無宗教の自白強要社会は生け贄社会 死刑反対は責任逃れ
1、自白社会
無宗教者たちは無責任社会だから、犯罪者の自白によって断罪するかどうかを決める。
昨日に書いたけど、犯行を認めたら賠償金を払う義務のある立場の人間が、どうして犯行を自白すると思っているのか。
なぜ、自白を求めるのだろうか。
それは、自分の判断で相手を断罪する責任を背負いたくない無責任だからだ。
責任を取りたくないから、相手の自白で断罪する。
日本が昔から、拷問で自白を強要するのは、自白なしで死刑にすると、冤罪だった場合は、自分で責任を取らないといけないからだ。
確信が無いと、いつまでも罪悪感にさいなまれるから、自白させて罪悪感を抱かずに済むようにする。
偽りの自白をした方が悪いという理屈で拷問して、偽りの自白をさせるのが無宗教の無責任社会である。
自白があれば、安心して死刑にする。冤罪の危険性があろうと、自白さえあれば安心して死刑にする。それが無宗教社会なのである。
天の主を信じる信者なら、自白があろうと、実際に立証できなければ死刑にしない。偽証によって死刑にすると地獄へ落ちるからだ。
自白というよりも、死刑執行書を本人にサインさせる。本人以外が自分の責任で死刑執行書にサインしない社会。
生け贄社会は、自ら生け贄になるように圧力を掛ける。
日本で、何でもかんでも自白を強要するのは、無宗教社会で生け贄社会だからだ。
政治家とかにも言葉尻を捉えて糾弾するのは、自分でロジックを構築すると責任を取らないといけないから、相手の言葉尻を捉えて責任を取らなくて済むようにする。
誰を生け贄にするのか、常に言葉尻を捉えようと互いに足を引っ張る社会である。
2、死刑
聖書で死刑が書かれている理由は、自分の責任で死刑を執行しろという意味だろう。
無宗教の無責任社会では、絶対に出来ない事だ。
聖書では、2人3人の証人の証言で死刑を執行する。
証人は常に覚悟を持って生きる必要がある。
神に立ち帰っている人間なら出来る。
無宗教社会だと、被害者や遺族が自分の責任で死刑を執行できないし、冤罪だったらどう責任を取るのかと言われたら、何もできなくなる。
無宗教社会は、他人の命に対して責任感を持っていないから、大臣に死刑をやらせる。
死刑を禁止にする宗教は、どの道、自分たちが死刑を執行しない立場だから、言いたい放題の無責任になるのか。
死刑禁止は、優しいのではなくて、単に無責任なだけ。
責任感があるのは、天の主に立ち帰った信者だけ。
無宗教者が責任感を持つなんて、理論的に有り得ない。
無宗教者が責任感があるように見えるのは、演技しているだけ。
だいたい、死刑の証言が必要な場面に遭遇するなんて、人生に一度あるかないかだから、一般人はそこまで考える必要性もない。
そのカルトの幹部だと確実に死刑の案件が上がってくるから、死刑の判断の責任を背負わされるため、とりあえず責任回避のために死刑反対を言う
死刑は反対しておけば、死刑の判断や責任を回避できる。
反対を判断しなくていい口実に利用している無責任社会。
だが、賛成しようが反対しようが、責任を背負わなければいけない。
死刑反対しておけば、冤罪で死刑にする危険もないから責任を背負わなくていいと思っているだろう。
しかし、死刑の反対によって、死刑にならないから犯罪をするような人間が出ると、その分の責任を取らないといけない。
だからといって、死刑に賛成したら、どうせ死刑だからもっと犯罪をしようとなったら、その分の責任を取らないといけない。
無理やり言わせたり、誘導したり、同調圧力、空気読めとか、そういうので他人の言葉を捻じ曲げて、個人を生け贄にして社会を丸く収めようとするのが無宗教者の無責任社会である。
3、言い訳
犯罪者は次のような言い訳をする。
「犯罪していない」
「自分は悪くない」
「法律を知らなかった」
「自分より悪い奴が居る」
知らないが通用するなら、犯罪者は法律を知っていても知らない振りをするから、知らないという言い訳は通用させない。
4、性根
他人の性根が腐っていると言う人が存在する。
人間の性根が腐っているのではなくて、無宗教者の性根が問題である。
5、心
無責任なのは、心が読めないのを前提にしているからだ。
だから、無宗教者は無責任になる。
天の主は心を読めるから、信者は無責任な態度にならない。
神に心の中を見られていると判っているから、無責任な態度はできない。
天の主は人間の脳の誤作動も含めて心を読み切れる。
6、システム
不可能な事を可能だという前提でシステムを作ると必ず失敗する。
7、当てにならない
父親が逃げる家庭は、親戚が無責任だらけで、逃げたくなるのだろう。
残された子供を親戚は引き取らない、押し付ける、子供に責任を背負わせようとする。
大事な時には当てにならないのに、シワ寄せだけはするから、居ない方がマシな親族である。
聖書で家族を捨てろと書いているのだから、当然、親戚も捨てる。
8、安易
今回の疫病注射の実行犯を死刑にすれば、殺戮が二度と発生しないと思っているなら、安易である。
サタン側は別の手口を使うだけか、組織を別のモノにすり替えて、同じやり方をする。
9、月
フラットアースは月があるから、月へ行く事は可能である。
宇宙へ行ったと言わなくて、月へ行ったと言えばウソは吐いていないから、ウソ発見器でも見破れない。だって嘘は吐いていないから。
月は高度10キロメートルから40キロメートルぐらいを上下しているから、ちょっと改造した飛行機や小型ロケットで行ける。
質問者「(銀河宇宙の)月へ行きましたか?」
飛行士「(フラットアースの)月へ行きました」
10、データ弄り
2回接種を未接種にするぐらいなのだから、昔のパンデミックの病死者も、どうせ捏造だろう。
11、被害に遭う
なぜ、被害に遭うのか。
それは、自己中だからだ。
自己中だと、仲間や友達が少ないと判断されるから、攻撃しても反撃される危険性が低いから加害する。
誰かが代わりに復讐してくれる人間ではないと思われているから、被害に遭う。
被害者だからと言って、何でもかんでも要求が通ると思っている自己中だと、やっぱり被害に遭いやすい。
聖書では、被害者を助けろとは書いてない。
虐げられた者を助けろとは書いてあるかもしれないけど。
被害者と虐げられた者は、少し意味が違うと思う。
被害者は今はすでに被害に遭っていないけど、虐げられた者は現在進行形で被害に遭っていると思う。
被害者は強者も含まれているけど、虐げられた者は弱者だけだと思う。
強者でも空き巣とかの被害に遭う事はある。
俺は個人的には、被害者を助けたいなら助ければいいと思う。でも、被害者の自己中な部分まで全肯定する気はない。被害者だからと言って何でもかんでも肯定してはいけない。
自分が相手を虐待してはならないと書いてあるけど、被害者を助けろとは書いてないし、被害者を全肯定しろとは書いてないし、被害者を信用しろとも書いてない。
貧しい者を助ければ、被害者の救済は可能である。
12、アート
アートは、貯蓄や投資だから、流行らないのは当たり前である。
茶器のようなもので、高価にしようと思えば、いくらでも高価にできる。
一応、アートに何らかの意味合いとかは乗せる事はできるけど、意味合いを乗せるのは別にアートでなくても何とかなる。
13、賛否
国家主義者は、反論のしようがない事ばかり議題に挙げて人気取りをするから、信用に値しない。
賛否両論の有る議論をして、ようやくスタートラインに立てる。
大勢に反発される事を言って一人前だ。
死刑制度もそうだけど、反論されない言い方をするようなのは信用に値しない。
14、読んでないけど
カトリックを退屈とか言っている離脱信者が居るけど、何でカトリックが偽装キリスト教のサタンの手先だと思わないのだろうか。
聖書を読んでないからカトリックがサタンの手先だと判らないのである。
読んでないけど詰まらないと言い出す。
漫画とかでも、読んでないけど詰まらないとか言う奴が居るだろう。
読んでないのに詰まらないと言い出す奴は、読んでないから詰まらない。
まあ、読んだ結果として、カトリック・プロテスタント・ギリシャ正教などがサタンの手先だと判ったから離れたのかもしれないけど。
15、チーム名
悪魔崇拝のチーム名なんか付けているから、麻薬とか犯罪が蔓延する。
むしろ、そういうチーム名を付けるところはターゲットだと知らせているのかもしれない。
詐欺師が家の表札にバツ印とか△を付けて、騙しやすい事を知らせるようなモノだ。
だから、悪魔崇拝のチーム名や学校名やチャンネル名などが書かれているところへ入らない方がいい。
麻薬などの餌食にされる。
竜とか巨人とか、架空の魔獣・神獣・聖獣などが入っているなら、悪魔崇拝をやっているだろうから、犯罪の餌食にされる。
このリストに書かれている事は、近づかない方がいい。
俺が気付いていない悪魔崇拝もあるだろうから、自分で何が悪魔崇拝か調べてから、入学先を考えた方がいい。
16、奪い合い
そもそも、自分のモノでは無い。
闇の勢力の搾取に怒る人が居るけど、そもそも、この世で自分の私物など存在しない。
全て神から与えられたモノだから、奪われても喜んで奪わせればいいと聖書に書いているのだろう。
復讐は神がする。天の主は復讐の神である。
人間の手で死刑にしても、精々、数秒が苦しいだけだ。神に地獄へ落としてもらえば、千年に渡って焼いて、魂を消滅して、復讐してくれる。
復讐心を煽るのは、サタン側の策略である。
発信者で復讐心を煽る人間は、サタンの手先である。