「信じる」と「助かる」を混同する人々
1、信じると助かる
前に書いたけど、信じるとは心中相手を探すようなモノ。
俺は、神のために殉教したいから、神を信じる。
科学を信じる人は、科学と心中したいのだろうか。
しかし、科学と心中する事はできない。
科学者は、科学信者と心中する気はない。
世の中には、無理心中をしたがる人が存在する。
多分、科学を信じる人は、科学を信じたら助かると思っているのだろう。
「信じる」と「助かる」を混同しているのが科学信者だ。
信じるとは、自己犠牲する、尽くす、などの意味合いがある。
物事の区別が付かないのだろうか。
物事の区別が付かないから、科学信者に成るのだろうか。
物事の区別が付かないから、とりあえず強そうな勢力に媚びる。
そして、科学から虐殺されても、信じた自分を叱りたくなくて、無理やり、得をしたと思い込む。
詐欺に騙されている人が、無理やり得をしたと納得する場合がある。
居ない方がマシな家族と、家族をさせられて、幸せだと無理やり納得する家族主義。
詐欺に騙されて泣き寝入りする人間は、こういう家庭環境で育った人間に多い。騙された自分が恥ずかしくて泣き寝入りする。
2、能動受動
信じるとは、命を守るどころか、命を矢面に立たせる意味が強い。
神のために自分の命を矢面に立たせる人間を、神は天国へ入れたい。
信じるは、能動的な意味が強い。自分が信じる。
助かるは、受動的な意味が強い。誰かに助けてもらう。
科学信者は、自分の言動や選択が能動的か受動的か区別できないのか。
科学信者は、多数が従うから自分も従う受動的な決め方だ。
受動的な決め方だから、今回の薬害で被害に遭う。
みんなが道路に坐ってるから自分も坐る判断で事故に遭う。
この世の自分の命を惜しんでいるから、全ての行動が受け身に引っ張られてしまう。
根本的に積極性がないから、害を回避できない。
科学を信仰しないと出世できないから、出世のために科学を信仰するため、欲望に任せた判断だ。
自分の欲望が自分の命を守ると思っているのだろうか。
今回の薬害では、自分の欲が自分の命を守ったか。
追加12月10日
人を助けられるのは天の主ただ一人。
3、自分の十字架
神を信仰しない人は、自分で責任を取る気がないから、騙される。
自分の十字架(罪・責任)を背負いなさいと聖書にある。
自分の十字架(罪・責任)を背負う覚悟の無い人は、神を信じないし、物事の定義もできないし、物事の区別も出来ない。
信者は、神を信じるのは自分の責任でする。
信者は、定義も自分の責任でする。
信者は、区別も自分の責任でする。
そのため、サタン側は、神を信仰する可能性の低い「自分の責任を背負わない」無宗教者が、薬害注射に騙されて接種するように仕向けて殺す。
定義や区別を自分の責任でしないで、自分で責任を背負う覚悟の無い人間は、今回の薬害注射に騙されて接種してしまう。
サタン側は義人・信者を殺せない。殺すと世はソドムとゴモラのように亡ぼされて、最後の裁きが前倒しになって、サタンは魂を消される。だから、義人が殺されるシステムを作るとサタンが怒って手下を殺す。
自分で責任を背負い定義や区別をする人間は、天の主を信仰する可能性が高いから、サタン側はこういう責任を背負うタイプを殺さないで、責任を背負わないタイプを虐殺をする。
4、似非愛国
妙な液体の薬害で慎重派という名の無責任な政治家が居る。
自分の管理下の人間を見殺しにする無責任だ。
俺のように他人の暴走自滅を見殺しにするのとはわけが違う。
自分が守るべき責任のある相手を見殺しにするのは無責任である。
守る義務のない相手を見殺しにするのは、普通である。ましてや、勝手に自滅するような人間を見殺しにした方がいい。無理に助けると巻き込まれる。自分から洪水するところでキャンプするようなのを助けようとすると、二次遭難になる。
国を愛しているのであって、民や人を愛しているわけではない。
国のためなら、人を犠牲にするエセ愛国政党は、別動隊政党。
5、中途半端
薬害の被害に遭わなかった人は、無宗教者のやり方が上手く行ったとは言えない。
油断させるためにサタン側が中途半端な加害をしなかっただけだ。
もしくは、判りやすい加害をしなかっただけだ。
判りにくいように毒物をばらまく。
そもそも、加害をワザワザ判りやすくする犯罪者が居るわけない。
時々、判りやすい強盗をするのは、ただの個人犯でしかない。
犯罪や悪行をあのようなモノと人々を誤認させるサタン側の罠だ。
失敗の分析は当然だけど、成功の分析もしないといけない。
成功したら「いいじゃん、このままで」とするのは愚かである。
敵がこちらを油断させるためにワザと成功させている危険性がある。
詐欺師も、最初の数回はワザと成功させてから、大金を騙し取る。
6、食欲
聖書に食欲が悪いかのような描写があるけど、実際は、神を試みるのが悪い。
7、自分の欲を守る
自分の欲と利益を守るため戦争へ行き人を殺す者は、何も守れない。
信者ではない人の欲望は、くじかれる。
8、かたき討ち
かたき討ちすら用意してくれないとできない洗脳された人々。
かたき討ちが禁止にされているからと言って、かたき討ちをしないから殺される。
加害者が用意する救済措置に依存するから殺される。
接種した振りをすると危険だと言ったのは、死んでも注射が原因だろうと思われて、誰もかたき討ちをしない。
そもそも、接種した振りをして他人を騙すような人間は、元からかたき討ちをしてくれる仲間が居ない。
友のために命を投げ出す者が尊い。
信者の人数そのものが30万人に1人ぐらいで少ないから、信者同士で友人になる確率はもっと少ない。
また、神が友である描写があるから、この聖書箇所の共は神の事も指している。
9、冗長
サタン側が真実を隠ぺいして願望・妄想を学問に垂れ流すから、信じられないレベルで長ったらしい文章が出来上がる。
何千万字何千億字あるのかというぐらい、まどろっこしい。
10、作品クリエイター
刺激がエスカレートしていくのは、何が原因なのだろうか。
飽きて売れなくなるというけど、なぜ、飽きるのか。
無宗教だと欲望に制限が掛からないから、エスカレートするのか。
エスカレートすると、大抵は悪魔崇拝へ行き着く。
サタン側は、それが判っているから、エスカレートさせる。
悪魔崇拝に気付かず騙されているようでは、主流にはなれない。
悪魔崇拝だと判って創作に盛り込む者に出し抜かれる。
悪行を知らないでする人と、判っていてやる人では、どちらが有利か。
創作する時に、悪魔崇拝を知る人と知らない人では、どちらが有利か。
技術だけ学んで、技術以外の聖書を学ばない創作者は、騙される。
宇宙服を出すと悪魔崇拝になる。
神道や仏教を出すと悪魔崇拝になる。
見返り無く悪魔崇拝をして地獄へ落ちる結果になる。
欧米で出世する創作者が多いのは、悪魔崇拝を避けて、売れなくて困ると、サタンがやってきて魂を売る選択肢が有るからだ。
自主的に悪魔崇拝をしている創作者に、魂を売らせて出世させる必要性など何もない。
悪魔崇拝の作品を作ると、何らかの犯罪の被害に遭うから、防犯とか防火に気を付けた方がいい。
11、とりあえず否定
サタン側がとりあえず否定から入るのは、正しい人を否定して間違った選択をするように仕向けて、間違っている人を否定してもまた間違った選択をするからだ。
正しい選択肢は神を信じる事、一つだけ。
間違った選択肢は、何万とあるから、自分で調べる能力の無い人は、とりあえず否定されて、アチコチヘ妄動しても、どこかに引っかかって騙されて、正しい選択ができない。
神を信じる事だけだ、唯一の正しい選択である。
神を信じて、自分で聖書を読んで、自分で聖書を解釈するのが正解だ。
俺の聖書解釈も含めて、他人の聖書解釈は参考程度にして、妄信せず、自分で考えよう。
自らの聖書解釈を信じるように強要する人が居たら、ニセ信者だから離れた方がいい。
12、逆恨み
神を逆恨みする人が居る。
自分が虐殺して、神を冒涜しても、無条件で助けてくれないなら神ではないという自己中な考え方をしている。
13、資本主義
真実を発信したら収益停止をされた人が居るけど、資本主義なのだから、金持ちに喧嘩を打ったら報復されるのは当たり前だ。
嫌なら、資本主義を潰すしかない。
どの政治体制だろうと、全てサタンの手下なのだから、どのディストピアを選ぶ程度の違いしかない。
独裁国家のディストピアか。
共産主義の一党独裁の寡頭制のディストピアか。
資本主義のディストピアか。
民主主義の同調圧力のディストピアか。
どの道ディストピアである。
神に立ち帰れば、どのディストピアでも暮らしていけるから、神を信じる心が神の恩恵である。どの社会でも心が穏やかに暮らしていける。
14、監視カメラ
民間企業が監視カメラでプライバシーを侵害されていると怒る人は、神が心の中まで見通している事は、どう思っているのだろうか。
俺としては、人がカメラで盗むのはダメだと思うけど。
神が全てを見通してくれるのは、安心できる。神は悪行をしないから、全て正しい事のために情報を使ってくれる。
民間企業の人間は善人だろうと他人のプライバシーを見てはいけない。行為そのものが不安感を発生させる。
そもそも、そんな商品を買うなとしか言いようがない。
15、テレビ
テレビもキャバクラみたいなものだ。
客が聞きたい話をしている時点で、テレビもキャバクラも同じだ。
規模の大小で評価を変えるようでは、思考停止になっている。
世間の多数決で評価を変えるようでは、思考停止になっている。
何でもそうだけど、本質を見破って判断する必要がある。
テレビが良いモノと思う人は、判断が他人任せ。
判断を他人任せにしているから、今回の薬害で被害に遭う。
自分が生きるか死ぬかを他人任せにしているから殺される。
16、生きるか死ぬか
誰かが「自分は生きるべきか死ぬべきか」と俺に個人的に質問して来たら、死んだ方がいいと答える。
もし、生かして置くと、凶悪犯罪をしたら、生かした俺に責任が掛かる。
神の信者として答える場合は、聖書を読めばおのずと判ると答える。
神を信じたら、真実と正義に気付いて、自殺願望を洗脳した社会はサタンの手下だと判る。
人任せにするから自殺願望に支配される。無宗教者は、生け贄社会の構成員だから、他人を殺そうとするため、自殺させようとする。
神に任せれば、心は平穏になる。
17、ポリコレ
神を信じなければ、どんな要求を他人に押し付けても、絶対に心が平安になる事はない。
言論に対して難癖を付ける政治団体は、ただの八つ当たりである。
ポリコレやLGBTは神を信じない時点で、絶対に心は平穏にならない。
天の主を信じない者は、安心感を得る事はない。
安心感を得られなくて、誰彼かまわず要求するから、迷惑である。
18、叩きたい
無責任な変な人は、安全なところから誰かを叩きたいから、加害者を叩いているだけで、被害者を助ける気なんか全くない。
被害者が出ないように防犯する気もないのだろう。
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