『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[194]漢兵が遺した剣
第8章 風雲、急を告げる
第4節 戦さを終えて
[194] ■1話 漢兵が遺した剣
戦さの日々が続いている。
守るときに備えてナオトがみなとともに過ごすようになってから十日が過ぎた。男たちが戦場に去ったため、いまの活気は前に感じていたものとは違う。
ゲルの前まで来てシルの世話を終えたナオトが入り口のヒツジの皮をめくって中に入った。そのとき、少し離れたところに立つザヤが住むゲルを目の端に捉えた。前に降った雨の後に草がみるみる伸びて、ヒツジがよく乳を出すようになった。このところよく見るゲルの上に干したヒツジの乳のエーズギーはもう取り込んだようだ。
いつものように燠に木炭を継いで土鍋の水を沸かし、湯を飲んで、皿に盛った有り合わせのものを口にした。濡らした麻布で体を拭い、明日のことをあれこれ考えながら横になった。
そんなある日、ナオトは、研いでもらっている小刀を受け取ろうと山の端にイシク親方を訪ねた。敵襲への備えなどで周りが忙しくしていたために気後れがし、間が開いてしまった。
「おおっ、来たか」
両手を広げて出迎えてくれたイシク親方が興奮気味に言った。
「ナオト、戦さが終わったぞ。漢軍は南に退いた。メナヒムたちが戻ってくる。あれを見ろ」
指差した寄り合い所の奥のすぐ外に四台の荷車が置かれ、戦場で集められた漢の鉄剣が何十本も、泥で汚れたまま無造作に積んであった。
「磨いて使えるようにしてくれないかというメナヒムの頼みに応えているところだ」
二人で奥に歩いて行った。
「鞘から抜いてみたものはまだ半数もない」
長さも重さも違う剣を一本ずつ取り上げて、細部に目を配りながら二人で見ていった。ナオトが剣を間近かで見るのはトゥバ以来だった。これだけの剣をまとめて見るのは、親方も初めてだという。
鞘から抜けない剣もあった。すんなりと抜けるものを見比べると、細い剣も、幅の広い剣もあり、厚みも同じではなかった。見掛けの通りに重さが違う。柄が金属でできているものが混じっていて、その分だけ重い。しかし、どれも真っすぐな剣で、刃は両側に付いている。それに、思っていたよりもはるかに薄い。
「ちょっといいですか?」
と、細めの一本を手に取った。他よりも厚みがある。
――やはり軽い。これだけ細ければ、使う鋼も少なくて済む……。
「振ってみたらいい。もっとよくわかる」
一番細くて厚みのある剣と幅広の剣とを選び、親方から少し離れて、恐るおそる上から下へと振ってみた。
――なるほど、違う。重さだけでなく、握りも違う。
他の剣に持ち替えてみて、振った感じは剣ごとにまるで違うと知った。
こんなに薄くて折れることはないのかと気になり、細くて一番厚みのない剣に別の剣を思いきり打ち付けてみた。細い剣はキーンと鳴ったが、しかし、折れることはなかった。今度は音が気になったので、幅広の剣二本を打ち合わせたところ、カーンと別の音がした。
――なるほど、太さが違えば、音も違ってくる。
何度も振っているうちに、振り方がわかってきた。剣先が心持ち遅れてくるようにすればいいらしい。
「こういう剣は、斬るというよりも、振って叩くか、剣先で突くことが多いという」
と、脇で見ていたイシク親方が教えてくれた。
親方が一本を取り上げて、「これはタタールの技で作った剣だ」と言うので、鎚で打った跡でもあるのかと顔を寄せて細かに見ていると、物音を聞きつけてか、工人が一人、寄り合い所に入って来た。バハルーシュという名の研ぎの工人だと親方が引き合わせてくれた。
研ぎ終えたナオトの小刀を鹿革の切れ端で巻いて持ってきてくれたのだが、親方に助けてもらいながらソグド語でやり取りし、急ぎではないので受け取るのは柄という握りの部分を作り、鞘を刀身に合わせてみてからということになった。
「ナオト、焼き入れはわしがやっておいた」
――そうか、前に教えてもらったのに、すっかり忘れていた。炉の側に立てた棒に刻んでいなかったからだ……。
「ありがとうございます。もともと考えてあった手順から抜け落ちていました」
「はっはっは。人とはそういうものだ。火を前にすると細かなことは忘れてしまう。ここにある漢の剣の多くは焼き入れと焼き戻しがいる。そのときは声を掛けるので、一緒にやって覚えたらいい」
「ありがとうございます。そうさせてください」
その後に、親方とバハルーシュは漢の剣をどうするかとその場で話しはじめた。
言葉はわからなかったが、剣の傷み具合によって大きく二つに分けた後で、剣身、柄、柄との間に置いて指を守る剣格――鍔――、鞘、それぞれについている紐などを一度ばらばらに外し、汚れを取り、脂で磨いてから、替えるものは替えて組み直すと決めたようだ。
イシク親方に間に入ってもらって、バハルーシュと話をした。
「いま、親方に見せてもらっていたのですが、どの剣も違うものですね?」
「ええ、違いますね。漢の外で作った剣も多く混じっているようです」
「剣を見るだけでそのようなことまでわかるのですか?」
「わかります。鋼がまるで違います。シーナの剣は鉄を溶かして形を作ってから鍛えたものです。だから、どちらかというと脆い」
――そうか、鋼が違うのか……。
「その違いに比べれば細かなことですが、手で持つところ、柄と言いますが、それが木でできているのか金属なのか、それを外したときの剣身の幅、長さと形、それに、剣先の形や剣格も違います。突くのか、斬るのか、持つ者の力の強さや好みもあるのでしょうね」
「……」
――大きな魚を突くときの銛の先だ。善知鳥の村では、わざわざ北の島から運んで来る薄緑色の硬い石を磨いて銛にしていた。鯨漁ならば命にかかわる。だから銛打ちは、一人一人が好みに合わせて銛を作る。バハルーシュはそのことを言っているのだ……。
「ただ、どこで作ったものにせよ、これはという剣は砥石に当てればすぐにわかります。あなたのこの小刀は、なかなかの出来だと思います」
漢兵の剣をみせてもらっての印象をイシク親方とバハルーシュの三人で語り合っているところに、突然、エレグゼンが姿を現した。
「おお、無事だったか!」
「ああ、どうにかな」
戦場から牧地に戻るときに鹿の群れを見つけたので、みなで狩りをしたと言う。左の頬に傷が一つ増えていた。
エレグゼンは荷馬車の剣の山にちらっと目を遣ると、麻布で巻いた鹿の肉をひと塊、軽々と持ち上げるなり、「土産です。みなで分けてください」とイシク親方に差し出した。ニンシャ人が鹿肉を好むのは知っている。親方たちの喜ぶ様子を見て微笑いながら、側に立つナオトに小声で言った。
「メナヒム伯父に言われて鉄窯の様子を見に来た。安心しろ、部隊の半数はすぐにも牧地に戻る。そのうちの何人かはもうこの近くの土城に着いて、前のように見守っている」
第4節2話[195]へ
前の話[193]に戻る