『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[114]ナオトの炭焼き窯
第5章 モンゴル高原
第7節 木炭
[114] ■2話 ナオトの炭焼き窯
このところよくそうするように乾いたヒツジの糞を燃やしながら灰をいじっていたナオトのところに、牧地での仕事を終えたエレグゼンがやって来て火の向こう側に座った。秋の匂いがした。そのとき突然、何を思ったか、ナオトがヒダカ言葉で言った。
「木炭だ!」
エレグゼンが見つめる。
「冬になる前に、木炭を焼いてみよう」
こうしてナオトは、メナヒムの一族の世話になってから初めて、何か役に立てそうなことを見つけた。しかし、後に、それがどれほどの大事になるのかを、ナオトもエレグゼンもそのときにはまだ気付いていなかった。
炭を焼くには木がいる。その木を探しに行こうとエレグゼンを誘った。
「木ならそこにあるではないか……」
エレグゼンはそう応じた。下の小川の水場に敷くのに、ナオトに頼まれて細い樺の木を二、三本伐り出したことがある。
「よく切れる斧だと、お前は驚いていた。覚えているだろう?」
「あれとは違う。炭焼きには同じ太さの木が何十本もいるのだ」
ナオトの勢いに気圧されるようにして、何を言っているのかよく呑み込めないまま、エレグゼンが頷いた。
翌朝。ナオトは日が昇ると同時に起き出してエレグゼンのゲルに「おーい」と声を掛け、湯冷めの水をヒョウタンの水筒に詰めてから下の小川まで下りていった。顔を洗い、口を漱ぎ、いつもの袋に水を汲んで戻ると、そのままエレグゼンと馬首を並べてゆっくりと北に向かった。冬の牧地の北を流れるケルレン川まで行ってみようというのだ。
日が梢の上に出る前に、二人は牧地からやや離れた疎林地帯に着いた。それはヒダカでいうトドマツの林だった。近くにいいマツがある。竹林も見えている。
――ここでいい。
馬を下りて土を見る。握って丸め、地面に打ち付ける。土もまあまあ使える。あとは水だ。周囲の木立を見回し、耳を澄まして水の在り処を探ると、エレグゼンを促して沢に出た。石もどうにか見つかりそうだ。
――ここにしよう……。
「帰ろう」
と言って、ナオトは馬に向かって歩き出した。エレグゼンが続く。
「どうした、帰るのか?」
「道具を持って出直す」
翌朝から二人は、炭焼き窯作りに取り掛かった。はじめに簡単な絵を地面に描き、全体の大きさはこれほどと腕を広げて教えた。何のことかわからないエレグゼンは、それでも、「ああそうか」と頷き、
――こいつに従っていればいいだろう、
と、言われた通りに手を貸した。兄弟のいないナオトは、まるでできのいい兄が何でも言う通りに動いてくれるような快感を覚えた。
まず、用意してきた鉄の斧で周囲の木を伐って、土地を開いた。倒した木はすべて斧で枝を払った。ヒダカでは石斧を使う。
――いやはや、鉄とはなんと便利なものか……、
と、感心した。ふと、カケルのことを思い出した。
細めとはいえ、合わせて二十本もの木を一気に倒し、枝を落とすと、若い二人もさすがに息を切らせ、思わず伐った木に背を預けて休んだ。
――よく切れる斧を使うのが面白くて、少し伐りすぎたか……。
倒した木を拳から肘までの長さに切り分け、敷いた枝葉の上に井桁に組み終えたところで、その日は帰ろうとなった。二人で丸三日と思っていた薪の用意が、一日も掛からずに終わった。
沢に下りて行って冷たくなりはじめた水で手足を洗い、上に戻るときに、一人でどうにか持ち上げられるほどの平たい石を一個ずつ拾った。
翌朝は水汲みに使う袋を持って出た。着くなり、土煉瓦の枠作りに入る。
鉄の斧があるのとないのとで、これほど違う作業もないだろう。木炭にするには太過ぎるような幹を選び、長さが揃っているとみてから縦に割る。幹を半分に割くには、斧を当てて別の薪で叩いてやる。生木を縦に割るなど、石斧ならばこうはいかない。
この割いた木を組み合わせていくつか四角の枠を作る。二人で泥だらけになりながら泥土に短く切った枯れ草を混ぜて枠に入れ、土煉瓦を作った。
「大きさを揃えておかないと後が大変だ」
と、ナオトがいちいち横から口を出す。水が抜けたところで、台にと敷いた笹の葉ごと焚火の周りに並べて枠を外し、乾かした。
三日目にはエレグゼンが見つけてきた土掘りの道具や麻綱を持って出た。木を伐った後の丸く開けた土地に立って、ナオトが次の段取りを話しはじめた。
「まずここに、腰ほどの深さに穴を掘る。切り株を掘り起こすときには馬の力を借りる。掘り下げた穴の真ん中をなお頭一つ分だけ深めに掘って、それを小石で満たす。火を焚いて木を蒸すときに薪から出る水はそこに溜まる。
その小さな穴を守るようにして腰の高さまで煉瓦を積み、外側には太めの木を三本置いて支えにする。この煉瓦と太い木で作った囲いが窯の真ん中に来て、焼きはじめるとそれが煙の通り道になる」
「炭窯は地面の上にではなく、掘ったところに作るのか?」
「そうだ。終いにはここに、子供の背丈ほどのこんもりとした丸い土の山ができる」
「まるで墓だな。昨晩言っていた通りの穴掘りか……」
「そうか、墓か。それもそうだ……」
「……。それで?」
「あそこに乾してある薪を太めのものから穴が塞がるまで積み上げる。真ん中に置いた三本の木と同じ高さになるまでだ。煙通しの煉瓦の周りにも薪を立てて積む。薪の間にできる隙間は小枝を差し込んで埋める」
いちいち指差しながら話すので、エレグゼンにもなんとなくわかったような気がした。すぐにはじめようとなって、まず腐った木の葉を地面から取り除き、墓穴二つ分の大きさに穴を掘った。
日が傾きはじめる頃合いに二人は営地に戻り、土煉瓦と掘った穴が乾くのを数日待った。ゲルの前でナオトが雲行きを気にしているのを見て、「この先、雨は降らない」とエレグゼンが言った。
確かに雨は降らなかった。しかし、待つ間に陽ざしは次第に薄れていった。頬に当たる風が冷たい。
秋の陽の残りを惜しむように、エレグゼンは毎日馬を駆ってヒツジを追い、遠出して狩りをした。
ある晩、どうもナオトはこれを好むらしいというのでキジの腿肉を炙って塩皿と一緒にナオトのゲルに運んできた。油の滴る鳥を口にするのは久しぶりだった。ナオトは「ありがとう」と笑って受け取ると、うまそうに頬張った。しかし、エレグゼンが聞きたかった焼いた木炭をどうするつもりかという話はしようとしない。
馬に乗らない日には、エレグゼンは営地の周りで女をからかったり、からかわれたりして過ごしていた。ナオトは自分のゲルに一人籠って忙しそうにしている。
――まあ、放っておいてやるか……。
鉄製の道具をいろいろと借りて、ナオトは自分のゲルで大き目の木槌を作った。柄の先に楔を打って止めてある。
カケルからもらった小刀は、そろそろ研ぎを入れる頃合いではないかと思ったが、それを教えてくれたヨーゼフ爺さんの緑色の石はここにはない。初めて会った日にエレグゼンが鏃を磨くのに使っていた石を借りてみようかと思った。
ある朝には、水場の近くで摘んできたシダから葉をしごき落とし、茹でて乾かした茎を使って大きめに織り布のように編んだ。ヒダカならば稲藁で作る菰を、昔はそうしていたとカジカの父から聞いたのを思い出して、大きめのシダで作ってみた。残ったシダを菰四枚で巻いて茎で留めておいた。
ゲルの中の作業に飽きると、朝、連れて行ったままのシルを牧場から出して近くの原まで引いて行き、自分は乗らずに汗をかくまで走らせた。その後を本気で追って、己も汗をかく。匈奴の男たちはこれを目の端でとらえて、ヒダカの男は何を考えているんだかというように首を振った。
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