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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[162]第7章 鉄剣作りに挑む
安達智彦 著
【この章の主な登場人物】
ナオト ∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙ 紀元前の匈奴で鉄作りに取り組むヒダカの青年
エレグゼン ∙∙∙∙ ナオトを助けて鉄作りを目指す匈奴の若者。メナヒムの甥
メナヒム ∙∙∙∙∙∙∙∙∙ 匈奴の左賢王を護る守備隊長。ナオトに鉄作りを指示した
イシク ∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙ トゥバからニンシャ人の職人たちを率いてきて鉄を焼く親方
バハルーシュ ∙∙∙∙ イシク親方が連れてきた研ぎを専門にするニンシャ人の職人
「第7章 鉄剣作りに挑む」のあらすじ
モンゴル高原の東端の牧地まで無事に辿り着いたナオトは、早速、エレグゼンの助けを得て、その目で見てきたやり方に創意を交えて鉄を焼いた。
鉄のようなものは確かにできた。しかし、それを叩いて鋼にしようと試みても、いつも手元に置いているフヨの鋼の小刀のような形にはならなかった。それに、何といっても十分な道具類がない。
ならばと、メナヒムと相談して、トゥバにいる物作りが得意なニンシャ人の集団を匈奴に招こうとなった。
もといた西のペルシャからはるばる漢の黄河上流のニンシャまで移ってきて、しかしその後、強まる漢帝の支配を嫌って北の地に逃がれた人たちだった。それは、かつてメナヒムが属していた、自らをアブラムの子と呼ぶイスラエル人の集団だった。
トゥバから招かれてやって来たニンシャの職人は十数人に及ぶ。それぞれの持ち場で、タタールの技というテュルク人の間に昔から伝わるやり方で砂鉄を焼き、鋼を鍛えている。
もとはと言えば自らの手で構えを作ったその窯場で、ナオトは、ニンシャの職人たちを束ねるイシク親方を手伝いながら、鉄作りを自らのものとしていく。 【以上、第7章のあらすじ】
第7章 鉄剣作りに挑む
第1節 砂鉄を焼く
[162] ■1話 一からはじめる 【BC91年7月】
ハミルを出てからの沙漠を渉る馬上で、ナオトの心の中はすっかり空っぽになった。
――いまなら、なんでも一からはじめられる。
しかし、牧地に戻った後の頭の中はというと、鉄作りのことでいっぱいだった。そしてここ数日、何もせずに過ごした。
――いつまでもこうしてはいられない。まずやれることをやってみよう。とりあえず道具を揃えて、手元にある材料を使って砂鉄を焼く……。
トゥバの二つの小屋で見たのと同じやり方で鉄と鋼を作ってみようと決めた。
そこでまず、水場にしている小川まで下りて、水草を抜き、根元の黒い砂を竹筒に集めた。
――カケルたちと岩木山の麓まで行ったとき、水草の根に付いた黒い砂を見た。案内の爺は砂鉄だと言っていた。ならば、もしかしてこの川の水草の根元の黒い砂も砂鉄ではないか……、
と、バイガル湖に丁零を訪ねたときから気になっていたものだ。
腰を屈め、岸辺の泥を踏みながら竹筒に集めた砂鉄が、ゲルの脇に広げた笹葉の上に干してある。風で飛ばされないようにといくつも石を置いている。
――どれほど要るのかわからない……、
と思い、二日掛かりで小川を下って行って多めに採っために、肘までの長さの竹筒三十本ほどになった。
次に、ハミルで求めたフイゴをいじって使い方を確かめた。やはり、ヒダカで作ったものと同じ仕組みだった。
トゥバの産だと市で聞いたそのフイゴは、厚い板とトナカイの革、別の何かの厚革と鋲でできている。
厚い板を二枚に切り分けて、重ね合わせた二枚の断面に当てた厚革を鉄の鋲をぐるりと打って繋いでいる。下になる一枚の端には丸く小さな溝を切り、厚革にも穴を開けて、そこに何かの金属製の小筒を嵌め込んで風が吹き出るようにしてある。これをトナカイの薄革で包んで袋のようにするため、厚板の周りに鋲を並べて打っている。厚革から突き出た小筒の周囲には鋲がこれでもかというように何本も打ってあるので、ナオトは思わず笑ってしまった。
――初めの頃はここが破れて苦労したんだろうな……。
下板の広い面の真ん中に足の親指ほどの大きさの丸い穴が開いていて、内側から革で塞いである。中が見えないので下板の鋲をいくつか外して袋の中を覗くと、四角に切った厚い革を穴にかぶせて釘で留めてあるのが見えた。
二枚の板を開け閉じするときには二枚を繋ぐ厚い革が折れ曲がる。上の板を持ち上げると、内にある四角い革切れがわずかに持ち上がって風が入り、逆に、閉じると四角の革が穴に押し付けられて風の通りを遮り、風は袋から突き出た小筒の先から外へと押し出される。
覗いた内側に、拳ほどの長さの筋が何本か見えている。エレグゼンがラクダの腱だと教えてくれた。曲げた両端を二枚の板の真ん中に釘で留めてあり、閉じると、挟まれた腱が跳ね返って伸びようとしてフイゴの開け閉じを助ける。二枚が広がりすぎないようにと、手元の握り手に幅広の革を帯のように回してある。
――うまくできている。吾れが麻布と竹の板で作ったのと同じ仕組みだが、あれよりもずっといい。布袋を竹で挟んで留める代わりに、厚い木の板の脇に鋲を何個も打ち付けて革を袋にしているところが違う。これならすぐには破れないだろうな。それに、二枚の板を閉じると弾き返す曲げた黒竹の働きを、このフイゴではラクダの腱にさせている。手に入る材料が、何から何まで違うのだ……。
仕組みがわかったので、二枚の板の握りを割った太竹で補って幅広にし、足で踏むことができるように変えた。同じ仕組みでもっと大きなものをと、あと二つ、ハミルから運んで来たスギの板と鋲、それにヒツジの革を組み合わせて作った。
他にも、鎚や鉄ばさみなどのすぐにも使いそうな細々とした道具、とした道具を、「確か、こうやって使っていたな」と旅の間に見たことを思い出しながら、ゲルに敷いた叩き布の上に並べていった。
こうして備えを終えてエレグゼンに考えを話すと、「では、やってみるか」とすぐに応えた。まるで、ナオトが言い出すのをずっと待っていたかのようだった。
次の朝早くに牧場で待ち合わせた。古い叩き布で巻いて革紐で結わえた道具類と六本の竹筒とをエレグゼンのヘーベに入れて馬の背に掛け、前の年の秋口に作った北の疎林の炭焼き窯まで出掛けた。
――残りの砂鉄を運ぶのは次にしよう……。
北の疎林は、冬の寒気の中で土の器を焼いて以来だった。夏の牧地からだと、川を南に渡る分だけ遠くなる。
着くとすぐに、使い切らずに取り置いてあった炭窯の中の土煉瓦を数えた。木炭は、あのとき多過ぎるほどに焼いたのでずいぶん残っている。
その脇にエレグゼンと交代で深めに穴を掘った。窯の床の底になる。エレグゼンがいい道具を探して持ってきたので捗った。丁零で見た鉄窯はこうだったと思い返しながら、小さめに作ってみる。
――四角い窯は、内側に薪が三本並べて入るかというほどの大きさがあればいい。見てきた窯に比べて小さいが、本当に鉄が焼けるかどうか試すだけならその方がいい……。
トゥバの族長が「大人が立っても頭が出ないほど深く」と言っていたのをエレグゼンが思い出し、ならばこれほどかと深めに掘った。
これが難しかった。深く掘ろうとすると、穴は自ずと大きくなる。縁から崩れることのないようにと、半分に割った長い竹を打ち込んで土留めし、一人が穴に下りて掘り進んだ。
最後に、穴の底に大きめの石を何個か置き、湿り気を防ごうと、その上に小石や木炭を惜しみなく入れて埋めた。穴の一番上、窯の床のすぐ下に当たるところには干しておいた川砂を入れて平らにした。
前の年に作った炭窯の中の煙通しの煉瓦は堅く焼き締まっていた。これを移して鉄窯の底に敷いた。残りを積み上げて四角い箱のようにし、練った土をその箱の裏と表に塗って覆い、小振りな窯に仕上げた。フイゴで風を送るための穴を二つ開け、石と煉瓦で守ってある。風は確かに炉心まで通る。
上が開いたその小さな四角い窯をナオトは鉄窯と呼んだ。
「ずいぶん小さいな」
と、エレグゼンが呟く。
「ああ、小さい。だが、試し焼きするにはこれでいい」
一息入れてから、トゥバで見た通りに窯の内側に薪を並べ、その上に木炭を置いてみた。残った木炭は炭窯の中に置いたままにし、持って来た竹筒六本分の砂鉄もその近くに並べて置いて、「これでいいな」とエレグゼンと顔を見合わせた。
「鉄窯の壁に塗った土が乾くまで二日待とう。エレグゼン、雨はないだろう?」
思わず、エレグゼンが笑う。
その日はゲルに戻り、トゥバで見たような小さい竹の籠を作った。よさそうな大きさに切った木炭を入れておき、燃え盛る鉄窯に熱を避けて流し入れるときに使う。
翌々日。
晴れ上がった空の下、三日分の食料を持って出掛けた。
トゥバの族長の「焼き上がりまで三日三晩掛かる」という言葉が頼りだった。窯の底近くに開けた二つの穴とフイゴの口とを合わせてみて、二人で踏み方を確かめた後に、「はじめるぞ」と声を掛けて穴から火を入れた。
木炭が炎を上げて燃えはじめた。穴から覗いて火の色を確かめ、フイゴで風を送り続ける。見よう見真似だった。短く切った木炭と竹筒の砂鉄を交互に炉の上の口から流し込みながら、ナオトは、
――こんなやり方で砂鉄は本当に溶けるのだろうか?
と考えていた。
三日通しての作業は体に堪えた。風が途切れると火勢はすぐに衰えるので気が抜けない。最後は交代で休みながら、四日目の朝を迎えたときには二人とも疲れ切って互いに声も掛けられないほどだった。
しかし、砂鉄は溶けた。鉄窯が小さいので黒い塊は小さかったが、確かにできた。
ナオトは、それでも、トゥバで見せてもらった鉄の塊とはどこか違うような気がしていた。
――あの細い鉄の棒で作った網のようなものを使わなかったからだろうか……。
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第7章の目次 【各節の初めへ移動するためのリンク】
第7章1節 砂鉄を焼く [162] 冒頭へ
第7章2節 山の端の鉄窯 [166] へ
第7章3節 メナヒムの昔語り [168] へ
第7章4節 トゥバに辿り着いたニンシャ人 [171] へ
第7章5節 メナヒム、再びトゥバへ [176] へ
第7章6節 イシク親方 [180] へ