
無力感と自因自果
自分の子が勉強ができない事実を受け入れるって難しくないだろうか?
育児って自分がどんなに努力してもどうにもならないことがあると思い知らされる。
発達障害を学び始めたとき、その子の特性は治らないと知って愕然とした。
受け入れるということは、諦めろと言われているのと同じなんだと。すごくショックだった。
1回言ってダメなら10回言う。10回でダメなら20回でも30回でもわかるまで教えていこうと思っていた。点数の悪いテストは、自分が罰せられているような気がした。
しつこく言うのは『この子のため』と言いつつ、本当は自己満足だったと気づかなかったし、気づきたくなかった。
できない悲しみや苦しみに寄り添ってあげなくてはいけないのに、報われない思いを子供にぶつけてしまいそうになる自分がこわい。
子どもは苦しい思いを私にぶつけてきているだけなのに、うまく受け流してあげることができない。頭ではわかっているのに責めてしまいそうになる。
やればできる子と信じたい気持ちがそうさせてしまう。私は毒親だと思う。
言い合いにならないように、辛くなると他の部屋へ行ったり、時には外へ駆け出して距離をとりたい時がある。そんな時は必ず追いかけてくるのだ。
小学生の頃お兄とは夜の田んぼ道をよく走った。最近次男とも走る事が増えてきた。やっぱりやることは似ているんだな。
次男のしつこさにげんなりしながらも、まだ追いかけてくれる幼さがかわいいものだと思ったりする。私もいい加減変われよ!! って話だ。
お世話になっている次男の医師に
「負けてあげればいいじゃん」
と言われた。
戦ってはいけないのだ。そう。その通り。
正しくなくても多少目をつむって私が大人にならなくてどうするんだ。
いい子いい人を頑張ってきた生き方はなかなか変えられないのだけど、『まあいっか』が必要なのだ。一番大事な人たちに一番厳しく接するのは嫌だ。
仏教の教えの中に自因自果というものがある。
起こった全ての原因は自分にあるという教えだそうだ。
お兄がADHDなのも、ホストになってしまったのも、長女がダウン症で、産まれた翌日空へ帰ってしまったのも、次男がアトピーでASD(たぶん)なのも自分に原因がある。かあ。
きついなあ。。。
最近どこでも泣いてしまいそうだし、感情の振れ幅で胸が痛い。食いしばった歯はしょっちゅう欠けてしまう。
でも口に出すと悲劇のヒロインぶってると言われてしまうから、ここに置いていく。
住むところがあってご飯が食べられる事に感謝してなんとか生きていかなきゃね。