夢見術と夢整理 不安の正体 偽ファンの性根 クルド人は悪魔崇拝者 脳チップ遠隔操作
1、夢
夢見術・夢整理について、7000文字ぐらい書く。
夢見術・夢整理の説明の前に、夢について聖書でどんな感じで出てくるのか「夢」で検索すると、90ぐらい出てくる。
「夢」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
説明に使いたい箇所を創世記から重要な部分だけ引用する。
神や天使が、異邦人の王の夢に現れたり、ヤコブに現れて指導したり、ヤコブの叔父の夢に現れたり、色々とやる。
新約でもマタイ福音書で現れる。
新約でも、イエス・キリストの地上での父ヨセフに夢の中で天使が現れたり、天文学者にヘロデの所へ帰るなと言ったり、異邦人のピラトの妻の夢にも現れる。
夫ヨセフは夢に天使が出て来るのに、妻マリアには天使が現れて宣告する。この違いは何なのだろうか。
夢に出たりでなかったりするのは、何かのたとえなのかと思う。
夢で検索して、出てきた聖書箇所を読んで調べると、色々と疑問が湧く。
その疑問は下へ書いていく。
そもそも、神は普通に姿を現す事ができるのだから、何か言いたい事があるならワザワザ夢に出る必要はない。
姿を現す事ができるのに、ワザワザ夢に出るのは、夢に何か意味があるのだろうか。
また、声だけで天から話ができる。
天の主は、姿を現したり、声を空から発する事ができる。
夢に出なくても意思を伝える事は出来るのに、夢に出るという事は、夢には何か意味があるはず。
偽装キリスト教団の神学を妄信する人間が多いから、仕方なく夢見術を禁止のように見せるのだろうか。
もし、夢見術を禁止に見せかけないと、偽装キリスト教団の神学で、夢見術を悪用して人々を惑わすのが判り切っているから、聖書を読むのが浅い人を守るために、夢見術が禁止のように見せかけているのだろう。
取捨選別の難しいモノは一律で禁止にした方が安全である。
だから、聖書で何か所か、夢をみる者は禁止とか出てくるのだろう。
ここで言う預言者とは、偽預言者の事だろう。
夢みる者とは、「みる」は「診る」の方だろう。ただ、「みる」は「見る」「観る」「視る」かもしれない。
夢みる者とは夢見術士の事で、自分が寝て見た夢を整理し直して、次に寝て見る夢を見やすくする事を指しているかもしれない。
胡散臭い自己催眠とかではなく、寝て見た夢はメモに書いたりすると、ある程度はコントロールできたりする。
催眠術は、神が忌み嫌うから、催眠術ではないタイプの夢見術だろう。紛らわしいなら夢管理と言い換えるけど。
夢見術にも、色んな種類があるけど、神が忌み嫌うタイプの夢見術は排除して、神が嫌わないタイプの「メモを取る」夢見術は可能である。
夢見術だと紛らわしいから、夢整理と表現した方がいいだろうか。
あと、夢みる人とは、夢を判断する人、夢を診断する人、という意味もあるだろう。
夢判断や夢診断という言い方だと、まだ紛らわしいと思う。
とりあえず、今回の投稿で以降は夢見術と呼ぶ。
エレミヤ書27章の時は、主が背教的になったイスラエル人を懲罰するために、バビロンの捕囚にするために、バビロンがイスラエルへ侵略するように仕向けた場面である。
だから、夢みる者に対して神は、この時に夢見術そのものを批判していない。
偽預言者、占い師、夢占い(夢見術士?)、卜者、魔法使い、などが、イスラエル人に対して、バビロンへ捕囚として連れて行かれるのに屈してはならないと言ったのだろう。
偽預言者、占い師、夢占い(夢見術士?)、卜者、魔法使い、などの物言いは、イスラエル人に対する神の捕囚命令に背くから「聞き従ってはならない」と神が言うのだろう。
この時の夢占い師たちに聞き従ってはならないだけで、夢見術に関しては別の場面では聞き従ってはならないという意味ではない。
どんな場面でも夢みる人に聞き従ってはならないという意味ではない。
そして、申命記13章の方は、偶像崇拝へ誘導する夢みる者に聞き従ってはならないという意味である。
偽預言者と夢占い師が奇跡を捏造して、偶像崇拝や悪魔崇拝へ誘導するけど、耳を貸してはならないと神が言っている。
それは、あなたが神を裏切らないかどうかを神が試しているからだ。
つまり、夢占い師が危険なのであって、夢見術が危険とは書いてない。
ここで言われているのは、偶像崇拝へ誘う夢占い師が危険と言っているのであって、偶像崇拝へ誘わない夢見術をする人が危険とは言ってない。
人間社会でも、取り扱いが難しくて危険な道具は、一律で禁止になる。
危険な遊具も一律で禁止にしたり撤去する。
一律で立ち入り禁止にするのは、誰が管理しているのかと思うけど。
夢診断・夢見術は使い方を間違えると、占い師・魔法使い・偽預言者の悪魔崇拝と同じぐらい危険なモノだと注意書きをされているのだろう。並べて書くのは、同じぐらい危険なモノと注意している。
偽装キリスト教団の神学が夢見術を禁止にしているから、余計に疑う。
偽装キリスト教団が夢見術を禁止するから、夢見術は良いのではないかと思ってしまう。悪人が必死で貶すモノは、良いモノではないかと思う。
夢見術で悪魔崇拝へ誘導するのはダメだけど、天の主へ誘導するのは良いのではないかと思ってしまう。
ただ、取捨選別が難しいから、禁止のように聖書でも見せかける。
禁止なら、どうして創世記や夫ヨセフで神が夢に出てくるのか、疑問が出てくる。禁止なら、何で神や天使を夢に出てくるのか疑問が出る。
私を見たから信じたのか。見なくても信じる者は幸いである。と神は言ったけど、夢は眼球では見ていないから、夢を見て神を信じるのは良いのだろうか。
この時のトマスは、起きていて、自分の眼球で神イエス・キリストを見たから、信じた。
夢は、寝ていて、自分の眼球では見ていない。
寝て見る夢が多いといけないとは書いてある。
「夢が多いと饒舌」だけど、「夢を見ると饒舌」ではなくて、「夢があると饒舌」でもない。寝て見る夢が少ないと良いのだろうか。
偽りの夢という表現について。
「偽りの大言をもってわたしの民を惑わす」とあるけど、惑わさないで、悪魔崇拝へ誘導しないで、天の主へ誘導するのは良いのだろうか。
普通、夢見術そのものがダメなら、「民を惑わす」なんて言い回しをしないで「夢見術は全てダメ」と言えば良いだけだ。
「夢を見る者は偽りの夢を語り」とあるけど、偽りでなければいいのか。
「偽りの夢」があるなら「真実の夢」が存在するのだろうか。
何でワザワザ「偽り」などという冠を付けるのか。
夢が一律でダメなら、ワザワザ「偽り」などと付ける必要はなく、夢は全て偽りというイメージで話を進められるはずである。
それとも、人々が夢を見るから、アレコレ解釈してしまうため、「偽りの夢」という言い回しをしているのだろうか。
付ける必要が無いのにワザワザ付けるのは、何か意味があるはずだ。
「善い先生」と律法学者は言ったけど、先生は神である天の父と神の化身のイエス・キリストただ一人なのだから、ワザワザ「善い」なんて付ける必要はないと、イエス・キリストも言っている。
「偽りの夢」も「善い先生」も余計な冠が付いている。
「偽りの夢」の方は余計な冠ではないと考えるなら、「真実の夢」が存在する事になる。
そもそも、どうして夢を見るように人を創ったのか、という話になる。
夢が危険なだけなら、夢を見ないように創れば良いだけだ。
それとも、夢を見るように創って、夢に惑わされないための試練なのか。
だけど、試練だとしても夢をコントロールするのは難しい。
起きている時の欲望をコントロールするのは可能でも、夢をコントロールするのはほとんど不可能である。
だから、夢を見るのには、何か意味があると解釈するのが納得しやすい。
夢を見て解釈して、夢見術したと言わないで説明しても、結局は夢見術である。
夢見術した内容を、他人には夢見術したと言わないで隠して説明するのは、かなり危険だと個人的には思う。
夢見術した事を隠して、他人に夢見術の内容を妄信させようとしているから、とんでもない悪行だと思う。
夢で見たなら、夢を見たとハッキリ言って説明した方が、他人は取捨選択ができる。
夢で見たと言わないと、他人は取捨選択ができない。
そもそも、夢で見た事を、完全に解釈に入れないなんてできない。意識しないで解釈に入り込む危険性がある。
夢で見た事を解釈に入れないのは、人間の能力では不可能である。
夢解釈した事を説明に一ミリも入れないで説明するのは不可能である。
夢で見た事を起きている時の話に一ミリも混ぜないのは不可能である。
どうしても、何らかの概念は混ざってしまう。
自分の話に、夢で見た内容が一ミリも入っていないと確実に言えるか。
夢を解き明かす時は、神によるものだと書かれている。
夢は神の力で解き明かされるモノである。
そうなると、神の力は聖書にあるから、聖書の他の箇所や言い回しから解釈する必要がある。
巷の胡散臭い夢占いの手法で夢を解き明かしてはいけない。
巷の胡散臭い夢占いの手法とは、「転落の夢は〇〇だ」とか「財布を落とすのは▽▽だ」とか、そういう類のモノだ。
「偽りの夢」を「善い先生」などから解釈するのは、他の聖書箇所から比較検証しているから、正しい手法である。こういう正しい手法が他にないか、聖書を通読しながら解釈していく。
聖書に神の力が宿っているから、聖書に基づいて夢を解釈するのが正しい夢の解釈である。夢解釈という言い方なら紛らわしくないだろうか。
神学は偽装キリスト教団だから信用はしない。
しかし、聖書でも夢を見る者は他の魔術師と同列に語られているから、かなり危険な道具なのは事実である。
神や天使が夢に出たりするから、夢は善か悪かの断定はしないで保留して、思考を続ける。
思考停止で偽装キリスト教団の神学を妄信しない。
神学を妄信している人間は、教団内の保身と出世に囚われている。
もしくは、自分の過去の夢見術の否定発言を謝罪したくないのか。
俺は自分の過去の解釈が間違っていたら謝罪する。
夢見術にしても、解釈を続けて、間違っていると思ったら謝罪する。
危険な道具を禁止にして、権威が禁止にして大多数の素人が近づかないようにするけど、少数の玄人は近づくようにする。
聖書も、偽装キリスト教団が大勢を握った状態で、夢見術を禁止にするように見せかければ、聖書を読まない素人も安全と言えば安全である。
世の中には、聖書を読まない人の方が大多数だから、聖書でヘタな言質を与えると、危険である。だから、夢見術は禁止のように見せかけた。
毒物も、大して危険でなくても、危険マークを付けて、素人が近づかないようにする。まあ、本当に危険な場合もあるけど。
偽装キリスト教団が、神学で夢見術を禁止にするのは、支配しやすくするためである。
偽装キリスト教団のサタンの手先にしてみたら、夢で色々と判断されると、洗脳やコントロールができなくなるからだ。
せっかく洗脳が完了しても、夢で脳を誤作動されたら、洗脳が解除されてしまう。
だから、偽装キリスト教団が夢見術を禁止にするのは、自分たちの利権の都合でしかないため、全く参考にならない。
ポジショントークをする奴の話なんか、無駄どころか有害である。
キチンと聖書全般を見通して、つじつまの合う解釈を、何の利害もない人がする必要がある。偽装キリスト教団の神学は利害だらけで、全く参考にならない。
最後に、夢見術は、聖書に基づいて解釈したらいいという聖書箇所を引用する。
誠実に忠実に神の言葉を語れと書いてあるから、聖書に基づいて、神に忠誠心をもって夢を解き明かせと言われている。
聖書には神の力が宿っているから、今の人たちが唯一できる神へ通じるアイテムである。後は、寝て見る夢が神と通信できる唯一方法なのだろう。
神に対して忠実に語ろうと思ったら、聖書に基づいて解釈する事になる。
得体の知れない巷の夢占いで夢を解釈してはいけない。
2、禁止の書き方
何で入れ墨や「厭うべき性関係」みたいに、夢見術に関しても直球で言わないのか不思議である。
本当にダメなら、他のダメな事柄のように直球で言うはずだけど言わない。
入れ墨に関しては、この1つだけである。
夢とか夢見術みたいに100ヵ所もないし、アレコレ書かない。
本当にシンプルで直球だ。
本気で禁止にする場合は、アレコレ書かれていない。
レビ記 18 | 新共同訳 Bible | YouVersion
レビ記18章の厭うべき性関係も、ほぼ全て直球で、他の解釈の余地が無い。
ガチでダメなモノは、シンプルに「ダメなモノはダメ」という感じで書かれている。
3、不安の正体
得体の知れない不安だから、得体の知れないモノに頼る。
冠婚葬祭で得体の知れない縁起物は悪魔崇拝である。
サタン側が神を隠して、人々が神を知らないから、得体の知れない不安にさいなまれる。
神に頼れば不安は解消されるのに、神を知らないから不安になる。
胡散臭い縁起物は、悪魔崇拝であり、不安解消の代償行為だ。
代償行為だから、本物ではないため、不安は解消されない。
不安が解消されないから、死ぬまで続けてしまい、死んだ後は神に立ち帰らなかった罪を問われて、地獄へ落ちる。これがサタンの策略だ。
4、胡散臭い健康情報
得体の知れない詐欺の健康情報に騙されるのは、本当の健康が判らないからだ。
サタン側が神を隠して、人々は神を知らないから、疫病の発生条件が判らなくなる。
疫病の原因が判らないから、得体の知れない健康情報に飛び付くしかなくなる。これがサタンの策略だ。
神を信じたら、疫病は背教者に対する神の天罰だと判るから、疫病になったりならなかったり治ったりする理由が判るため、得体の知れない健康情報を切り捨てるから、騙されない。
5、崇高の正しい使い方
崇高な仕事をしたがるのは、崇高な神を知らないからだ。
天の主を知っていたら、神を崇拝するため、崇高な仕事で人生を満たす必要性が無い。
崇高な仕事は、タダの代償行為だから、満たされない。
一生、代償行為で人生を無駄にする。
神を崇拝した上で仕事をすればいいだけ。
サタン側が神を隠して、崇高な仕事で代償行為をするように策略を作ったのだ。これが数千数万のサタン側の罠である。
6、不祥事タレント
場外でやらかす奴を誰が雇うのか。
不倫をしたスポーツ選手は、場外で不祥事をするから、誰が雇うのか。
偽ファンの擁護する奴らも、認識がおかしい。
週刊誌側に悪い部分があるからと言って、選手の不倫犯罪が赦される理由にはならない。
相手の悪行は、自分の悪行の免罪符にならない。
精神のバランスが歪んでいる奴らを叱ると逆上して逆恨みしてくるから、まともな論者は叱らないため、こういう精神が歪んだ人間は誰も叱ってくれないから、歪みを直すチャンスが少ない。
偽ファンは、ちゃんと性格を直さないと人生が台無しになって地獄へ落ちるから、さっさと性格を直した方がいい。
認知バイアスか認知の歪みか判らないけど、治さないと、聖書解釈も正常にできなくなる。
7、クルド人は悪魔崇拝者
天の主の信者なら、迫害されたぐらいで国外逃亡しないで、悪魔崇拝国家に抵抗して殉教を狙う。
イエス・キリストも、何の罪も犯していないのに、濡れ衣を着せられて、不当逮捕されようとしても、逃亡しないで名乗り出た。
信者なら、イエス・キリストと同じように、濡れ衣で迫害されても国外逃亡しない。
だから、迫害されたと言って、国外逃亡して、日本へ来ているクルド人は100%悪魔崇拝者である。
もし、背教者が日本で悔い改めて天の主に立ち帰ったら、帰るのか、日本で布教活動するのか、どちらが正解なのだろう。多分、布教活動をある程度やれば帰国するのだろう。
聖書でも、そんな感じの動きをしている預言者エレミヤが居た。
国王の悪い側近に迫害されているのに、アレコレと警告を発して、国外逃亡をしないで、人々の前に現れたりする。
不当逮捕されて、泥の沼に沈められるのが判っていても警告を続ける。
これが本当の信者の生き方である。
何も信じていない非信者を信じるとか、天の主を信じない人間を移民として受け入れる奴らは死にたいのかと思った。
背教者を信じるとか、死にたいのか。
エセ愛国者も悪人である。自称クルド人の偽クルドも悪人である。
エセ愛国者は日本人が減らされるのに対抗して団結しようとか言っているけど、神に逆らう日本人を神は懲罰するから「徐々に減らされる」のである。
神に立ち帰れば守られるけど、神に立ち帰らないから殺される。
全ての土地は神の私物だから、国や日本人の私物にしようと考えている奴らは、徐々に滅ぼされる。
神に背く日本人に対して、有害な外国人を使って、徐々に罰を加えて悔い改めのチャンスを与えているのが神である。
「彼らの血統が悪く、その悪意が生来のもの」とハッキリ書いてあるから、生まれ付きで罪を犯しているのが人類である。
そして、日本人にとって代わった移民の奴らも背教者だから、次はコイツらが徐々に殺される立場になる。
変に移民しない方がいいと前にも言ったけど、次は自分たちが殺される番になるから、移住しない方がいいと忠告はする。
申命記28章は、神の異民族皆殺し命令に背いて、異民族を奴隷にしたイスラエルに対して、神が天罰でイスラエルを衰退させると宣告した。
だから、背教者の日本人も、徐々に衰退するのは確定している。
9、先住民の証拠
思い付きで書くけど、日本は2000年前にイエス・キリストに立ち帰った先住民が居たけど、サタン側に不都合だから移民で先住民を皆殺しにしたのではないだろうか。
今の日本人は、その時に侵略した方の移民の子孫かも知れない。
何か漫画で、そういう表現がされていた気がする。創作業界はサタンの手先だから、隠された歴史が表現される場合があるため、漫画だからといって信じないのは危険である。
社会的地位の低い漫画で、真実のヒントをサタン側が出す場合が多い。
社会的地位の高い新聞で、こういうヒントは絶対に出さない。
10、脳チップ
人殺しができるけど、神が殺すなと命令しているから、神のために殺さない選択をする。
脳に洗脳機械のチップを埋め込まれて、実力的に殺せないのでは、全く違う。
同じように人殺しをしなくても、天と地の差がある。
選択して殺さない人は「神の殺してはならない命令に従った信者」だから天国へ入れるけど、脳チップの方は「単に殺す実力が無かっただけでしょ」で話が終わって地獄へ落ちる。
知能障碍者は、神を知る能力がないから、神に立ち帰らないから無条件で天国へ入れる。
しかし、健常者が神を知るだけの知能がありながら、神に立ち帰らないのは、天国へ入れない。
同じように神に立ち帰らなくても、天と地の差がある。
11、遠隔操作
脳チップの話で、中国の電気自動車で、文句を言った客に嫌がらせてブレーキとアクセルを入れ替える遠隔操作をする。
こういう事をされても、脳チップに対して何の警戒心が湧かないなら、もうどうしようもなく危機感が欠落している。
悪人にハッキングされたらどうするつもりだ。
中国以外では、そういう嫌がらせをしないで、遠隔操作や自動運転に対する危機意識がなくなるように洗脳をしているのだろう。
ある意味、中国政府は、脳チップに抵抗していると言える。
サタン国家同士の争いなのだろうけど、こういう嫌がらせで遠隔操作をされる危険性があると注意喚起して、脳チップによる社会でディストピアになるのを妨害する。
12、恨み
昨日、書いた企業による永遠の復讐について。
個人による復讐は聖書では禁止だけど、企業による復讐は善いか悪いか判らない。書いてないからだ。
中国の電気自動車の会社も、クレーム客に対して嫌がらせするけど、企業というのは根本的に、この程度の精神性なのだろう。