「疲労」なんてもんじゃない
元日に起きた地震以降、連日被災地の様子が報道されています。
未だに被害の全容が把握出来ない状況に、その被害の広汎さや把握の難しさを感じています。
ここ最近はメジャーなマスコミでも「共感疲労」というコトバがぽつぽつ出て来るようになり、その処置や予防についても報じられるようになりました。
それは良いことなのですが、私は以前からこの「共感疲労」というコトバには違和感を覚えています。
「疲労」というと何だかリ〇Dとかユ〇ケルを飲めば大丈夫、とか美味しいモノを食べれば、とか一晩寝れば…みたいなイメージを与えてしまわないかな、と。
実際はそんな生易しいモノでは無く、被害映像や避難所の様子、家族や友人・知人を亡くされた方々のインタビューなどを観るたびにココロがつらくなってしまい、うつ状態になってしまう方もいれば不安障害等、ココロの病を発症してしまう方もいます。
東日本大震災の時は、現地で取材をしていた局アナもその後、うつ病になったという事例がありました。
現地でその現実を見聞きするのも、それを報じる映像を観るのもそれほど大きな差はなく、要はその人の感受性や生き方からそうなってしまうという事があります。
だから決して「疲労」などというコトバでまとめて良いモノでは無く、むしろ「共感うつ」とか「共感性障害」くらいの言い方をしても大げさではないと思うくらいです。
まだしばらくこの報道は続くことが予想されますので、その映像等を観てココロが苦しくなってしまう方はひとまずそれら情報から離れること、SNS等も同じでそういった情報から離れることがその予防につながります。
また自分自身のふがいなさとか、何も出来ないとか自責をしてしまう方は現状、出来ることは限られているためひとまず出来ることをしましょう。
義援金を送るも良し、支援物資を送る企業や団体を探してそこに物資を提供するも良し、今は自分の健康を第一に考え、やがて現地で一般のボランティアを必要とするようになった際は、現地に赴いて活動をするも良し。
今は出来ることが限られていても、それは現地でのニーズがまだないだけでやがて「あなたの手」が必要とされるようになります。
だからその日が来るまで自分が元気で過ごすことこそが、被災地や被災者の皆さんのためになる。
そんな風に考えるようにして下さい。