努力しかできない偏った悪人が天国へ入れるチャンスを与える
努力できる量は生まれ付きで決まる。
「富を築く力をあなたに与えられたのは主であり」とあるから、才能は神が与えたモノである。
才能を私物化してはいけない。
努力できる人が思いやりもなく金儲けばかりしたら、殺人強盗に遭う。
神がサタンに作らせた国家が、代わりに分配するから、殺されずに済む。
もし国家が居なかったら、努力しかしない人は殺されて淘汰された。
国家のおかげで、偏った人間でも生きていけるし、淘汰されずに繁殖できる。
エゼキエル書でも神は悪人が死ぬ事を喜ばないと書いてある。
悪人が殺されないで生き残れるようにして、神に立ち帰るチャンスを与えているのが、神の恩恵である。
国家は全てサタンが権力を与えて作る。
サタンがこういう国々を作るように、天の主が仕向ける。
勉強しかできない偏った人間は、我利勉で自分の利益しか頭にない。
努力しかできない偏った人間は、私益を70歳80歳まで考える。
俺も偏った人間なのは自覚している。性根も悪い方だ。
そういう偏った人間でも立ち帰るチャンスを与えるために、神は国をサタンに作らせたのである。
悪行ができないように、非信者同士で監視させて、罪を犯しすぎて、神に立ち帰る意気を失うような人生にならないように、国家権力で抑圧する。
努力しかできない偏った悪人が天国へ入れるチャンスを与える。
神に立ち帰る人だけが正しい人だから、神に立ち帰らないで努力だけする人間は悪人である。
努力は免罪符ではない。
正義も免罪符ではない。
聖書では、善人だろうと悪行をしたら地獄へ落ちると書いてある。
努力して勉強して正義を実行したところで、悪行をしたら地獄へ落ちる。
正しさは免罪符ではないのだから、努力・勉強が正しいとしても、努力・勉強で赦される理由にはならない。
そもそも、努力や勉強が正しいかどうかは微妙なところである。
当然、命も正しさにならないから、命を守る行動が赦される理由にはならない。
正しさは免罪符ではない。
命は免罪符ではない。
命を守る行動は免罪符ではない。
むしろ、命を守る行動は悪行だから地獄へ落ちる。
神の信者は、無駄に生きないし、無駄に死なない。
無駄に生きない。
疫病は神の天罰であり、ニセ予防薬で生き延びようとするのは、神の天罰を妙な液体で蹴散らそうとする冒涜だから地獄へ落ちる。
殉教すべき時に、死ぬのが嫌だからと言って、生きようとするのは、神に背いているから地獄へ落ちる。
無駄に死なない。
無駄に死ぬのも背教だから地獄へ落ちる。命は殉教で死ぬために使うモノだから、無駄に死ぬのは神に背いている。
ニセ予防薬の薬害は、ニセ予防薬に含まれている有害物質が原因で薬害になっているのか、天罰の疫病を蹴散らそうとした冒涜で神から更に天罰を下されたのか、区別するのが難しい。
ニセ予防薬に有害物質が入っていなくて、接種リストから電磁波攻撃で病気にしたり殺したりしているかもしれない。
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