『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[151]二騎、南に進む
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第9節 アルタイを越える
[151] ■1話 遠征28日目 二騎、南に進む
この二日間、エレグゼンは足取りを隠そうとわざとアルタイの白い山並みに向かって馬を走らせた。帰る方角とはまるで違っていた。
いつ烏孫と出会ってもおかしくないと警戒するエレグゼンは、いくつもある湖を迂回し、赤い水草の生えた湿地を西に避けて南へと進み、ついにはアルタイ山脈へと分け入った。
高地をゆっくりと進み、ときには息を切らしながら馬を引いて登って、いよいよこの分水嶺を南に越えれば前方にハミル前山の高い峰が聳えて見えるというところまで来た。
匈奴が半ば支配しているとはいえ、ハミルには漢人も多く住む。そのため、つい昨日まではハミルを迂回して東に行き、沙漠の西の礫に覆われた縁を通ってモンゴル高原に入ろうと考えていた。
しかし昨晩、エレグゼンはふとあることに思い当たって、それとは逆に、一度、天山の東の端のハミルを訪れ、数日、市場を覗いてからアルタイを南から北へと越えて戻る途を採ると決めた。
いまのところ何も起きずに来た。テュルク人やサカ人、あるいは匈奴がこれら部族を装って襲ってくるならばここだとメナヒムが教えてくれた第一、第二の地点は避けた。これでテュルク人との争いは免れただろう。残る脅威は、河西に屯する漢兵だけだった。
――何しろ、いま向かっているのは四年前に漢の騎兵と一戦交えたところだ……。
追われて逃げるならば、烏孫や匈奴の部隊よりも漢の騎兵の方がまだましだ。しかし、ここまで無事に来てみれば、その漢兵よりもゴビの方がまだいいとエレグゼンは考えた。そのために、わざと数日遅れる。
――とにかく大切なのは、鋼作りがどのように進められているかという知らせを左賢王に確実に持ち帰ることだ。それに、ハミルのバザールならばナオトの探す器がきっと見つかる。
鋼作りの恐ろしい現場を見て以来、ナオトの存在感は別の意味をもって迫ってくるようになった。エレグゼンは、どうにかナオトの望みをかなえてやりたかった。
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