自分の言動は自分に返ってくる 因果を理解できない人
1、自分の言動は自分に返ってくる
権力者の誤魔化し人生がそれなりに通用するのは、大衆自身が誤魔化し人生をしているから、大衆が権力者のごまかしを黙認しているだけ。
権力者の誤魔化しが度を超えたら、大衆はそこまで度を越した誤魔化し人生ではないから、袋叩きをするようになる。
大衆自身が神に対して罪を犯したのを誤魔化して、知らん振りしている。
だから、大衆は他人や権力者の誤魔化しをそれなりに黙認する。
もし、大衆が権力者の「一ミリの誤魔化し」すら許さない態度だと、大衆自身の背神の誤魔化しも追及されるから、追及されたくない大衆は誤魔化しに対してナアナアで終わらせる傾向がある。
大衆の誤魔化しを追及できないほどの悪行をした人間に対しては、背信者の大衆は何の不安もなく袋叩きにする。
他人からシワ寄せされたくないなら、自分が他人にシワ寄せしない事だ。
誤魔化されたくないなら、自分も誤魔化さない事だ。
自分の言動は自分に返ってくる。
神に対して悪い思いを抱くと天罰が下る。
非信者は、判りやすい悪人を叩く。
非信者は、反撃できないほどの悪行を犯した悪人を叩く。
非信者は、自分以外を犯人にできるなら何でもいい。
反論できない相手を叩く。
移民とか娼婦など、反撃できない人間を叩く。
臆病者だから、反撃されると何もできない。
神は臆病者を嫌う。
神の信者なら、相手が強かろうが弱かろうが悪ければ糾弾する。
例え、相手が強くて、迫害や冤罪で死刑にされようとも、強者の悪行を叩く。イエス・キリストも、迫害や冤罪で死刑にされても逃げも隠れもしなかった。
非信者は、自分が神に背いた罪がある。
その罪を自己欺瞞で誤魔化す。神が存在しないとか、赦してくれているとか、誤魔化す。
自分の罪に向き合う勇気をもって、誤魔化すのをやめれば、他人に誤魔化されなくなるし、他人からシワ寄せを受ける事も無くなる。
自己欺瞞の誤魔化しをやめないと、自分に返ってくる。
臆病なままだと、安易な選択肢に飛び付いて失敗する。
選択肢を与えられて選んで駆け引きをしたつもりかもしれないけど、サタン側からしてみれば、与えた選択肢のどれを選んでも地獄へ道連れできるように作ってある。
非信者に自由はない。自由は神の信者にだけある。
自分の力で手に入れたモノにしか価値がないと思っている事そのものがサタン側の洗脳である。
神から与えられるモノに価値があるのが真実である。
2、因果を理解できない人
政治家になって改革とか言う人が存在するけど、意味がない。
他人に頼らないといけないほど生活に困っている人は居ない。
人生に困っている事はあっても生活に困っている人は居ない。
俺は食うに困るぐらい生活に困っていたけど。
聖書で貧者と言ったら、ラザロのように、食べ物を買う金が無い、服を買う金が無い、家を借りる金が無い、医療費を払う金が無い、犬から守ってくれる友人が居ない、とかそういうレベルだろう。
そもそも、社会を良くするか悪くするかは、サタン側の都合なのだから、政治家が努力しても何も変わらない。
金持ちにした方が傲慢になって神に背く大衆なら、サタン側は先進国に仕立て上げて傲慢にさせる。
サタン側の目的は地獄へ道連れにする事だから、金持ちにした方が道連れにできるなら金持ちにする。
豊かな生活ができるから悪魔に支配されていないとか言っている人は、考え方が安直だから、いつまで経っても成功できないのである。
因果を理解できないから成功できない。
因果を理解できないから、新しい政治家で改革という無意味な選択をする。
神に立ち帰れば、神がいい感じで良い社会を作ってくれる。
信者にとって暮らしていける社会にしてくれる。
サタン側は、信者を殺すと神が怒って最後の裁きを前倒しにしてきて、地獄へ落とされて永遠に焼かれるか魂を消されるから、信者が死なないシステムを作るようになる。