『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[169]李廣とメナヒムの一族の因縁
第7章 鉄剣作りに挑む
第3節 メナヒムの昔語り
[169] ■2話 李廣とメナヒムの一族の因縁
メナヒムはトゥバのニンシャ人について話したのだが、なぜかそれは、昔の漢の将軍の話ではじまった。
「昔、漢に李廣という将軍がいた。我々匈奴の先人が「飛将軍」と綽名して怖れたという、漢には珍しい馬で駆ける将軍だ。生まれ年は知らぬが、我らとかかわってくるのはいまから四十年ほど前だ。
李廣将軍は、訳あって漢から匈奴に降った李陵将軍の祖父だ。わしは昨年、左賢王の陣にいたその李陵将軍と戦場をともにした。
四十年前、祁連山の麓の一帯はいまだ我ら匈奴が支配していた。祁連山とは、沙漠を越えたはるか南、漢人が河西回廊と呼んでいる東西に長い土地の南側に聳える山々だ。
漢の王の劉徹はその地を我ら匈奴から奪って、天山山脈までを抑えようと考えた。
そのために何人かの将軍を選び、河西を攻めて、そこから北の沙漠に向けて進軍させようとした。李廣将軍もその一人だった。匈奴が霍去病将軍との戦さに敗れて、祁連山の麓を失う十年ほど前のことだ。
遠征に備えよという王の命を受けた李廣将軍は、その年の秋の出陣を前にして、黄河という大きな川の南にある、我ら匈奴がオルドスと呼ぶ地に鳳凰城を訪ねた。
匈奴がオルドスから北に去って久しい。その後、長い年月の間にオルドスには多くの異なる部族が移り住んだ。遊牧の民もいる。漢人もいる。わしらと同族の胡人もそうだ。
我ら匈奴の先人は、漢人がオオカミの山と呼ぶ黄河の北にある峠を北から南へと越えて、オルドスの西の隅にある鳳凰城の周辺をたびたび襲った。襲うと装って訪れた。
父祖の縁の地だからではない。その城の南に住むニンシャ人が作るさまざまな品と道具が目当てだった。その中には武器もあった。
漢の者たちは、匈奴の本当の目当ては胡人の女だと噂したという。胡人の女は、この世のものとは思えないほど美しい。それが匈奴の狙いだというのだ。ザヤ、もとより知っていようが、お前もお前の祖母もその胡人の女だ。
しかし、どうやってか李廣将軍は、我らがほとんど毎年ニンシャを襲うその理由に気付いたようだ。将軍はまるで遊牧民のように馬とともに育ったと聞く。匈奴のことはよく弁えていたのだ。
遊牧民の動きには無駄がない。それに、どうしても外に頼らければ手に入らないというものが数多くある。我ら匈奴とて同じだ。
――きっと何かが隠されている。
そう考えたのだろう。いま匈奴と戦うために北へ征くに当たって、是非ともそれを突き止めておこうと将軍は考えたのだ。
李廣将軍は、故地の涼州を発って数日、北に急いだ。
鳳凰城の南の地に着いたとき、供の騎兵はわずかしか連れていなかった。幼かったわしは、駆け寄った多くのニンシャの子等に混じって、土埃まみれの将軍が馬から下りるところをこの目で見た。漢人の武者姿を見るなど初めてだったが、立派な顔付きをした武人だった。
いまから百年ほど前、西にあるイリ川の辺りを出たわしの曽祖父さんたちの集団は、インドに近いガンダーラから来た集団と合わさり、一団となって漢に移ってきた。この一団の長は、崖の下に大きな川の流れが見えるところまで率いてきて、はるか南を指差し、『あそこにしよう』と決めたという。
深い谷を作り、黄色い水が滔々と流れる黄河に沿って北に行けば鳳凰城の大きな町がある。それとは逆に南に向かった一団は、その黄色い川をどうにか渡り、南に外れた石と砂まみれの棄て地を切り開いて住みはじめた。そしてその新しい土地をシーナの人々に倣って寧夏と呼んだ」
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