『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[013]カケルの航法
第1章 西の海を渡る
第5節 双胴の舟
[013] ■1話 カケルの航法
カケルは潮と風とを巧みに利用して西の海を渡る。それは、他人にはなかなか真似のできない航法だった。
幼いときに父の仕事を手伝いはじめて以来、父の知り合いの浜の古老の話をよく聞き、時折り漂着する大陸人とも身振り手振りで気軽に交流して聞き取った話の端々を組み立てて、独自に編み出したものだ。
それに、陸乗りの舟人ならば一生に一度あるかというほどの遭難を、二十歳過ぎの数年間に二度も経験していた。
カケルは、いまではハヤテというかけがえのない仕事仲間を得て、大陸に大事な拠点を持った。あの海での遭難にもかかわらず、生き延びた舟子たちのほとんどは舟に戻ってくれ、声を掛けてくれる荷主を失うこともなかった。ここ数年の間に、是非にも乗せてくれという舟子も増えた。
カエデと一緒になると決めたのを機に、十三湊の小屋を広く大きな家に建て替えて、いざというときには荷主の品々を濡らさずに預かることができるようにした。これならば早めに運んでおけるので、荷が届くのを待って舟出が遅れるということもない。象潟は引き払い、人手も物も、持っているすべてを十三湊へと移した。
一度ならず舟を失ったカケルだが、カエデと暮らしはじめて半年、再び自分の舟で大陸に向かう準備を整えた。二十六歳の初夏だった。
ここ数年、カケルは十三湊と息慎の陸の西の方にあるフヨの入り江――いまのアムール湾の西岸――との間を専ら行き来している。
白いものの混じった髪を後ろで束ねた猟師に助けられ、息慎の陸にある入り江の一つに辿り着いて皮舟を下りたとき、たまたまそこで毛皮を集めていたミツルという舟長に救われた。着のみ着のままで飛び込んだカケルに水と食い物を与え、身の回りのものを揃えてくれた後に、フヨの入り江まで連れて行ってくれた。
その礼にと、その後三年近く、カケルはその舟長ミツルを助けて双胴の舟で西の海を行き来した。そして、多くのことを学んだ。
ミツルの舟で航海していたときには、南にある半島部に渡ることもあった。どちらかといえばそちらの方が容易だったが、そうした舟はヒダカの西にあるアマ国に多く、競い合いになる。
それに、風と潮によっては物騒な人々のいる地域に着いてしまう。
ミツルが教えた。
「海上で賊に出会えば危うい。決して舟を停めるな。みな殺される。もし出会ったら、荷を捨ててでも沖に逃げよ。そういう速い舟でなければ、西の海に出てはならぬ」
その危うさはフヨの入り江に近い海でもないことはないが、フヨ国の王に縁りの者が主な岬に物見を置き、燈火を焚いて守っているので、それほどではない。
それよりもむしろ、息慎の陸の沖合いを北から南下してくるときの方が危うい。しかしカケルは、独自の航路を舟足を使って進むので、他の舟と比べればずいぶん違うと知っていた。
海に出るのは春から夏に限られる。逆に、大陸からヒダカの十三湊へ戻るのは遅くとも夏の盛りを選ぶ。西の海を渡るにはどうやっても十三日は掛かるので、他の時季では、海の上で寒さにやられる。
戻りは、潮の流れと風によっては十三湊に寄せることができず、南の野代の津、そのはるか南の高志の福良津、ひどいときには松原津に行き着く。西の海の真ん中にある弊賂弁島や渡島に立ち寄るはめになることもある。そのため、カケルに限らずどの舟長にも、それぞれの津にいざというときに世話になる舟宿と知り合いがある。
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