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芸術 脳チップの自覚と人間の定義 給料未払 薬害は普段の行いが悪い 偽知恵の実

1、芸術
芸術は世間を破壊するから基本的に自己中である。
世間を破壊して自己中ではないというのはない。
芸術が良い悪いではない。
世間が良い悪いではない。
世間も世間で自己中である。
芸術と世間は勢力争いをしているようなモノ。

ただし、神の教えは絶対に正しいから、世間を破壊するのは当然の義務である。神の教えは、芸術と世間の両方を凌駕しているから、神の教えは両方よりも正しい。

2、脳チップと思考ついて
サタン側は、脳チップで洗脳して地獄へ道連れにするのが目的だ。
そのため、神の掟(律法)に違反するように洗脳する。
人間の法律に違反させないと思う。
なぜなら、サタン側は権力者側だから、権力者側の用意する法律に違反するように洗脳はしない。
ただし、犯罪をやらせて弱みを握って支配する場合もある。
主目的は、脳チップで地獄へ落ちる価値観を洗脳する事だろう。
今でも、マスコミなどを使って、地獄へ落ちる背教行為を誘惑しても逮捕される事はない。

ズレた批判は擁護と同じである。
脳チップで法律違反をするように洗脳されると言っている人間は、ズレた批判をしているから、擁護しているのと同じだ。
脳チップで搾取はするだろうけど、主目的ではない。なんなら、搾取しないで、地獄へ道連れにする洗脳だけに専念するかもしれない。
法律違反をするように洗脳されるという恐怖心を植え付けられていると「実際は法律違反するようには洗脳しないから安心して脳チップを受け入れる」という誘導の仕方で罠にハメようと、サタン側が企む。

信者にとって人間の定義は、自力で神に立ち帰る能力があるかどうかである。
しかし、発達障害や知的障害は人間だけど自力で神に立ち帰れないタイプは、無条件で天国へ入れる。
健常者が脳チップによって自力で神に立ち帰れなくなったら、人間ではなくなるため、脳チップ存在を殺しても殺人罪には問われない。

非信者は、人間の定義ができない。
非信者は、一人一人で勝手に人間の定義をでっち上げるから、人間の定義ができない。
非信者は、人間の定義を自分に好都合に捻じ曲げるために、常に利権争いをするから、人間の定義が全く安定しない。
信者なら、聖書に基づいて人間の定義を考えるから、定義が安定する。
しかし、偽装キリスト教団が惑わしてくるから、偽装キリスト教団の話を信じてはいけない。

人間の定義を「考える葦」「道具を作る」「遊ぶ」「象徴する」とするのも、タダの利権争いである。
考えたり道具を作る能力の無い知的障碍者は人間ではないのかと。
なぜ、権力者側が考えた定義を妄信するのか。
学校や大学などの学術機関は、サタン側の支配下なのだから、サタン側に好都合な価値観を人々に洗脳するに決まっている。
ファリサイ派みたいに、他人にはファリサイ派が考えた掟を守れと言うけど、自分たちは守らない。
学術機関に限らず、それなりに大きい何らかの権力や影響力を持っている組織や個人は、サタン側の支配下である。ルカ福音書4章6節に書いてある。

脳チップで法律違反をしない洗脳をされると思う。
ただし、法律違反させて弱みを握る場合もある。
しかし、背教の律法違反は絶対にやらせる。

脳チップで悪魔崇拝を洗脳される。
制度には従うけど、悪魔崇拝の制度には従わない。
ダニエル書の3人のように殉教を選ぶ。

重要な本題は思考の定義。
脳チップで立ち帰る能力を失っても、自覚できるだろうか。
何らかの思考ができなくなっても、自覚できるだろうか。
気になるのは、特定の思考ができなくなっても自覚できるかどうか。
気になるのは、神に立ち帰る思考ができなくなっても自覚できるか。
思考の定義がイマイチ判らないから、特定の思考ができなくなっても、思考が定義されていないため、思考できなくなっても自覚できないだろう。

強制的に脳チップを埋め込められたら、神はその人が神に逆らっても赦して天国へ入れてくる。
自主的に脳チップを埋め込むと、神は怒ってその人を地獄へ落とす。
だから、知らない間に脳チップを埋め込められる危険性はない。
サタンの目的は人々を地獄へ道連れにする事だから、道連れにできない脳チップの強制はしない。

3、給料の踏み倒し
前に書いたかもしれないけど、賃金の踏み倒しは、家を買えない、結婚できない、子供を3人ほど養えない、という給料なら踏み倒しになる。
賃金の踏み倒しをする経営者は地獄へ落ちる。
人間の勝手な法律で低賃金を決めても、そんなモノは神は却下する。
サタン側は、神の律法に違反させるのが目的であって、法律違反をさせるのは目的ではない。
低賃金は、人間の法律では合法でも、神の掟では違法である。

そもそも最低賃金は、経営者側が心置きなく賃金を下げられるようにするための法律である。
法律を守っているから悪くないと言い訳するためのモノだ。

4、毒親
相手をメンヘラにする発信者。
恋人と別れても相手が最初からメンヘラだったと、ネガティブキャンペーンに余念がないような人間に付きまとわれたらメンヘラになる。

その発信者の毒親は職業差別をする。
奢って貰いたい価値観を娼婦の考えと決め付ける職業差別をする。
娼婦でなくても奢って貰いたい人は居る。
娼婦には、奢ってほしくない人も居る。
娼婦でない人は見栄で奢られたくないと言っている危険性がある。
娼婦はジョブロールで奢られたいと言っている危険性がある。
奢られたい価値観と娼婦の職業には何の因果関係もない。
奢られたい価値観だから娼婦になるのか。
娼婦になると奢られたい価値観が染み付くのか。
卵が先か鶏が先か因果関係が判らない。
それとも、元々、人間は全員が奢られたい価値観を持っていて、何らかの要因で奢られたい価値観を隠ぺいしているのか。プライドとかの要因か。
それとも、人間は奢られたい価値観はなくて、何らかの要因で奢られたいと思うようになるのか。

因果関係をまともに考えられないようでは、大学で何を学んだのか。
主観や多数決は聞いてない。因果関係はあるのかと聞いている。何か学術的な研究結果があるのか。
学術機関はサタンの支配下だけど、自己中な個人の保身による思い込みよりはマシである。
サタン側の必要性は、こういう自己中な個人の暴走で信者が死なないようにするためである。
高学歴を名乗っておきながら主観でモノを言うのは困る。
主観でモノを言うなとは言っていない。
主観でモノを言う時は主観だと明言しなければならない。

学校の勉強はできても人生の勉強はできない。
学校の勉強は教える事はできる。
人生の勉強は教える時に、相手の人格を全否定する必要がある。
そのため、人格否定されると逆上するようでは、人生の勉強を学ぶ事はできない。

中途半端に才能があると、人生の勉強をしなくても、それなりに成功できるから、失敗で自分を改めるチャンスが少なくなる。
中途半端な人間ほどダメになる典型的なパターンである。
中途半端に恵まれると救われない。
徹底的に天才か、徹底的に落ちぶれるか、この両者は、助かる可能性が高くなる。
俺は、知能は面積で悪くなり、虚弱体質で、毒親が原因で精神を病んで、就職難だから、徹底的に没落した方だ。

子供の邪魔をする毒親に反抗しないと、その代償行為・置き換えで神に反抗するようになる。

5、普段の行いが悪い
人間は、普段の言動を緊急事態でもやる。
普段から自分以外の命の事を何も考えていないから薬害に遭う。
自分の命も考えていないから薬害に遭う。
普段から考えていない事は緊急事態でも考えられない。
練習でもできない事は試合でもできない。

ちなみに俺は動物愛護で動物の命について考えていたから、緊急事態で自分の命について考える事ができた。
動物愛護を遣わしてくれた神に感謝している。
神はファラオの心をかたくなにするように、人の心を操れる。
動物愛護をするように人々の心を操ってくれた。

日本以外の先進国で薬害の接種率が低いのは、家畜の権利を考えているからだろう。

日本人の場合は、他人の命を考えているのではなくて、命を考えている振りをしないと袋叩きにされるから、命に配慮する演技をして、世間に迎合しているだけである。
世間に迎合しているだけだから、薬害の時も世間に迎合して接種してしまう。
普段からやっている事を緊急事態でもやってしまう。

「自分の心に従えば薬害に遭わなかったのに」と嘆いている人が居るけど、普段から自分の欲望(心)を優先しているから、薬害の時も自分の欲望(心)を優先してしまって接種してしまったのである。
何も反省していないのが丸判りだ。
普段から自分の欲望を優先するから、緊急事態でも自分の欲望を優先してしまった。

妙な液体の予防接種で薬害に遭って体が弱っているのだから、変なモノを飲み食いしていると死ぬ。だから、ちゃんとした安全な食べ物にした方がいい。

6、結婚
聖書で父親が結婚相手を決めるのは、アダムとエヴァが無責任で責任転嫁をするからだ。
妻と夫が無責任でも大丈夫なように、父親同士で責任を持って結婚相手を決める。
もし、夫か妻の片方が無責任な場合は、責任感のある方が全権を握れるシステムにしている。善悪の知識の木の実を食べたのが片方だけだったら、食べなかった方に全権を握らせる。
もしくは、食べた事を反省した方に全権を握らせる。

多分、神は、食べてはいけないと命令した「善悪の知識の木の実」を食べないよりも、食べて反省する人が欲しいのだと思う。
罪を犯さない人は居ないと神は言っているから、悪行をしない人よりも、悪行をしたら反省する人が欲しいのだろう。

善悪の知識の木の実を食べた割には、全く責任感ができていないから、本当にその木の実は善悪の知識の木の実だったのだろうか。
エヴァとアダムは、全く善悪の知識が付いていない。

創世記 2章17節 新共同訳
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
創世記 3章5節 新共同訳
それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

もしかしたら、それは善悪の知識の木ではなくて、サタンが捏造した偽物ではないのか。
サタンが「それを食べると」と言っているから、本当に善悪の知識の木の実だったのか怪しいものだ。サタンが「それ」と指しただけで、
偽物でも、実際に神の命令に違反したのは確かだから、神は怒る。

善し悪しを全く理解しないで、責任転嫁しているから、本当に善悪の知識の木の実だったのか確証がない。
本物の木だったかどうかは、神の次の言葉で考える必要がある。

創世記 3章11節 新共同訳
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
創世記 3章17節 新共同訳
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
創世記 3章22節 新共同訳
主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

神がこう言っているから、善悪の知識の木の実である事は確実だ。
木の実が本物だとすると、善悪の知識とは、何か別の意味があるのではないだろうか。
善し悪しが判っても、実行できるかどうかは別なのだろう。
善悪の知識が身に付いても、実行するかどうかは性根の問題なのだろう。

昨日のルーツすり替えも、悪いとは判っているけど、自分が悪いと認めたくないから、隠ぺいして、糾弾されると意固地になって逆上する。
俺の毒親も、毒親の犯罪隠ぺいを糾弾したら、逆上してきて絶縁宣言してくる。
知識と性根は別だと神は言っているのだろう。
そうなると、性根を良くするのが、命の木の実を食べられる天国へ入れるのだろう。

知識がある人を性根もいいと思いがちだけど、実際は何の関係もない。
むしろ、知識が付くと性根が悪くなる印象はある。
エヴァとアダムも、知識がなかったから、神の命令通りに善悪の知識の木の実を食べなかったのだろう。
しかし、蛇に唆されて悪知恵が付いたから、善悪の知識の木の実を食べた。

知識のある人が性根もいいと思いがちなのは、知識のある人しか発信できない環境だから、知識のある人たちが暗黙の了解で「知識人=善人」という思考回路を人々に洗脳している。
そもそも、善人なら情報の洪水で人々を溺れさせる真似はしない。
善人なら、黙って自分の知識を人々の役に立つように活用する。

俺は神にエゼキエル33章で「警告しなさい」と命令されたから、警告情報を大量に書いているだけ。
神に命令されなければ見殺しにしている。

7、利権争い
そもそもテレビ局が悪くても、テレビを批判する告発者が悪くない理由にならない。
他人の悪行は自分の悪行が赦される根拠にならない。
行政機関に対して裁判で勝ったからといって、勝訴した方が正義にはならないし、勝訴した方に罪がない根拠にならない。
裁判で勝てばいいと思い違いをしている人は、周りの悪人に人生を食い潰される。
行政とマスコミはサタン側の手下なのだから、庇うのは当たり前である。

総務省が報道の許可を出しているのだから、テレビ局やマスコミが権力者の側なのは当たり前である。
マスコミが正義と思っている時点でピュア過ぎてどうしようもない。
マスコミはタダの既得権益側である。
マスコミを悪く言うのは俺も同じだけど、既得権益側だと判った上で批判している。
マスコミは正義なのに悪行をしていると思って批判するのでは、少しずれた批判になる。
マスコミは既得権益者だから、保身で自己中に権力を私物化する。
マスコミは報道を私物化していない演技をしているだけ。

どうやってその「演技やポーズから乖離した言動を懲罰するか」という揚げ足取りをして、悪行をやらせないか、という方法論でしかない。
自分が正義と思い込んでいると鼻に付く。

裁判所もサタン側の支配下だから、妄信するのは危険である。
ただ、誰がより害悪なのか、という違いはある。
訴訟乱発者、裁判所、マスコミ、行政、エセ人権団体、などが色々と動いたり、サタン側が動かしたりして、人々を惑わすから、気を付けなければならない。
権力者同士、有力者同士、影響力を持つ者同士、非信者同士の争いは、基本的にタダの利権争いである。
正義を気取っているだけだから、惑わされてはいけない。
戦争などのうわさはあるけど、惑わされてはならない。

マタイによる福音書 24:6 (新共同訳)
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
マルコによる福音書 13:7 (新共同訳)
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
ルカによる福音書 21:9 (新共同訳)
戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」

マタイによる福音書 24:5 (新共同訳)
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
ルカによる福音書 21:8 (新共同訳)
イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。

マタイによる福音書 24:7 (新共同訳)
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
ルカによる福音書 21:10 (新共同訳)
そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。

正義は天の主だけのモノだから、非信者の正義は神を偽装する偽メシアである。

8、独立した悪人
個人の悪人がやりたい放題すると、神の信者を殺す危険性がある。
神の信者が居なくなると、ソドムとゴモラのようにこの世が滅ぼされる。
聖書で誰が滅ぼすように叫んだのか、滅びなかった世界線の信者が願ったと予想はした。
ロトは、むしろ滅ぼさないように願った方だ。

それで、野生の悪人が信者を殺さないようにシステムを作って、サタン側が野生の悪人を取り締まるのである。
サタン側が省庁・マスコミ・学校・警察・裁判所などを作って、野生の悪人が信者を殺さないように抑制する。
サタン側が飼育された悪人だとしたら、個人の自己中な奴らは野生の悪人である。
「管理された悪人」と「管理されない悪人」と言った方がいいかな。
サタン側の非信者と、独立した非信者。
サタン側の悪人と、独立した悪人。

9、世論とホームレス
昨日、書いた、世論に従わない難しさについて追加。
世論を蹴散らす難易度は、時代・国・人によって違う。
国王とホームレスでは、難易度は同じ。
むしろ、ホームレスは、世論を蹴散らした結果がホームレスになった。
国王が世論を蹴散らすとクーデターを起こされるから、むしろ権力者ほど世論に迎合する。

貧乏人のホームレスを援助しなさいと神が言うのは、天国へ入るための先輩だから敬えという意味だろう。
貧乏人は神の国に近いから先輩なのだろう。
ホームレスは世論に従わなかったから、世を愛してはならないと聖書に書いた神の言葉を知らないで守った先輩なのだろう。
神の教えを知らなくても、神の教えを守ったら、天国へ近くなる。
貧者ラザロも、神の信者だという描写がなくても、無条件で天国へ入った。

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