で人々を地獄へ道連れにする。
多様性はサタン側が用意した何千何万の1つ。
多様性そのものが罠だから、多様性を否定しない時点で同じ穴の狢である。

神に立ち帰る事だけが唯一の正しい道なのだから、他の道は全て間違っているため、多様性など100%間違いである。

10、丁稚
昔は、10歳になる前に奉公に出るから、家族主義に毒されない。
聖書で家族を捨てろと書いてあるのは、家族が判断を間違えさせるからだ。
丁稚奉公を禁止にしたのは、家族主義を洗脳するためだろう。
サタンの罠の1つだ。

11、カバーストーリー
卒業証書の前に行動がダメだから、落選させるべき。
卒業証書が無ければ落すと言うなら、それはタダのカバーストーリーでしかない。
サタン側からしてみたら、卒業の有無でいつでも落とせるなんて、操り人形として使い勝手が良いから、操り人形として担ぎ出したのだろう。
この時点で、得票数と支持率は捏造されていると気付かないといけない。

選挙へ行っても、意味があるとしたら、行動できる事を威圧するぐらい。
ただ、サタン側の表の操り人形は困るかもしれないけど、上層部は困るかどうかは判らない。この辺りは、裏の話だから、どういうシステムになっているか判らない。

神の信者をサタン側は殺したくないから、配慮する。
もし、信者を殺すと、神が怒ってこの世を滅ぼして、サタン側を地獄へ焼き続けるか魂を消すからだ。
貧乏だと神に立ち帰る人が増えるなら、サタン側は経済成長で人々を豊かにして、神に立ち帰らないように仕向ける。
サタン側にとって信者が0人は死活問題だけど、信者が多すぎても配慮に困るから、可能な限り減らしたい。
選挙へ行くよりも、神を信じて神の掟を守る方が自分の身を守れる。
モチロン、選挙へ行った方がいいだろう。

12、違反と恵み
カナンの地へ攻め上がらないで、妻子を口実にして神の命令に背いたから、家族を捨てろと言われる。
では、財産を捨てろと新約で言われたのは、旧約のどんな命令違反が原因なのだろうか。
財産を惜しんで神の命令に背いた描写が旧約聖書にあるかどうか。
アダムとエヴァが楽園の豊かさを惜しんで責任転嫁をしたからなのか。
俺が読み取れなかった何かがあったのか。
それとも、財産によって選択を間違える新たな罠をサタン側が作るのか。

カナンの先住民を皆殺しにしろと神に命令されても、背いて奴隷にしたから、もう殺さなくていいというルールに変更された。
殺人をしてはいけないというルールに変更されたから、今度は殺したら地獄行きになる。殺したくても殺してはいけなくなった。

普通、命令に背いたら、もっとノルマがキツクなるモノだ。
人間社会の商売なら、商品を10売るのを命令して達成できなかったら、次は20売れ、と命令される。
しかし、神は慈愛と恵みの神だから、商品を10売れと命令して達成できないと、もう商品を売らなくていいよ、売りたくても売ってはいけないよ、と命令を変更する。商売をしてはいけないよと命令する。
あと商品を売るのに失敗したのが妻子の心配をしたのが原因なら、家族を捨てろという命令を付け加える。
だから、神が完全であるように、あなたも完全な者となれと聖書にあるから、神の信者ならどうするべきか。

だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

マタイによる福音書 5:48 (新共同訳)

例えば、部下に営業をやらせて全く成績を上げられないなら、これから一生に渡って営業をしてはいけないと命令するのだろう。
掃除を命令して達成できないなら、一生、掃除をしてはいけないと命令する。家の中の掃除もしてはいけないから、週一でハウスクリーニングを家の中に入れさせる。
こんな感じになるのだろうか。まあ判らないけど。主観だから根拠がない。

13、化粧
化粧について、眼の淵を黒く塗るのを背教者の強者の男に見せなければいいと書いた。
グラデーションや瞼を塗りつぶすのをしなければいいと書いた。

新約聖書では、断食の時は、油を塗る。

あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。

マタイによる福音書 6:17 (新共同訳)

仲間を救うユディトは、化粧をして、敵の男を惑わして暗殺する。

足にはサンダルを履き、足輪や腕輪、指輪や耳飾りなど、あらゆる装身具で装いを凝らした。その上、彼女を見る男たちの目を惑わすために、できるだけ美しく化粧した。

ユディト記 10:4 (新共同訳)

知恵のある女は、普段から化粧している。

テコアに使いを送って一人の知恵のある女を呼び寄せ、彼女に言った。「喪を装ってほしい。喪服を着、化粧もせず、長い間死者のために喪に服しているように装うのだ。

サムエル記下 14:2 (新共同訳)

「化粧もせず、長い間死者のために喪に服している様に装うのだ」とあるのは、普段は化粧をしているのだろう。
ただ、このあと、ダビデ王の息子アブサロムを助けて、色々と諍いが起きているから、どう判断していいのか判らない。
もしかしたら、こういう事態を作るために、神が計画した事かもしれないから、知恵のある女なのは確かなのだろう。

同胞たちを皆殺しの危機から救ったエステルは化粧品で美しくした。

十二か月の美容の期間が終わると、娘たちは順番にクセルクセス王のもとに召されることになった。娘たちには六か月間ミルラ香油で、次の六か月間ほかの香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていた。

エステル記 2:12 (新共同訳)

悪女イゼベルは化粧をする。

エヒウがエズレルにきた時、イゼベルはそれを聞いて、その目を塗り、髪を飾って窓から望み見たが、                   口語訳

イエフがイズレエルに来たとき、イゼベルはそれを聞いて、目に化粧をし、髪を結い、窓から見下ろしていた。              新共同訳

列王記下 9章30節

「その目を塗り」とは、どのあたりまで指すのか判らない。
眼の淵を化粧するのか、瞼をグラデーションにしたり塗りつぶすのか。

どの程度まで化粧が可能なのか、保留して色々と考える。


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